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最後の異世界転生譚 ――Echoes Beyond the Aurora Manuscript――  作者: 莞爾
08 吊るし人

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55話 幽霊を見た?



 平原にたむろする者達もすっかり眠りについた頃、夜店通りは灯りもなく、青い月明かりだけが心細く一帯を照らしている。ギルスティケー・セルレイ辺境伯領主の要塞めいた邸の屋根の上、月光を浴びる鎧はいた。


 首を失ったその見た目の悪さから、ウツロは衆目に晒されるのを避けるため一人で逍遥しょうようしていた。邸の従者ともすれ違わないように、通路を右へ左へと彷徨い歩いた後、夜の帳が降りると屋根の上で雨樋の彫刻のようにじっとしていた。神殿で過ごした日々とさして変わりのない夜だったが、ウツロは携えてきた得物の槍も失い、穂先の刃もなまくら、首に至ってはスペルアベルの兵に預けたきり戻ってこない。心持ち落ち込んでいるように見えた。

 その丸めた背中に鋒が向けられる。


「おい」


 ウツロはゆっくりと振り返る。声をかけられるまで気配を感じ取れなかったのだろう。首がないので相手の姿を捉えているのか怪しいが、目の前に立っている男に警戒はしていなかった。敵ではないと理解しているようだ。


 男の方も斧槍を離して石突を屋根につく。着古した軍衣は土埃に汚れているが伯爵お抱えの兵と同じものである。異様なのは、この夜半にあって面頬めんほおで顔を隠していることだった。


「おあえさん」


 と、発する声がおしとして、赤子の喃語なんごか老人の舌足らずに聞こえた。だが目の前の顔を隠した男の体躯は三十路ほどだろう。若さは失われつつあるが獣人種らしい隆々と引き締まった筋肉が軍衣の内側に包まれていた。

 男は続ける。本来はもっと聞き取りづらい言葉だがここでは意訳して記す。


「ガントールの連れだろう」


 鎧は頷くが、頭がないので首の板金が軋んだだけだった。

 取り敢えずは立ち上がってみたものの、問いかけに答える術がなく立ち尽くすウツロを、階下から指さすアーミラがいた。


「あ」思わず漏れた己の声が夜闇に存外大きく広がり、アーミラは口を両手で押さえる。そして顰めた声音で呼びかけた。「探しましたよ」


 ウツロは前庭にいるアーミラを見下ろし、次に面頬の仮面の男に向き直る。だが男はもうそこにはいない。幽霊でも見たか、ウツロは屋根の上を見回して姿を探したが、結局見つけることはできなかった。





「何をしていたんです?」


 あんなところで、とアーミラはちぎったパンを摘む手で上を示す。

 ここは邸の二階にある食堂の一劃いっかく。二人は前庭で再会し、首を失った経緯も、集落で瀕死の育ての親の安否についても一頻ひとしきり伝え合った。晩飯が用意されているとあって卓越しに向かい合う形で椅子に腰掛けていた。


 ウツロは慣れた手つきでアーミラの前腕に指筆で返答する。


 ――隠れていた。


「何からですか?」


 二人の会話は密やかながら食堂内に響いていた。オロルとガントールはいなかったが、食事を用意した従者の耳には次女継承者の独り言だけが訥々《とつとつ》と届く。


「怖がらせてしまう……まぁ、ないですもんね」


「幽霊を見た?」


「どうでしょう、仲間だと思ったんですかね」


 そう言って悪戯っぽく微笑む。向かい合うように腰掛けている鎧の魔導具は笑いこそしないが見守っているような雰囲気である。声を発さないのは会話の様子から見てとれた。従者は目を伏せてじっと待機するよう努めたが、物珍しさからついつい悟られぬように視線が引き寄せられる。


 片方だけの会話は続く。従者は話の流れを掴もうと耳を澄ませている。


「ところでウツロさん、これからのことは聞いていますか?」


 長い沈黙。どうやら指で書いている返事の内容が長いようだ。


「自信はありますか?」


「そうですよね……経験もありますし、先日だって今日だって戦っているんですから、あなたは心配ないですよね」


 そう言って励ます次女継承者の表情は暗い。


「私は……まだ戦ったことがありません……。幼い頃に修行は積んでいますが、前線で通用するのか不安です」


 耳をそばだてていた従者は思わず眉根を寄せる。女神を継承した娘が、今日まで一度も戦ったことがないと言ったのか……?


「『何故出征するのか』……ですか? そういえば言っていませんでしたね。私は……自分を変えるため……この戦いに、挑みます。無くした記憶を取り戻して、強くなれたらいいなって」


 手に持っていた器が卓に置かれる音。

 一拍の沈黙。


「――でも、約束したシーナさんもあんなことになって」


 継承者の声は、消え入るほど小さくなった。

 気を取り直し気丈に声を張る。


「そういえば、火を放った禍人と戦ったんですよね?」


 青い瞳が鎧の首の穴を見つめる。どうでしたと訊ねているのだ。

 鎧の指が再び言葉を書き始めた。走らせる運筆を追いかける。


 従者は己の勤めをひととき忘れ、好奇心に負けて文字を読み解く。


 ――やつは火を操るわけではない。熱を操っていた。


「水を出して冷やすこともできる……ってことですか?」


 ――火を出す、水を出すというわけではない。掌に集めた空気を操っているように見えた。


 次女継承者は鎧の返答を見届け、考え顔で卓に灯された蝋燭の火を眺める。既に器は空、客室で就寝してもよい頃合い。

 従者は無闇に燃焼して減っていく蝋燭を勿体無いと思っていた。そんな思いが伝わったのか、継承者は立ち上がると盆の皿を纏めて食堂を後にする。鎧も後に続く。


 従者は皿を片付けながら夢想する。私なら、熱を操る敵とどう戦うだろう……。





「そもそもの話なのですけど」


 アーミラは暗い廊下を進みながら、後ろを振り返らずウツロに言う。


「どうしてあの夜、貴方は集落の異変に気付くことができたんですか?」


 問い掛ける声は固く、初めて会った時のように距離を感じさせた。


 どこに返答を書けばよいのか、ウツロは歩みを止める。


「はっきりしておきたいんです」


 アーミラは数歩分の距離をとってウツロに振り返り、向き合った。明り採りの細い窓から入り込む弱々しい月光が彼女の顔を青く浮き上がらせる。


 アーミラはナルトリポカの集落の一件でウツロに感謝している。アダンとシーナが一命を取り留めたのは間違いなく鎧の功績だ。しかし同時に不可解な疑問もあった。

 何故ウツロは異変に気付けたのか。


 内地に潜む間諜と秘密裏に繋がり、継承者達の動向を敵に流せる人物は誰なのか……。疑いたくはないが、ウツロが怪しかった。

 直感的には彼は違うと感じている。だが個人的な感情を抜きに考えれば、ウツロは単独で行動し二度も会敵している。もしウツロがわざと敵を見逃しているとしたら……? 戦うふりをして、伝言を受け取っているとしたら……?

 裏では禍人と紐帯ちゅうたいを持ち、こちらの情報を都度つど流していると考えれば、辻褄が合ってしまうのだ。


「あの夜、集落が襲われていることに気付いたのではなく、知っていたんじゃないですか? そこで落ち合い、情報を流した。違いますか?」


 アーミラは腕を差し出す。月光に淡く照らされた肌が、うっすらと汗ばんでいた。

 ウツロはその腕を掴み、指先で触れる。


 ――『知らなかった』と書けば、信じるのか?


「それだけでは信じるに値しません。異変に気付いたのは窓を見たからなのでしょう? でも、集落は死角でした。窓から見れるのは山陰だけです。それに、たとえ山に火の気が見えたとしても、夜は炉の炎が明るく燃えて、遠くの火事に気付くことなんてできないはずなんです」

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