71話 用済みだとは言っていませんよ
「行きましょうか」
「あ、あぁ……」
ハラヴァンに促され、ダラクは階段を昇る。
一度振り返ると、丁度糞の中でニァルミドゥが丸呑みにされている光景が見えた。言葉もなく左目を開き、段を上る。
「おっと――」
上階に向かう階段の踊り場でハラヴァンは一度足を止める。
「――聞き忘れていましたね。ダラク。あなたはなぜ逃げ帰ってきたのです?」
こちらを見ずに問いかける。一体どんな顔をしているのだろう……ダラクは急激に渇き出した喉を唾で湿して応える。
「手柄なら、ある……」
「ほう」ハラヴァンはまた歩を進め階段を上る。
追い縋るようにダラクは続けた。
「ウツロを覚えているか? 鎧の野郎だ。奴と戦い、わかったことがある。
奴は殺せるぞ」
「なるほど……ではなぜ殺さなかったんですかねぇ」
二人は上階に着いた。薄暗い闇の向こうに見覚えのある繭がある。
ダラクは己の声が震えているのが悔しかった。
「場を整える必要があった。あの場では殺す手がかりを見つけただけでも儲けものだったんだ。なぁそうだろ。俺が死ねば鎧の殺し方は分からず仕舞いだったぜ」
二人は繭の前、後ろ手に組んで話を聞いているハラヴァンに対して、ダラクは彼の背に隠れるように繭と対面する。気丈に振る舞いながら油断なく警戒し続けていた。もし、繭からユラが飛び出して来ても身を守れるようにハラヴァンの陰に陣取っている。
「……貴方の強かさは評価していますよ。
詳しく聞かせてください。鎧の殺し方とやら」
ダラクは首肯し、慎重に言葉を選んだ。
ただ情報を売ってしまえば、その後用済みになる。話し終えた後も、「俺を殺すにはまだ早い」と思わせなければ……彼にとっての正念場だった。
語るのは、荒唐無稽な奇襲のあらまし。
その結末にウツロの正体が名も知らぬ幼女であると伝えたとき、流石のハラヴァンも表情が動いた。事ここに至ってでたらめを言う度胸はないと見ているが、ハラヴァンは苦笑を隠せない。
「……つまりこうだ、鎧の中は別の術者に繋がっている。自立した魔導具に見せかけているが、そうじゃなかった。
俺はその魔術回路を逆から辿ることで、別の場所で鎧を操っていた術者の正体を掴んだに違いない」
「なるほど」
「考えてみれば先代が生み出したと言われても、二百年間動き続ける魔導具なんて嘘だぜ。封印されていた理由もわからないだろ。そんな便利な鎧なら、ずっと前線で戦わせておけばいいじゃねぇか。だがそうはいかない事情があった。
鎧は、継承者に合わせて士気を高めるために用意された偽物だ。だから、また俺が奴と戦う。今度は鎧を操っている術者の精神まで潜り込んで、魂を犯してやる」
「……なるほど。よくわかりました」
ハラヴァンは両手を合わせて話を切り上げると、声音を変える。
「……とはいえ、精神に忍び込む呪術は貴方だけの術ではありませんよね」
「なに……?」
「それにダラク。あなたの術式では血の門を繋ぐために、場合によっては相手の動きを封じる必要がある。ニァルミドゥも、鎧も、凍らせなければ侵入できないでしょう」
ぱん。と合わせた手を叩く。ハラヴァンはもう一人、この場に招いている人物がいた。
「……エンサ……!」
ダラクは名を呼び、奥歯を噛む。
階段を降りてこの場に現れたのは醜く太った男、名をエンサと呼んだ。
同じ領内で年も近いだろう二人は、互いに面識もあるようだ。
「ぐひひ……」脂肪に埋もれた喉から気色の悪い笑い声が発せられる。「その役目は私が引き受けましょうぞ」
忌々しくエンサを睨み、ハラヴァンに縋る。
「ハラヴァン、俺はまだ使えるぜ。心配なのはわかるがエンサに頼る必要はねぇ。
鎧の内側は迷い道だ。俺じゃなきゃ道を進めない」
この発言は保身のための嘘だった。いや、ダラクが仕込んでいた嘘はそれだけではない。己のためにと二重、三重の嘘を渾身の二枚舌で語っている。
「落ち着きなさいダラク。用済みだとは言っていませんよ。
前線はもうすぐ継承者が来る頃でしょうし、戦力を無益に失うことは致しません」
「ならあの娘は――」と言い、ダラクは慌てて口を噤んだ。
「……ニァルミドゥを喰わせたのは、ヨナハの龍体術のために必要だったからです。災禍の龍の種として彼女は触媒となるでしょう」
ハラヴァンの言葉に反応して、部屋全体が大きく揺れた。
忘れていたが、ここにはヨナハの姉――ユラ――がいる。
「見てください……絶望は伝染するのです」
ハラヴァンは「繭を見ろ」と手で示す。
地下構造は繰り返し揺れて、柱が悲鳴を上げる。
かけがえのない妹がハラヴァンの手にかかったのだと知ったユラの繭が怒り、この部屋を揺らしているのだ。
「どうか落ち着いて。ヨナハは生きています」
ハラヴァンの言葉が届いたか、繭は暴れるのをやめた。
「あぁ……失敗作のユラ。貴女の妹はとても優秀でした。姉よりも先に龍の子となりました……羨ましいですか?」
ハラヴァンの問いかけに、繭の一点は大きく盛り上がり、尖っていく。内側から爪を立てている。
繭の一点が鋭く突き出し、そこに小さな穴が開いた。羊膜を破るように、ユラは繭の中から粘液を引きずるように滑り出た。両腕の力で起き上がり、エンサ、ダラク、ハラヴァンと三人の男を睨む。
「ハラヴァン……あんたは――」ユラの声。
「殺したいですか? 気持ちはわかりますが、思い出してください。殺するは蚩尤。今の貴女には私だけではなく、継承者さえも容易く葬れる力があるのです」
ダラクは初めて見る化け物の姿を見上げ、目を奪われる。……これが失敗作だと……?
「……おめでとう。貴女の絶望が完成しました。六欲の欠落者、嫉妬のユラ……」
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[09 勇名の矜持 前編 完]
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