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最後の異世界転生譚 ――Echoes Beyond the Aurora Manuscript――  作者: 莞爾
09 勇名の矜持 前編

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67話 恨むことで立ち上がれるやつは確かにいる

「よし、決まりだ」


 イクスは膝を叩いてウツロの背嚢をまさぐる。熱い板金に温められたそれは窯から出した焼き立てのようで、もしかしたら三日持つと言ったのも間違いではないのかもしれない。

 廃墟の暗がりに顔を隠し、イクスは遅めの昼飯をさっさと口内に詰め込むと、酒を飲んで腹に流し込む。


 ほんの少し防壁から目を離した隙に、鏑矢が飛んだ。


「見たか?」イクスは面頬を慌てて付け直して問う。


 ウツロは首の代わりに上体を横に振った。トガはここに現れていない。討伐隊の索敵範囲よりも南に陣取ったとはいえ、必ずしも先に見つけられるわけではないようだ。


 防壁は広い。同じ南でも南西か南東か、トガが現れるだろうと踏んだ防壁の一部しか見張ることができない。鏑の音からしてトガはずっと西側で索敵されたらしく、じっと空を観察すると昼の空に流星が駆け抜けていくのが遠くに見えた。

 遅れて地鳴りが雷鳴のようにごろごろと響く。


 アーミラが、また手柄を立てた。


 ――これで満足か?


「おいおい、あんな芥子粒けしつぶみたいに遠かったら見たうちに入んねぇだろ」


 もう一体待つ。叶うなら目の前で見たい。

 充分身を休めたが、こうなっては見届けるまで帰れないとイクスは言った。


 立ち上がり、斧槍で西を示す。

 一度トガが現れた場所であれば、前線の取りこぼしが再び現れるかもしれない。


 ウツロは先を歩く男の背を見つめる。

 彼が暗がりで昼飯を食べていたときにトガが現れた。果たしてこれは偶然だろうか。


「疑うのは結構だが、俺は間者じゃねぇ」


 振り返らずにイクスは言った。


「……誰かを恨むことで立ち上がれるやつは確かにいる。誰も恨めずに死んじまうくらいなら、その方がいいと思ってる」


 二人きり、西へ向かう道。

 イクスは語りだした。


「だが俺は、恨むことに慣れちまってな。他の生き方ができなくなった。このまま朽ちてなまくらになるくらいなら全部忘れて楽になれたらいいんだが……たった二年じゃあそれもできない」


 後ろを歩くウツロに振り返る。


「百年経ったらどうだ? 二百年経てば……忘れられるか?」


 先代と過ごした日々も、その戦火での恨みつらみも、お前はもう覚えていないのか。


 イクスは皮肉を言ったわけではない。切に思う本心が零れ出たのだ。

 仮面の奥に隠していた男の心根を見て、ウツロはそれでも過去を語らない。覚えているとも忘れたとも答えなかった。


 それでもイクスには何かが伝わったようで、どこか満足気に鼻で笑う。

 防護結界が揺らぎ、境界面が陽光をきらりと反射する。


「……おい」


 腰をかがめてウツロを手で庇う。「先を歩くな」という身振りだ。

 斧槍で示すのは防壁よりはるか上空。結界を突き破り平原に侵入した有翼の蛇を認めた――トガだ。


「翼があるなんて、今までなかったぞ……」


 イクスは仮面越しでもわかるほど驚いていた。

 これまで討伐してきたトガはどれも、地を這う獣を模倣した化け物ばかりだった。翼を持つのはこの世で帝のみだと信じられており、まさか敵が、それも蛇が、翼を持っているのは驚くべきことである。例えその翼が蝙蝠に似た飛膜でも、前例は無い。


 かなりの高度を飛翔しているため体躯は把握できないが、相当に大きい。

 飛膜を持つ蛇は空に浮かぶ十字の陰となって北へ向かう。それが一つ、二つ、三つ……。


「おいおい、おいおいおい……!」


 イクスは空に釘付けになる。

 トガの数は七匹。一気に前線から漏れ出してきた。

 あれが内地へ向かうとするなら、防壁の結界さえ飛び越えるだろう。


「やべぇんじゃねぇか……ラーンマクは……」


 ウツロはトガを追いかけようとするが、イクスは腕を掴んで引き留める。


「待て! 近付くと危ねぇぞ……! 矢が降るんだから……!」


 馬鹿正直にトガの背中を追いかければ、アーミラの射線に入って巻き添えを喰らう。味方に当てないようにしているとは聞いているが、倒されたトガが頭上に落ちてくることも大いにあり得る。二人は群れの側面に回り込んで駆け出し、距離を保った。


 こぉぉぉん……。

 邸の方向から、空に向けて矢が放たれる。討伐隊の鏑矢だ。兵達も異常に気付いたらしく鏑矢を二本、三本と空に向けて放つ。


「七匹分の矢を放つつもりか……!?」


 指揮が混乱している。やはり有翼のトガが現れたのは異常事態なのだろう。


「ウツロ、悪いが討伐はやめだ。邸を護るぞ」


 イクスは苦々しくそう言い残し、己のたがを外す。

 斧槍を両手で握り、兵達の下へ鋒を向ける。そしてウツロの視界から消えてしまう。

 神出鬼没の移動術の正体は、斧槍に刻み込んだ魔術回路の縮地術だ。


 『護る』と言い、邸へ引き返したイクスは、敵か味方か行動で示した。

 ウツロは後を追いかける。





「今日は久しぶりに穏やかですね」


 ウツロと別れた朝のこと。

 前庭と玄関を繋ぐ通路の低い階段を椅子にして、アーミラは分厚い古書に顔を埋め文字を追いかけていた。

 声がした気がする……もしかして私に向けて話しかけたのかな……。


 アーミラが顔を上げると、ニールセンが手を振る。


「すみません。お邪魔でしたか」


「あ、い、いえ……」


 ニールセンはそっと歩みを寄せながら、「一度話してみたいと思ってたんですよ」と笑う。


「継承者にずっと憧れていまして」


「男性でもなれるんですか?」


「まさか、なれないからこそですよ。……難しそうなものを読んでいますね」


 ニールセンが古書に気付き、膝に手をついて屈むと紙面を覗く。

 別にやましいことなどないのだが、見知らぬ者に読みかけの書を覗かれるのは無性に気恥ずかしい。かといって隠すように閉じてしまえば、かえって後ろめたいものを読んでいたのかと誤解されるかもしれない。アーミラは顔を赤くして、ニールセンの視線が離れるまでは敢えて開いたままにした。


「……よ、読めますか?」


「いやぁ、私は識字の覚えがありませんので」ニールセンはくすぐったい笑みで襟足の短い頭を掻く。「自分の名前だけ書けますよ」


「名前だけ……」アーミラは不思議そうに言葉を転がす。


「大事ですからね。名前は」ニールセンは指を立てて続ける。「伯爵の書類にも署名しなくちゃいけませんので」


「なるほど」アーミラはそう思った。なるほど。


「今日は久しぶりに穏やかですね」


 ニールセンは繰り返す。

 そう……今日は穏やか、というより奇妙なほど静かだった。トガが現れないのであればこちらもやることはない。だからアーミラは、暇つぶしに杖から古書を持ち出して読み耽っていたのであった。


「そう、ですね……鏑矢が鳴りません」


 会話が途切れ、二人はぼんやりと南の空を眺める。アーミラはこの無言のひとときを気まずく感じた。それとなく書は閉じて膝の上に乗せるとニールセンを窺う。大らかな性格のようで、彼はこの沈黙を苦にしていないようだ。なにか話題を振らなくては自分だけ居心地悪くなってしまう。


「あっあの……イクス、さんのこと、なんですけど……」


「はい」と返事をするニールセンの表情がわずかに曇る。


 やっぱりなんでもないと言うべきか、アーミラは逡巡するが口はもう動いてしまっている。


「彼の過去について、き、気になってまして……あ、いや別に話しづらいことならいいんですけど、こう……、なんで皆隠すのかなって……」


 辿々しく話すアーミラにニールセンは腕を組んで首を困らせた。


「ハル……いえ、イクスさんは少し混み行った事情がありまして……」


 口ごもる態度に、アーミラは胸の奥で落胆する。やはり語ってはくれなさそうだ。


「でも、二年前まではあの方が隊長を勤めていたんですよ」


「え」


 驚くアーミラの声にニールセンは笑う。


「今の姿からは想像できないですよね。……でも本当なんですよ」


 アーミラは素直に頷く。

 ウツロから話は聞いていたが半信半疑だった。まさか隊長だったことの裏が取れるとは。未だに仮面の男が元隊長であると想像できない。

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