64話 親を殺した相手に飯盛りをやらなきゃならないなんて
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次女継承者としての名誉を挽回してみせたアーミラは、その後も度重なるトガの襲撃を容易く打ち倒してみせた。日を追うごとに洗練されていく迎撃の魔術弓は邸のみならずスペルアベル平原全体の護りを盤石なものとした。
この頃になると討伐隊もアーミラを中心に構成されるようになった。
以前は騎馬隊二十四名からなる小隊で哨戒し、平原を駆け警戒に当たるのが常だった。しかし今では、限定的に班分けされ、防具も軽量化し、装備は鏑矢が主となった。
これは索敵能力を底上げするための戦略であり、班そのものが備える戦闘能力は低くなっている。平原の指揮を預かるスークレイは「それで問題ない」と判断した。
戦法は単純である。四人一班に分け交代で平原を哨戒、索敵を行い、見つけ次第鏑矢で邸に報告。それを聞きつけたアーミラが音の方角を目印にトガを撃退する。という流れである。
初めは討伐隊の中から反発の声も上がったが、スークレイはそれを一蹴して取り合わなかった。
彼女は生まれも育ちも前線である。こと戦力、兵法においては合理を尊重する。使えぬものは捨て、使えるものはなんでも使う。一度捨てたアーミラでさえも、有用性を認めれば掌を返して重用する手駒にした。その面の皮の厚さは大したものだった。
不満を溜めていた兵達も数回の実戦で意識が変わった。この戦法によって一番の利を得るのが、何より自分たちなのだと実感したのだ。まず、班に分けられたことで休憩する余裕がうまれた。防具を最低限に絞り軽量化することで、夏の暑さを幾分か軽減させることもできた。しかし戦闘で略装は心許ないのではないか……心配はいらない。兵は鏑矢を放った後、退却すればよいのだ。後のことは全て次女継承者に任せればいい。
こうして、出ずっぱりだった兵の負担は大幅に改善され、戦闘時の損耗もほとんど無くなり、平原はトガ一匹入り込めない堅牢な街となった。スークレイの采配は見事なもので、流石は前線伯領と褒めそやされた。
非の打ち所はない。現状の最適解である。
そんな士気も高まる邸にて、アーミラとは反対に不要とされたものがいた。ウツロである。
鎧は鏑矢の扱いに慣れず、また会話もできないとあって班の一員から除名された。今の平原では輪を乱すだけの雑兵で、夜の見張りも交代で行う余裕があるため、お払い箱であった。
居場所を失ったウツロは特に落ち込む様子もなく、日がな一日邸の周りを逍遥し、夜になれば屋根の上に身をおいた。
居てもいなくても変わりない、部屋と飯の用意の必要もないという手のかからない存在は、邸の者達からはまるで見えていないような扱いを受けていた。……幽霊を見たと言った本人が幽霊に成り下がるとは、恐ろしい話である。
邸で顔を合わせる兵も従者も、ウツロが筆談で意思疎通ができることを知らないため噂話や陰口も口さがなく、ウツロがそばを通りかかっても声を潜める努力さえしなかった。
「あの気狂いはいったいいつ追い出すんだろうな」
……それはウツロが聞いた、兵の陰口である。
交代制にしてから、邸に待機する討伐隊の姿を見るようになった。
暇を持て余した彼らは、猛暑の鬱憤を晴らすように愚痴をこぼし合っていた。
会話の流れは、スークレイ女伯が指揮権を握ってから負担が減ったという話から展開され、どうせなら女伯の采配で邸に居座るイクスを追い出してくれたらいいのにと、兵の一人が言い出したのだ。
前庭を彷徨いているウツロの存在には兵達も気付いていたが、首無しでは噂話もできないと高を括り、眼の前で堂々と陰口を叩き続けていた。
「セルレイ伯爵もあいつをいつまでも匿って……次また事が起きたらどうなるか、俺はひやひやだぜ」
「ナルも可愛そうだよな、親を殺した相手に飯盛りをやらなきゃならないなんて……まったく不憫だよ」
違いない、違いないと頷き合う若者たちを咎めたのは、同年代の青年であった。
「こらこら。そんなところで怠けるために班分けしたんじゃないぞ」
廊下の先に立っているのは討伐隊の隊長、ニールセンだ。
陰口を叩いていた兵は背筋を伸ばし威勢の良い謝罪を口先で唱える。言い慣れた態度からこういった注意を受けることに慣れているのだろう。
ニールセンはちらとウツロの方を見て眉を下げた。
「すみませんうちの部下が」
愛想のいい笑みで頭を下げるニールセンの横をウツロは通り抜ける。何を思うでもない足取りで邸の内外を歩き続けた。
その夜。ウツロは屋根の上に腰を下ろした。
ふらりと現れるのは同じお払い箱のイクスである。
「やぅ」
足音もなくウツロの背後に立つ仮面の男。不要の烙印を捺された者同士、どこか気やすい声がかけられる。
「ぢょうひあどうあ」
ウツロは聞こえていたが、返答に困っているようだった。筆がないわけではない。イクスがなんと言ったのかわからなかったのだ。
イクスはもう一度繰り返す。まるで唇の皮膚が突っ張っているような、聞き取りづらい言葉だった。
「ぎ、ぢょうし、はぁあ、どうあ」
イクスの努力には応えたいが、言葉を区切ることで余計に崩れてしまっている。ウツロはいっそ互いに筆談をしようかと炭を差し出そうとした。
「『調子はどうだ?』と言っているみたいですよ」
ウツロは声がした方に振り返る。屋根の下、薄暗い夜の前庭にアーミラは立っていた。こちらを見上げる姿勢は気怠そうで、半ば閉じた目は隈が貼り付いている。
「……私はもう寝ますね。おやすみなさい」
そう言って小さく手を振ると、アーミラは足早に邸の中へ姿を隠した。ひたひたと、隠し事を抱えた子どものような密やかな靴音が夜闇に溶けていく。
アーミラはきっと今夜も寝食を惜しんで魔術の研鑽に励むのだろう。背負った使命。有用性の証明。与えられた力……。後ろ暗い活力が今の彼女を動かしているのだと思えば、ウツロは屋根を降りて後ろについて行く気にはならなかった。
静寂が再び夜を包む。ウツロは硬い屋根に乾いた炭をさりさりと走らせた。
――調子は変わらない。
イクスに向けての返答だ。
この夜の月光はやや心許ないが、青みがかった冷たい屋根に黒ぐろとした炭の文字は読めないことはない。イクスは目が慣れるまでじっくりと文字を見つめ、ははぁ、と不気味に笑った。
「おこざぃきんえは、うたい、立場がいくてんしたぅかぁな」
またもウツロは聞き取れなかった。
この夜、同じようなやり取りが何度となく繰り返されたが、この場では省略する。
イクスはこう言っていた。
「ここ最近では、二人、立場が逆転したからな」
苦労して聞き取った言葉は皮肉だった。
――お前は、俺しか話相手がいないのか?
「他にいると思うか?」
――失礼。莫迦にしたわけではない。夜更けまで起きているのは体に障るだろう。
「はっ……労わるにはもうぼろぼろだよこの体は。
お前さんこそ、眠らないらしいじゃないか」
――睡眠は必要ない。
「羨ましいね。俺もそんな形なら、死ぬまで戦い続けるだろうよ」
その言葉は、手に入らないと知っているからこそ軽はずみにでた大言壮語か。ウツロは推し量るようにイクスを見つめる。仮面の男は本心から言っているんだと伝えるように、首があるはずの鎧の上にある虚空を見つめ続けた。
足を引きずって歩き、顔には面頬。伯爵への忠誠はある一方で、従者ナルの親を殺したという噂も聞いた。邸での扱いは不遇なのか当然の報いなのか……ウツロは目の前の男に問う。




