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最後の異世界転生譚 ――Echoes Beyond the Aurora Manuscript――  作者: 莞爾
09 勇名の矜持 前編

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65話 誰もお前になりすますことはできない

 ――お前はなぜここにいる。


 イクスは闇の中に書かれた文字を読み、鼻を鳴らす。


「お前と話す理由か? それとも邸に居座る理由か」


 ――どちらも。


「……お前さんと話すのは、唯一無二だからだ。誰もお前になりすますことはできないからだ。

 ここに居座るのは……話せば長くなるが、一言で言えば恨みだな」


 ウツロはその返答では満足できない。何も納得がいかなかった。


 ――恨みと言ったな。長くなっていいから聞かせてくれ。


「アーミラも恨みに囚われているからか?」


 イクスは鋭く言い放つ。この言葉だけは聞き間違うことなくウツロに届いた。


 喃語のように口の回らない様子から、痴呆があるのかと思う者も少なくない。より酷い言い方をするなら『気狂い』という認識を持つ者さえいる。

 しかしイクスは退役兵……過去に討伐隊に属し兵役を全うしているのだ。つまり、今の彼が持つ身体的な不自由は後天的なものである。

 脳が壊れたから身体が動かないのか、脳は無事だが口が動かないのか、ウツロには判断ができないことだ。


 ――何を恨んでいる。何に囚われている。


 ウツロはさらに問いかけを重ねた。


 イクスは仮面越しに無精髭を撫で、ウツロの横に腰を落ち着かせると胡座をかいて月を見上げた。


「長くなってもいいなら、まぁ話してやろう。……俺を信じるかどうかは別だがな」


 そう前置きをして、イクスはこの夜、語り始めた。

 語りを聞いてウツロは理解する。『長くなる』というのは、語るべきことが多いというわけではなく、口がうまく動かないから手間取ってしまうという意味だった。

 苦労して話すイクスを前に、ウツロは重要そうな事柄は覚えるように努めた。彼の話は要約するとこうなる。


 二年前まで、イクスは討伐隊の隊長を務めていた。

 しかし一匹のトガが平原に忍び込み部下を殺した。

 トガは顔を奪い、その者になりすます力があった。


 そのトガを討伐するために俺は必死に戦った。……だが、部下と同じ姿、同じ声、同じ動きで攻める相手を前にして、酷く動揺し、殺すのを躊躇った。

 いざ追い詰めれば、トガは部下の顔で「助けてください」と命乞いをして、縋るような目をする。そして一瞬でも油断すると目の前から消える。

 苦戦を強いられる内に一人、また一人と部下を失い、――ああ、これは部下ではない。このままではだめだ。と、心を決めて仕留めたときには……。

 皆死んじまった。俺が斧槍を奮って頭を叩き割ったあとで、邸の奴らに取り押さえられた。『部下殺し』と罵しられて、今はこの有様さ――


「――おぇがこぉしたのは、とがなぉか、うかなおか、いまぉなっへあわかぁない」





「へぇ、そんな話が」


 あくる朝、空が白んだ頃にウツロはアーミラの部屋を尋ねた。

 扉を叩くも返答がないのはもう慣れたことで、その場合は部屋の中に杖だけが転がっていて十中八九アーミラはその中にいる。杖に嵌め込まれた天球儀の意匠が造形された宝玉を前に表面を叩けば、中にいるアーミラが杖の中から手招きで応えた。

 そしてウツロは、イクスから語られた話をアーミラに伝え、眠そうな返答が返ってきたのだ。


 ちなみにアーミラは、夜通し術の構築と改良に勤しんでいた。

 眠らない日も多いのだという。曰く、鏑矢の音で起こされるまでは仮眠を取れるので、夜にじっくり研鑽をしている。とのことだった。


「……でも、イクスの言うことだけを信じるのも危険ですね」


 アーミラはそう指摘する。


「いろいろな可能性がありますよね。まず、イクスの言っていることが正しい場合。……それは人に化けるトガがいるということです。それは禍人と定義されていますよね。ですが、『相手の顔を奪う』という無駄な制約があります。怪しいと思います」


 と、アーミラは断じた。


 ――何故?


 予想外に冷たい反応に、ウツロは不満そうに問う。


「主観的過ぎて信じるのが難しいんですよ。『自分が部下を殺してしまった。そのせいで邸での立場がない』……結果だけみれば間違いないでしょうけど、事情を知らない私や貴方の同情を誘うための嘘かもしれません。

 真実はもっと矮小で、イクスはそもそも隊長ではなく、過去に多くの仲間を失った討伐隊の生き残りで、邸はうだつの上がらない彼をこのまま隊に残しても邪魔だから退役させた。居場所がないイクスは新人の討伐隊に先輩風を吹かせてはいるけど、誰からも相手にされていない……とか」


 ――それだと、ナルの親を殺したという話が繋がらない。


「では、もっと根本から。長い討伐隊の兵役にイクスの気は触れてしまい、同じ隊の仲間であったナルさんの親を殺してしまった。

 その罪悪感から逃れるために、『やったのは自分じゃない。仲間に化けるトガがいたんだ』と嘘をでっち上げたとか」


 アーミラの組み立てた仮説でも筋は通る。反論に窮したウツロは筆が動かない。


「聞かされた話をそのまま信じるなら、邸内での立場はここまで落ちぶれないのでは? 隊長として部下に化けるトガと戦い、その果てに気が触れたと誤解されてしまったのなら、その誤解を解けばいいじゃないですか」


 ――イクスも怪我をしたのだろう。それで上手く話せなくなった。


「なら、……彼は何に恨んでいるんです? ここまでの仕打ちを受けたなら、矛先はトガではなく邸の者達への復讐かもしれません」


 そこまで言われてしまうのはあまりに無体だが、確かにイクスの言動も風体もどこか信用できないものがあった。邸から鼻つまみ者として扱われている姿からして、とても討伐隊隊長だったとは思えない転落ぶりだ。


 彼はこうも言っていた。『ここに居座るのは、一言で言えば恨みだ』……。


 推理に一段落の決着が付いた。反駁はないが、ウツロはじっと無言の抵抗をしている……そうまでして信じてほしいのだろうか。と、アーミラは己の言動に抜けがないか省みる。前にも憶測で行動し、ウツロの機嫌を損ねたことがあったことを思い出す。そのときにウツロは謝らなくていいと言った。行動で示すとも言っていた。


「食堂で……オロルさんは見逃した……」


 ぽつりと呟き、アーミラは髪を一房摘んで手遊びに弄する。

 以前、ウツロばかりが会敵することを訝しんで間諜ではないかと責めたときも、結局私は真実を掴みそこねていた。そのとき、オロルはウツロを疑っていなかった。

 彼女は常に正しい。一歩先、一手先を読み、真実の近くに彼女はいる。そんなオロルが食堂での顔合わせの際にイクスをわざと見逃した。本当に怪しい人物であれば、糾弾を緩めなかったのではないか。いや、その判断を私に託していたなら?


「巾着の銀粒……気配を消す移動術……彼を匿う伯爵……」


 独り言を呟き頭を悩ませ、耳の裏を掻いて大きくため息を付いた。疲労の限界だ。


「とりあえず彼は部下――または仲間を失いました。何人の犠牲かは分かりませんが、その一人にナルさんの親も含まれるのでしょう。

 私が留めておくのはこの一点のみです。彼が正気なのか、そうでないかの判断がつかないですし、そのどちらでもなく正気のまま狂った者、神殿を裏切る間者うかみである可能性もあります」


 アーミラは三本の指を立ててウツロに示した。


 同胞を殺した気狂いか。

 策に嵌められた隊長か。

 全て嘘の仮面の間者か。


「ウツロさんは仲良くやっているみたいですが、肩入れするのは危険すぎます」


 そう言ってアーミラはこの話を切り上げた。

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