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最後の異世界転生譚 ――Echoes Beyond the Aurora Manuscript――  作者: 莞爾
10 勇名の矜持 後編

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78話 手のかかる愚姉ですこと

 噴き出した鮮血がアーミラの頬にかかり、袖で拭う。その付着した血液の手触りに違和感を覚えて袖を擦る。……普通の血よりも淡く、ねっとりとした感触があった。


「……これは」


 セルレイも手応えの奇妙さに警戒して、身を捩るように片手剣を切り上げて刃を抜くと勢いをそのままに回し蹴りでガントールを押し退けた。反動を利用してスークレイの元へ合流する。


 セルレイは片手剣の血を振り払ってガントールを見つめた。皆が同じことを思っただろう。

 目の前で立ち上がろうとしているガントールは切り上げによって胴から右肩まで裂かれていた。致命の一撃にもかからず痛みに喘ぐ素振りもない。よろよろと上体を起こして三人の前に対すると、たちまちにして皮膚が繋ぎ合わされていく……。全身に負っていた傷も痣も癒えていくのが見えた。


「どうなっている……治癒したぞ」


「神殿で授かった加護の効果でしょうか」


 スークレイの言葉にアーミラは首を振った。


「いえ、違います」


 これと似た状況を知っている。アーミラは続ける。


「きっと偽者です……ガントールさんがこちらを襲うなんてありえません」


 顔を奪い、その者に化けるというトガの存在。

 セルレイも心当たりのあるこの状況に困惑を隠せないようだが、今はガントールと戦う覚悟を固めた。スークレイも状況を呑み込み始めている。


「なら、剣を取り返さないとな……本物のガントールはきっと前線にいるはずだ」


「……まったく手のかかる愚姉ですこと」


 心新たに三人はトガと対峙する。

 内心では危機を理解していた。ここに偽者のガントールが辿り着くまで鏑矢が鳴らなかったという疑問にも気付いている。気掛かりは多いが、眼前の敵を処理することが優先された。――そんな彼女達の気丈を嘲笑うかのように、ガントールは口角を歪に吊り上げる。三人を相手にしてなお勝機を見出しているような不気味さがあった。


 ぽつり、ぽつりと、空から生温い粒が降り出した。雨は土に点を描くと、堰を切ったように降り注ぎ、乾いた平原を塗りつぶしていく。

 睨み合う状況に皆が雨晒しになり、衣服が重たく貼り付いた。

 視界が悪い……どちらが先に仕掛けるか、雫の滴るままに意識を研ぎ澄ませる。


 先手を取ったのはガントール。

 雨垂れに姿を滲ませて襲いかかる。


 速い――アーミラは内心で驚く。あの偽者、身体能力まで模倣しているの……!?


 天秤の剣が狙っているのは伯爵の首だった。

 セルレイはなんとか目で追いかけ、その一合を片手剣で受ける……。


「なっ――」


 刃が触れ合う刹那、ガントールの剣閃が鞭のように伸びた。

 受け止めるはずだった片手剣は空を切る。隙の生じた軍衣に鈍い痛みが突き立てられた。


「ぐうっ……!」


 ガントールの刃の軌道は予想できない軌道を描き、セルレイの脇腹を突いた。それを見ていたアーミラとスークレイは思わず息を呑む……やられたと思ったのだ。


 セルレイはよろめくが、出血はなかった。

 これはガントールの断罪の剣が斬首に用いるものであるためだ。鋒に刃を立てていない特殊な形状であることが幸いした。……もし鋒に刃があったなら、間違いなく腹に致命の一撃を喰らっていただろう。死の予感に青褪める。


 じんじんと痛む肋骨に無理をして、追撃を逃れるだけの距離を取る。


「無茶苦茶するな……」


 セルレイは堪らず泥濘に膝をつき、細く息をする。肺を膨らませると激痛が走った。スークレイが駆け寄る。


「スークレイさん、伯爵を連れて下がってください」


 アーミラは一歩前に出る。


 一刀による首への介錯こそガントールの流儀、剣で突くなど、まずあり得ない。


 先程の伸びる剣閃は、自ら奮った膂力によって癒着したばかりの右肩の傷を裂き、腕の長さを稼いだ異常な戦法だった。常人には不可能な技である。やはりこの者はガントールではない。それどころか人ですらないことの証左であった。


「私がなんとかします……」


 そう言って一人ガントールと相対する。敵を見つめる碧眼は細く尖り温度を下げ、固く冷えた殺意に充ちる。

 アーミラの瞳の深いところにある闇を見て、ガントールは気圧され脚が退がる。油断なく構えているが、視線は手負いのセルレイばかり狙っていた。仕留めやすいものから数を減らそうという魂胆が透けて見える。


「……頼みますわ」スークレイが言う。


 アーミラは振り向かずにセルレイを庇うように立ち、二人に杖を向けて宝玉の中に匿った。濡れた前髪、房の隙間からガントールを睨む。


「トガというのは……つくづく性根が曲がっていますね……ガントールさんを襲うときも、きっと不意を突いた非道の策を用いたのでしょう……?」


 問いかけにガントールは答えない。

 アーミラの言葉は怒気を孕む。


「義に立つ彼女の顔を被って挑むというのなら、私も容赦はありません」


 後ろに回していた杖を持ち上げ、流れるように弓構えの体勢になると詠唱もなく矢を放った。一度弓を放つ動作を完了してしまえば術式は成立する。光弾は連続して宝玉から射出された。


 流れるような所作にガントールの回避は遅れ、最初に放たれた三発をまともに受ける。体が回避行動に移るまでの間に首筋、左肩、左脇腹を断続的に穿たれて風穴が開いた。後の矢は横に飛んだ回避行動によって体を掠め、前庭の土に突き刺さる。


 痛みに喘がぬガントールの代わりに、高温の光矢がじゅうじゅうと音を立てた。雨の匂いに肉の焼ける臭いが混じる。


 ガントールは丸くくり抜かれた自身の体をちらと見て、表情に動揺が浮かんだ。牽制でこの威力……勝ち目がないと悟ったのだろう、歯噛みしてアーミラを睨む。一方で、アーミラの表情は頭巾に隠れて見えない。


 藍色の法衣が雨に濡れて黒く色味を深め、頭巾から白い肌が覗く。

 彼女の姿はまるで、黒衣を纏った死神のようだった。


「次は心臓に当てます」


 トガに言葉が通じたか、それともただ殺意を嗅ぎ取って尻尾を巻いたのか、ガントールは前庭から逃げるように駆け出した。邸を出て塀を回り込み、射線から身を隠した敵に対して、アーミラは迷いなく弓を構える。


 振り向かず走るガントールの背中に曲射が突き刺さった。


 宣言通り心臓が光弾によって焼かれ、ガントールは膝をついて顔から倒れる。残された力で懐から何かを取り出し、塀の向こうに投げると化けていた肉体は溶けるように土に染み込んで消えた。後にはガントールの面皮と神器だけが残された。


 一方、矢が刺さる音を聞いたアーミラは、ガントールの息を確かめるために前庭を出た。外縁の塀を曲がったところに人型の染みが広がっている。しかし骸がない。

 仕留めたはずのトガが転がっていたはず……それが忽然と消えた――アーミラは、聞いていた話を思い出す。


 『私が隊長の座を引き継いで最初の仕事は、仲間の亡骸を平原に埋葬することでした』

 『仲間の死体を調べても斧槍の切傷ばかりで、トガと戦った形跡は見つからなかったんです』


 襤褸のように放られたガントールの顔の皮を摘みあげて杖の中に回収すると、濡れた土を指で擦る。……雨水とは別に粘度のある液体が残留していた。

 指先で感触を確かめ、息をのむ。……間違いない、これはトガの分泌液だ。


 アーミラは土を払って邸に引き返す。そのとき手当てを済ませたセルレイが杖から飛び出した。


「やったか」セルレイは問う。


「まだです。中にいてください」


「あんなもの投げ寄越しておいて馬鹿言うな。私も戦える」


 そう言ってセルレイは神器を拾い上げる。


 確かに面皮を放り込んだのは失敬だったが、丁重に扱う余裕もない。

 アーミラが思うに、ガントールの面皮だけは本物だ。それがトガの手に渡れば再び化けて出るかもしれない。かと言って焼いて処理してしまうと前線にいるガントールの顔が元に戻せないのではないかと危ぶんだのだ。今は保管して、不要と判断してから処理したい。


「どこに逃げたかわかるか」とセルレイ。


「おそらく、地中から塀を潜り前庭に……次に現れるときは誰に化けているかわかりません……。もしかしたら顔を調達する気なのかも……」


 そうなれば最悪だ――互いに顔を見合わせ邸内へ急いだ。邸にはまだ従者がいる。兵を信じ身を隠している彼女らに凶手がかかることは何があっても避けたかった。

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