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最後の異世界転生譚 ――Echoes Beyond the Aurora Manuscript――  作者: 莞爾
10 勇名の矜持 後編

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77話 自分の目を潰しなさい

 何が起きているのかと、ウツロは問いたかった。

 だが敵を前に筆談はできない。それに、スペルアベルに棲まう殆どの人間は識字ができなかった。たとえ問いかけられたとしても、彼は答えることができなかっただろう。


 困惑しているウツロを嗤う、場にそぐわぬ品の無い引き笑いが響く。

 ダラクから少し離れた物陰に太りじしの禍人種はいた。


「危ないところでしたねダラク殿。不肖私めが護衛して差し上げましたよ」


「……そりゃどうも」


 雑に礼を言うダラクは興が削がれた表情になり、ウツロに顎で示す。


「……ん。気持ち悪ぃよな。このあんちゃん操ってんのがあいつ、エンサってんだ。これからお前の相手をしてくれるんだとよ」


 ウツロは再び拳を振るう。

 ダラクは足の裏で受け止めて宙返りをして距離をとった。


「次こそ仕留める約束だったが、……まぁ譲ってやるよ。俺は今、気分がいいのさ。なんせ長女継承を倒したんだからな」


「あれはハラサグリの功績では?」エンサと呼ばれた男は茶々を入れる。


「ハラサグリは俺が従えてた。つまり俺の功績だ」


 じゃあな。と、ダラクはウツロの横を通り邸へ向かった。当然先へ行かせる訳はない。ウツロはダラクの背後から迫ったが、兵士の槍が妨害した。


「そんなつもりは……すみません……」


 顎が折れたせいでまともに話せていなかったが、ウツロは多少のおし喃語なんごであれば聞き取れる。

 剥ぎ取られた顔面は出血こそ収まっているが、風が当たるだけでも激痛なのだろう。乾いて艶のある膠原質が、彫り込んだような苦悶の表情で固まっている。瞼の削がれた目から血混じりの涙が流れ続けていた。


「鎧と相手をするのはこの私……エンサですぞ。ダラク殿から聞いたところ、どうやらあなたの正体はまだ幼い女子とのこと。もう私は居ても立っても居られませんでね――」


「逃げて、ください……ウツロさん……!」


 兵士は敵の言葉を遮るように訴える。

 必死な姿を、エンサはまるで珍しい花でも見つけたような顔で眺める。


「みんな長女継承に似たトガにやられたんです……! ガントール様が、帰ってきたと思ったら、中から蛞蝓なめくじみたいなやつが湧き出して……っ」


「――おや、おやおや」


 兵士は早口で訴える。固まりかけていた顔の皮膚がひび割れても言葉を止めない。殺される覚悟だった。せめて目撃した真実を伝えるために。


「身体の中にそいつが入り込むと、顔の内側に移動して噛みちぎったんです……俺もそいつにやられて今も腹の中にいる……! そいつは顔を奪ったあと、成りすますことができる……。だから……だから、俺は手遅れなんです……見捨ててくれて構いません……!」


 エンサは兵士の矜持に敬服するように目を閉じ、首を振る。


くも健気な命の輝き……思わず口封じするのを忘れてしまいました」


 それはそれとして、というように丸く膨れた手を叩いてエンサは命令する。


「ですが喋りすぎですね。さ、兵隊さん。自分の目を潰しなさい」


「うぁ――」


 兵士は小さく呻き、手に握っていた槍を躊躇うことなく自分の目に突き刺した。穂先が半分程沈み、眼窩の骨に刃が喰い込んで止まる。裂傷の隙間から血がどろりと垂れて痙攣する。


 喜んで指示に従っているわけがない。身体は呪術による支配下にあり、エンサの言葉に生死が委ねられている。

 突然のことでウツロも止めることができなかった。


「やめ……もうしません……やだ。やめろ……あ、あぁ」


 右目から槍を引き抜き、痛みと混乱に兵士の呼吸は荒くなる。崩れた水晶体が槍の刃先によって掻き出され、突傷から零れる。槍を握る手は震えながら、次に左の目を狙う。あまりの恐ろしさに兵士は命乞いに泣き叫ぶ。


「うぁぁぁ! 助けてぇ!!」


 左目に刃が届く寸前、ウツロは兵士の体を抑えて槍を引き剥がす。互いの力が暫く拮抗し槍を握る両腕が震えていたが、呪術はふっと弱まり、束の間命拾いした。

 精神は芯まで恐怖に染まり参ってしまい、何度も謝罪の言葉を繰り返している。


「ごめんなさい、ごめんなさい、俺が、間違っていたんです……信じていたら、こんなことには……」


「おやおや、せめて私にも分かるように話してくれませんか? ではウツロ殿、是非楽にしてあげてください」


 エンサはそう言って再び呪術で兵士を操った。拳を振って暴れ出すとウツロを牽制し、槍を拾い鋒を向ける。


「お願いです……に、げて……ください」


 兵士の声が震えていた。本心では助けを求めているのがわかる。わかるからこそウツロは戦うことも逃げることもできない。


 兵士は槍を突き出し、無理やり横薙ぎに繋いだ。かたも戦法も知らぬエンサの無手勝流むてかつりゅうの槍捌きだ。

 ウツロは横に躱して後ろに退がり距離を取る。邸へ向って走り出す事もできたが、そうなればエンサはこの兵士を殺すだろう。


 どうにか助けることはできないだろうか……傷痍は顔と右目がとにかく重症だが、それ以外はまだ目立った怪我がない。体内に潜むトガを取り除く方法は思いつかないが、もしエンサの術を解くことができるのなら助けられるかもしれない。


 しかし邸にはダラクが向かっている。長女継承ガントールを倒したと豪語していた以上、アーミラに対しても何か搦手を仕掛けて来るはずだ。

 彼を助けるにしろ切り捨てるにしろ、あまり猶予は残されていなかった。





 前線で動きだした詭計は既にスペルアベルにまで及び、閃めく凶刃は音もなく邸を襲った。

 辺境伯セルレイの邸から出払った討伐隊の者たちと入れ違いに、前線からガントールが帰還した。まさか彼女が自陣に斬りかかろうとは、誰が予想できただろう。


 胴鎧は身につけておらず、足元は裸足をさらしている。全身に鬱血の紫斑が浮かび、五体満足であることが奇跡と思えるほど傷だらけである。今すぐにでも駆け寄って治癒を施してやりたいが、そうはいかない事情があった。


 ガントールは、実の妹であるスークレイに剣を向けたのだ。アーミラがすんでの所で剣を受けていなければ女伯の首が落とされていただろう。信じ難いことだった。

 三女神継承者としての妹も、血縁としての妹も、未だ動揺を隠せない。


 果たして彼女は、ガントールなのだろうか?


 手負いの外見のことではない。もっと内側の、重要な何かが別人になっている……いや、人として備えるべきものを喪失しているようだった。


 こちらを睨む緋眼は濁り、焦点も定まっておらず、口元は血と涎が乾いて張り付いていた。見る影もなく傷付いて気の触れた彼女の姿も、こうして疑いの目で観察すれば薄寒い嘘に見える。手負いのガントールは傷痍を痛がる素振りがないのだ。

 しかしながら、スークレイに襲いかかるときに振るった得物は継承者の神器だ。この世に二つとない裁きの天秤、その断罪剣を彼女は握っている。


 アーミラとスークレイは目の前に立つ長女をどう沙汰するべきか戸惑う。ガントールは気が触れているのか、それとも武器を奪っただけの偽者なのか……。


「よろしくないわね……」スークレイは予想だにしない状況に驚きつつも、指示を出す判断力は残っていた。「セルレイ!」


 呼びかけに応える代わりにセルレイ伯爵は邸の物陰から飛び出しガントールの背中に刃を突き刺す。突き立てた得物は刃渡りの短い片手剣だったが、力を込めて沈めた切っ先は肋骨を砕き胴を貫いた。容赦のない一撃である。

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