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最後の異世界転生譚 ――Echoes Beyond the Aurora Manuscript――  作者: 莞爾
08 吊るし人

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58話 こいつの名前は

 アーミラは思わずオロルの様子を窺う。神出鬼没の移動術ならば彼女に勝る者はいない。私に見えずとも彼女には見えたのではないか――そう望みを託して見つめたオロルの横顔には余裕の笑みが浮かんでいた。


「『兵ではない』と言っておったが、見たところかなりの手練……なぜ兵にせんのじゃ?」


 オロルの言葉に伯爵が答える。


「しないわけではない。こいつは元々兵だった」


「退役か」


「そうだ。役目を終えた以上、継承者に紹介する必要はない」


 それらしい事を言うが納得はできない。退役した兵だというが、本人を前にして『こいつ』だとか『紹介する必要はない』とか、いやにぞんざいな扱いだ。それに追求を拒むような口ぶりも気になる。


「役目を終えたにしては、まだ使えるように見えるが」


「生き延びるのも一苦労な役目だ。五体満足な内に余生を過ごしてもらう」


「……本人の口から話を聞くことはできんのか? おいお前、名は何だ」


「やめろ。答えなくていい」伯爵は制するように仮面の男に言い、椅子から立ち上がりオロルの視界を遮る。「こいつの名前はイクス。元兵士だ」


「住み込みか? 夜警をしておるのか? 忠誠心はまだ現役みたいじゃな」オロルは尚も仮面の男に問いかける。金色の瞳は目の前の伯爵を透かして仮面の男を見つめ続けていた。


「おい、無礼だろう」伯爵の声は怒気を孕み、卓に乗せた手は拳を握る。


「オロル、そのへんにして」と、ガントール。


「では、最後にしよう。なぜ退役した兵を邸に囲っているのか、教えてもらえるか?」


 オロルは淡々とした態度で質問をぶつけた。伯爵は口籠くちごもりながらも返答を絞り出した。


「……私はこの地を護る領主だ。従える者は、除隊した者も含めて、その命を預かる責任がある」


 言葉を慎重に選んだ風だった。

 アーミラはこの場に沈黙が広がる気配を感じた。が、オロルはあえて詰め寄らず小癪に笑う。


「まぁ、よい。数に入らぬ兵なら、わしらにもおるのじゃから」


 伯爵に倣い背凭れに腕を回して後ろに首を回したオロルは顎でウツロを示した後、皮肉混じりに続ける。


「素性の知れん顔の無い兵士……アーミラは気が合うんじゃないか?」


 そんな言葉にガントールは冷や汗を浮かべながら笑い、伯爵も小さく苦笑する。オロルはその気になればもっと詰めることもできただろう。感覚的には伯爵の襟を掴んでいるようにさえ見えた。それをぱっと離し、見逃した。

 糾弾するつもりはないという継承者側の意思表示に多少なり場が和んだ横でアーミラはほっとするのも束の間、一人閉口する従者を視界の端に捉える。冷や汗を乾かす微風のような愛想笑いが溢れる食堂に、一人陰気な侍女がいる……。あれは昨晩飯盛りをしていた女だと気に留めるが、アーミラは顔を向けず、努めて気付かないふりをした。


「邸の人間がこれで本当に全部なら、紹介の続きを」


 オロルが仕切り直すと伯爵は同調し、従者の紹介に入る。六人の侍女達は魔人種のみの構成で、主な仕事は邸の清掃と主人の世話である。

 一人ずつ名前を紹介されるが、アーミラはほどほどに聞き流していた。覚える対象を絞っている。あの一瞬、笑みもなくこちらを見ていたあの侍女の名だけに……。


「――次にこちらがナル。主に炊事を担当している従者だ」


 前に並ぶ数名の従者の紹介と名乗りが終わると、ついに伯爵は目当ての侍女を手で示した。

 促されるままにアーミラは侍女の方へ顔を向け、それとなく観察する。やはり昨晩に見た飯盛りの従者である。

 侍女は裾を捌いて一礼し、名乗る。


「従者のナルです。どうぞお見知りおきを」


 小さな尖り耳に日に弱い白い肌。アーミラと同じ魔人種でも背丈も歳も幼く見えた。

 従者が身に纏っているお揃いのお仕着せは裾が長く地味な作りで、汚れが目立たないように暗めの色で統一されているが多少なり色味が異なっていた。赤茶けたもの、深緑のもの、銘々に異なるがナルと名乗った女はやや黄土色のお仕着せである。肩口で切り揃えられた髪は栗色で、全体的な印象は柔らかいが、顔の作りはあどけないなりにやや冷たく、表情に乏しい。


 他の者たちと同じように伯爵はさっさと次の従者の紹介をする中アーミラは笑わない少女をまだ見つめていた。飯盛りの従者であるナルは食堂が持ち場であるため紹介後もまだそこにいたのだ。


 どこか気丈な振る舞いと、顔に張り付いた膨れっ面。初めは怪しい人物ではなかろうかと警戒したがこうしてみると笑みのない表情にも推し量れるものがあり共感できた。

 アーミラはナルという少女に自身を重ねていた。幾つなのだろうか、周りの侍女と比べて頭一つ低い背丈で粛々と働くその姿……戦災孤児か。きっと親はいないのだろう。


 もし私が流浪の民として内地に逃げ延びなかったらこうして生きていたのかも知れない……と、思い馳せているアーミラは頭蓋の内側が妙にくすぐったい気持ちになった。ぴりりとした微弱な雷が脳内を駆け巡ったような感覚の後に、いつか見た夢を思い出す。


 それはひどく曖昧な遠い日の思い出。視覚と聴覚の記憶だった。


「……、ア………ラを……」


 幻聴のように脳裡に繰り返される声。

 食堂の椅子に腰掛けて残り数名となった従者の紹介を聴き流しているとき、アーミラは内側から響く声に意識を引き摺り込まれた。


「どうか、……ミラを……」


 己にだけ聴こえる幻聴は次の刹那には記憶の奔流として一息に脳へ流れ込む。

 アーミラの意識はスペルアベルから離れ、時を遡っていつかのどこかへと辿り着いていた。


 それは、誰かの腕の中だった。


 視界を覆う人影が声の正体か。せわしなく、なにかに追われているかのように落ち着きがない。私を抱きしめる人物は、別の誰かに向けて私を譲り渡すようにその腕を解いて離れてしまう。繰り返されていた声が誰に向けての言葉かはわからないが、ぼんやりと映るその人の視線は私の頭上を見つめていた。きっと幼い頃の記憶なのだろう。彼は子供の私ではなく背後に立つもう一人の大人に向けて伝えていたのだ。


「どうか、アーミラを――」


 背後に立つ大人は、彼の言葉に頷きを返した。決意の息遣いだけが背中越しに聴こえた。


 場所は室内と見えるが窓は小さく、棚に遮られて射し込む光は埃を照らしている。

 私の視界は不意に浮き上がり、彼とは別の何者かに背後から手を回され抱きかかえられると、抵抗することもできず運び出される。

 高くなった視点で、彼の顔がこちらを向いた。目も鼻も、輪郭さえも靄が晴れず、鮮明には思い出せない。こもって響く声音はどこか朧げで印象を掴み取れない。ただ男性であることだけが理解できた。もしかしたら彼は父なのかも知れない。


「いつか、必ず…………から……」


 部屋に取り残された男の声は遠くなり、小窓から射し込んでいた光も届かなくなる。一面は闇に覆われ、唯一感じるのは私を抱えて走る何者かの切迫した息遣いだけ。喉から出る荒い呼吸は女性のようで、心当たりがあるとするなら師匠マナ……いや、若い印象を受ける。では母なのだろうか……。


 思い出したのは短い夢だ。

 いつか見た夢だ。


 でも夢ではなかったのだ。

 この記憶は過去、己の身に起きた出来事なのだと確信する。


 体感ではほんの一瞬だった。我に返り、隣に座るオロルとガントールは私の異変に気付いてはいなかった。

 去来する記憶の断片が不意打ちで流し込まれ、後に残る懐古の余韻がじんと胸に染み込んで、アーミラは悟られないようにそっと涙を指先で拭う。


 まさか幼い侍女が記憶の呼び水となるとは全く予想だにしなかったが、それでもアーミラは静かに打ち震えた。断片的だが記憶を取り戻している。決断は間違ってはいない。ここまで来て良かった。そう思えた。

 前線へ向かえばさらに思い出せることがある……そんな予感がしていた。

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