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最後の異世界転生譚 ――Echoes Beyond the Aurora Manuscript――  作者: 莞爾
10 勇名の矜持 後編

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72話 私にはわからない



  ――地に伏せられし蛇ありて、

  その暗き怒り、やがて龍と化せり。


  額の角は奸詐かんさを閃かせ、

  裂けた舌は佞辯ねいげんを吐き、

  背の翼は詭計きけいを描きぬ。


  楽園に、神と共に在りしは三の娘なり。

  蛇はくさむらに潜みて、彼女らのくびすを食みたり。


  恐れたる三の娘、神の御座ぎょざに近づかんと願い、

  御傍おそばにて安息を乞いぬ。


  されば三の娘、逃れんがために城を築きたり。


  楽園は今や、悪しき龍と化せし蛇に奪われた地となれり。


  天使は城の地を盛り上げ、

  これ、大山脈となりて天に届かん。


     (『マハルドヮグ時祷書――蛇叢へびくさむらにありて――』より)





 結界を飛び越えて平原に侵入した有翼の蛇を、次女継承者難なく討伐した。

 邸の兵達はその働きを褒めそやす。


 場所は食堂、夕餉の時分。今日は珍しく混み合っていた。


 昼に現れた七体のトガは飛行能力を有し体躯も大型、さらに群生とあって討伐隊だけでは対応できない厄介な敵だった。もしアーミラがいなかったら、トガは平原すら悠々と飛び越えて、内地に侵入していたかもしれない。馬で追いかけることは出来ても手持ちの鏑矢では手も足も出なかっただろう。少なからず隊に属している魔人種の術でも届かない高度を、蛇は飛んでいたのだ。あの状況は、あわや大惨事の冷や汗ものだった。


 アーミラはそれを、苦もなく倒して見せた。


 あの後、いつまた蛇が飛んで来るかわからないこともあって、スークレイは今後の継承者不在を想定した対応を検討し討伐隊の武装と編成を練っていたため午後は皆忙しくしていた。当時の兵の心境としてはラーンマクがいよいよ落ちたかと顔を青くして邸を駆け回っていたのだ。

 落ち着きを取り戻したのは日も暮れてからで、夕餉に食堂が混んでいるのはそうした事情が絡んでいた。


「翼のあるトガは珍しいんですか?」


 卓を並べた中央で男衆に囲まれているアーミラは誰に向けるでもなく問いかける。


 ここ最近の働きと今日の功績に兵達はすっかりアーミラを気に入り、夕餉にかこつけて同じ卓に椅子を持ち寄り集まっていた。それとなく左右を挟まれて席を立ちにくい配置となった。


 男勝りで威圧感のある長女継承者ガントールや、明らかに曲者くせもの三女継承者オロルと比べ、アーミラは押し出しも優しくいかにも可憐な乙女であるため近くに座る何人かの男は頬も赤く照れている。乗り遅れて遠巻きに座る者達はせめて興味を惹こうと問いかけに我先にと応える。


「ないことはないがかなり珍しいもんだ。俺が前に――」

「小さいやつならそれなりに見たぜ――」

「あれだけでかいのは相当手強いだろうに、流石ですアーミラ様――」


 縄張りを争う雄にも似た押し合いの返答があちらこちらで捲し立てるように返ってくるのでアーミラは困った顔で笑顔を作る。こういった人集りは得意ではないので心境としては割と辟易していた。


 こうなると場は厄介になる。気を引きたい男は雑談の声も少しずつ荒々しくなり、昼間に律されていた統率を失って血気盛んな若人の騒ぎは増長していく。この場の衆目を攫う話題を口にした者が勝者であると競うように卓の上には様々な話題が挙げられた。やれ食堂の飯で何が美味いだとか、トガを討ち取った数だとか、アーミラにとってはどれも興味がそそられなかった。


「討ち取った数……イクスさんはどれほどなのでしょうね」


 アーミラはあえて仮面の男の名を卓の上にあげた。

 この場の熱を冷ます冷水となれば良し、または誰かが口を滑らせるも良しと考えたのだ。

 僅かな沈黙に返答を促すようにアーミラは続ける。


「ほら、元は隊長だったのですから」


 男達はそれぞれ言葉に窮した。話題を振ってきた以上は何か答えたいが、元隊長についてとなると口は途端に重くなる。


「……まぁ、それなりだったんじゃねぇかな。俺はよく知らないが……」

「討ち取った数で隊長になるわけでもないしな、……うまく立ち回って生き延びればいいわけで……」

「……殺したのはトガだけじゃねぇしな」


 誰かが呟くように皮肉を言い、小さく笑い声が漏れた。


「今日あいつは外に出たって聞いたぞ。あのトガを呼んだのも、もしかしたら――」


 そのとき、投げやりに水差しを卓に置く音が割って入った。

 ナルは口を引き結び、怒りを堪えるような表情で男達を睨む。食堂でイクスの話題を振ったのは軽率だったか。


 浮かれた奴らの失言に気不味きまずくなっただけ。会話には入れず遠巻きから聴くばかりで面白くない男達は白けてさっさと引き上げる。

 アーミラの近くに陣取った者も、こうなっては流石に粘る図太さはなかった。冗談とはいえ迂闊。本当に冷水を浴びせられた面持ちで退散した。


 残されたアーミラは彼らと一緒に引き上げるのも気乗りせず、ナルと二人、食堂に残った。


「すみませんでした」アーミラは素直に謝る。「話題に出すべきではありませんでしたね」


「……いいよ別に」ナルは卓に散らかる皿を重ねながら言う。「私のお父さんのこと、聞いてる?」


 ナルの視線にアーミラは頷きで応えた。


「お父さんはね、あの人の部下だったの。聞いてるならその後どうなったかも知ってるでしょ? ちなみに、お母さんは私を産んだときに亡くなったそうよ」


 アーミラはまた頷く。

 二年前に起きた事件。イクスの部下殺し。

 男手一つで育った娘が父を殺され、今はその相手が住む邸で飯盛をしている。


「辛くはないんですか?」思わずアーミラは聞いてしまう。


「辛くないわけないでしょ……この邸で色々な噂や憶測を聴いたけど……怒って責めるのが正しいのか、恨んで飯に毒を盛れば気が晴れるのか、私にはわからない」


 その物言いは決して儚い諦観ではない。諦めの悪い……未練がましいとも言える聡い洞察の目が、今はただ卓を片付けることに向けられている。


「あなたならどう考えるか教えてよ。イクス隊長は部下殺しなのか、それとも姿を隠したトガが、あの平原にいたのか……」


 イクスの口からのみ語られるトガの存在…… そんなものはいないのだと、多くの者が信じなかった。だが、親を失い悲しみを背負う少女だけが、僅かな可能性を捨てきれず、怨むことができないでいる。


「お父さんが生きていた頃はね」ナルは言う。少し声を低くして、亡き父の真似をする。「『イクスは隊長だが、良き友でもあった。戦場で背中を預けられるのはあいつだけだ』って。……あの事件の前まで、誰もがあの人を頼っていたし……信じてた。それこそさっきまでここにいた男達もそう。皆信じてたのに……」


 ナルは一度言葉を切り、震える喉を落ち着かせる。

 重ねた皿を持ち上げて配膳室に引っ込む後ろ姿で、振り向かずに言う。


「すごく辛いことが起きたけど……確信がないから飯に毒は盛らないわ……」


 それは身寄りを無くした少女の気丈であり、一級の矜持きょうじだった。

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