63話 先代の手記
左腕? とウツロは身振りで返答する。
「スークレイさんの左腕です。あれも義手なんですよ」
そこまで教えられてもウツロは話が見えていない。
義手だからどうしたというのか。……そんな態度を見て、アーミラは一から説明することにした。
「外衣を着ていましたが、スークレイさんは左手だけ篭手で隠していました。いえ、隠していたわけじゃないですね……あれは義手なんです。意匠がガントールさんの右腕とお揃いですから、すぐにわかります」
アーミラは一度言葉を切る。
「ウツロさんはガントールさんの右腕が義手なのって……そこから知らないですか。……あれは義手なんですよ。二の腕から先は断ち切られたような傷があって、代わりに義手を填めているんです。姉妹で左右……」
――鏡写しなのか。
「はい。顔立ちも似ていて、躰の特徴もそっくり。とても珍しいですが二人は双子のはずです。それも、腕が繋がって産まれてきたのでしょう」
当然そのままでは生活に不都合が出る。だから産まれてすぐに二人の結び目を断ち切った。
――理解した。だから切り分けた姉妹なのか。
アーミラは頷く。
「そうです。……極稀にそういった身体の特徴を持って産まれる子供はいるんですよ」
――切り離した双子のうち、ガントールだけが刻印を授かったということか。
何気なくウツロが床に書いた言葉を読み、アーミラは思いがけず忘れていた事実を思い出す。産声を上げた二人の姉妹が切り離され、運命は姉だけを女神に選んだ。
選ばれなかったスークレイの心境は如何許りか……推し量るにはまだ、彼女を知らなすぎる。
「一緒に生まれてきたのに、片や前線、片や神殿の育ち。そのせいか性格は正反対になっていますね」
アーミラがそう言うと、ウツロは思いついたように炭を走らせる。
――天秤の継承者だからなのかもな。
その文字を目で追い、アーミラは腑に落ちた気がした。ウツロの返答は含蓄に富み、魔導具の備える知性を逸脱している。
左右の皿に同じだけの質量を乗せて吊り合う関係。両極端な姉妹は、ガントールとスークレイの両者が絶妙な均衡を保ちながら成長する……。
――ところで、躰の繋がった双子なんて、そんなことを何故知っている?
ウツロの問いかけにアーミラは答えようとして、言葉が出ない。自分でもわからなかったのだ。本で読んだのか、まさか似た境遇の人に会ったことはないだろうが、知識の出所は記憶になかった。
「えぇと……なんで知ってるんでしょう……」
苦笑して、ふと笑っている自分に気付く。あれだけささくれて、沈んでいた気持ちはいつのまにか随分と和んでいた。やはり、鎧と過ごすひとときは心地よいとアーミラはしみじみ思った。
血も流れない。温もりもない。そんな目の前の魔導具に覚える感情に名前を付けようとしてアーミラは首を振った。……いけない。形を決めてしまっては……。
「そういえば、どうですか? この部屋は」
アーミラは話題を変える。整理したこの小さな私室の出来栄えを披露し、今更ながら感想を求めた。
「私もやれることはやっていたんですから」
邸の主として任された数日間、奇襲もなく平穏だったあの日々を、ただ怠惰に過ごしたわけではない。
まず自室――驚異の部屋――の整理。ウツロを招き入れたのもこの部屋が客人を招く準備が整ったからだ。その際うえにある書架の方もある程度見てまわり、いくつかの魔導書を紐解き自主的な座学にも励んでいたのだと語る。文机に積まれた羊皮紙の古書や書簡の類いはアーミラが棚から持ち出したものである。
「いいものを見つけたんですよ。これを見てください」
アーミラの声は少し昂り、私室の寝台の傍に寝かせてあった一冊の書を取り出した。
その古びた書は、革製の表紙に題名も著者も記されていない。
――なんだ?
「先代の手記です」
アーミラの言葉に、ウツロの聞く姿勢が明確に変わった。
二百年前の継承者……アーミラにとっては遠い歴史の出来事でしかないが、ウツロにとっては事情が違う。共に生き、そして別れた人間の言葉がこの書の中に眠っている。
ウツロはその手記にそっと手を伸ばし受け取ると、固くなった皮の装丁を慎重に折り曲げた。羊皮紙特有の硬い質感の紙がウツロの指先によって撓み、かさかさと音を立てて捲られる。
「ずっと気になっていたんですが、見えるんですか?」
頭もないのに。というアーミラの問いかけには答えず、ウツロの両手は手記を持つことに使われていた。返答がないことに頬を膨らませて不満げにしているアーミラを気にも留めない。
まじまじと紙面を見つめた後、数枚捲って肩を落とす。そしてアーミラに手記を広げて突き付けた。『何も書かれていないぞ』と訴えているようだった。
実際、手記は頁を捲れども白紙が続く。それはアーミラも承知済みである。この書には細工が仕掛けられているのだ。
含みのある笑みを口元に浮かべたアーミラは、手記を預かると寝台の上に腰掛ける。初めの頁を開き、右手の人差し指を栞代わりに挟み、書の天部を摘むようにしてウツロに向けた。
「きっと彼女は秘密主義だったんですね」
既に手柄顔のアーミラは、言いながら手記を胸元に引き寄せた。正確には寝台の置かれた領域範囲に手記を移動させた。
じわりと染みが広がるように紙面に文字が浮かび上がる。
特殊な魔導回路が刻まれていた。術式としては簡易的な結界に近い。寝台の領域を内と外に分け、書物に記した言葉に閲覧制限をかけている。持ち出されたときに内容が読めないようにしたのだろう。
ただでさえ、杖の中に部屋がある事が秘密なのだ。継承者の許しがなければ驚異の部屋に招かれることは叶わない。この厳しい条件を満たし、上の書架から白紙の本を見つけ、寝台の上でしか読むことができないと解明するのはかなり難しいだろう。もはや誰にも読ませる気がないほどの秘匿性である。
唯一この条件を満たし、閲覧を許されているのは次代の次女継承者であり、恐らくは先代もそれを想定してこの置き手紙を遺したに違いない。
アーミラがこれを解明したのは、つい昨晩の出来事だった。
「言葉はちゃんとここにあります。
私もこの方のように、強くなります」
……こうして、アーミラは静かに誓いを立てた。
❖
その約束を果たそうとしている。
今の己にできること。その積み重ねによってアーミラは名実共に継承者へと至った。
南部に現れたトガに向かい、青空を幾筋も駆け抜けていく流星群。
ウツロは土を踏み締め、蹴り出す脚に力を込める。前へ、前へと速度を上げる。昂りに身を任せ走る。
もとより心配はしていなかったのかもしれない。ウツロは出会ったときからアーミラの強さを疑わなかった……それは先代の力を一番近くで見ていたからか。次女継承者が授かる能力を遺憾無く発揮したとき敵う者はいないのだと信じていたのだろうか。




