51話 次は待ってあげない
少女にはとても似つかわしくない雄々しい角が冠のように円を描き、長い髪を抑えるように囲っている。
角を持つ人種は二つ――獣人と、禍人だけである。
両者には明確な違いがあり、見分けるには角の位置を見れば良い。顳顬から生えているなら獣人。額から生えているなら禍人だ。両者は似て非なるもの――だからダラクは目を疑った。少女を見たほんの刹那に様々な逡巡をして、腑に落ちる答えが見つからず動揺さえした。
鎧とは二度刃を交えた。その中で掴んだ印象と目の前の少女が持つ印象は未だ繋がらない。何度も紐付けようとしているが、結びつかないのだ。態度も所作も雰囲気も、鎧とは異なるものだった。
だから問う。
「応えろ。お前はウツロか」
「それで、どうする?」
少女は頬杖をつき、壁の方を見つめながら言う。
「愚問だな。殺すまでだ」
ダラクは切り出しを握り、構えた。
一度は揺らいだ殺意だが、今更見逃す訳にはいかない。鎧に殺められた同胞たちの無念を晴らすため、この先の勝利のため、お前は殺す。
少女は何故か愉快そうに笑った。腹を抱えて足をばたつかせて褥に倒れ込む。
「できっこないよそんな身体で、僕が代わりにやったげるってば」
ダラクは動けなかった。こちらは殺すと言ったのだ。なのにこの少女の返答は……成立していない。飛び掛かる機会を逸し当惑するダラクは一つの違和感に気付く。
この少女は、一度もこちらを見ていない。
恐らくこちらの言葉を聴いてすらいない……。
少女は寝返りをうち、完全に背を向けてうつ伏せになっている。少し不機嫌そうな息遣いで何者かの声に耳を傾け、虚空を見つめる。
「……ふーん。まぁ、そこまで言うなら一度だけ見逃してもいいけど。もしこいつがまた腹の中に来たら、次は待ってあげない。問答無用で噛むからね」
こちらの言葉が全く無視されていることに気付いたダラクは、少女の言葉が何を意味するか理解して青筋を立てる。こいつは今、何者かと会話をしているのだ。あまつさえ俺を無視して。
そして俺の目の前でぬけぬけと言ってのけたのだ。『見逃してもいい。次は殺す』と。
背を向けながら言ったのだ。
ふざけやがって。
男を見もしない少女の大胆不敵な発言に対してダラクは怒り心頭に達した。
継承者の傍でうろちょろしている古ぼけた鎧のくせによくもそんな大口が叩けたものだ。
内圧を高めて噴き出した炎のように、堰を切る川のように、少女へ襲い掛かる。
「死ね――」
そう言い、一足飛びに距離を詰めた――はずだった。
刃が少女の命を奪う、その一瞬が引き伸ばされていく。
緩慢な動作で少女が上体を捻り、首を後ろに回す。横顔がダラクを捉え、黒く輝く瞳が冷たく一瞥を送る。
「あとで」
すいっ。……と、少女は立てた人差し指を前方へ振った。
ダラクに向けて与えられたたった三文字と、それを呟く間の興味のなさそうな無感動な視線。それだけで事足りた。
全身を押し流すような力強い後方への引力。
吹き飛ばされる身体。
景色は急速に流れ、これまで通ってきたいくつもの扉が背後から迫り、ばっと風を切って通り抜けていく。
もう少女の姿は見えない。それでもダラクは恨めしく前方を睨み続けた。こちらを捉え指をさす少女の姿が脳裏に焼き付いて離れない。
『一度だけだよ。もしこいつがまた腹の中に来たら、次は待ってあげない。問答無用で噛むからね』
「……上等だ……!」
ダラクは吹き飛ばされながら前方へ向かって指をさす。その笑みは負け惜しみか、再戦の覚悟か。
「何者なのかは知らねぇが、次会ったときがお前の最後だ……!」
❖
平原に吹く涼やかな風が襟元の熱を冷ます。
火照る身体、耳の先まで赤く染まり、ガントールは足を止めて呼吸を整えた。
なだらかに続く坂道を見上げ、顎先に溜まる玉の汗を振り落とす。濡れた前髪が額に頬に貼り付き、煩わしそうに手漉きで払う。その際に手のひらが頬に擦れ、紅を引き摺ったような跡が残った。
足元の土は泥のようだった。靴で踏み固めると中に含んだ水分が絞り出されるように滲み出てくる。一歩一歩の足取りに纏わりつく、粘土質の赤土である。
ガントールは円錐状に広がるなだらかな斜面を今まさに登っているところだった。物量で攻めるトガの群れには流石に疲れたか、その斜面の途中で足を止める。
小石のように側を転がってきたのはトガの骸である。
小動物程の大きさの、何とも形容できないような、強いて言えば土竜に近い姿をした亡骸。それは首を落とされ事切れて、泥の坂をごろりごろりと回転しながら下っていく。
同様に首を落とされた化物達が円錐状の盆地の中央、穴の一番深いところで蟠っていた。
再び歩き始め、ガントールは坂を登り切ると膝に手を当てて倒れそうな上体を支えた。かなりの疲弊であるが、外傷はない。彼女をここまで疲労困憊にさせたのはトガが強敵だったから……というわけでもなかった。魔術を行使したことによる活力の消耗が原因である。
長女継承が持つ斥力を操る魔術を、トガと禍人の男は奇策によって咎めた。であればガントールは魔術を使用せず戦っていたはずである。そのための奇策、そのための奇襲だったはずだ――が、しかしそこに大きな見落としがあった。
獣人種は生まれ持つ魔呪術の才覚に恵まれていない。そのため長女継承の先代達は神器が備える斥力魔法を下方向に限定していた。
この世の摂理の一つである強い力――重力――を主に操り、長い戦争の中で活躍してきた。
禍人達はその情報のみを頼りに対抗策を立てていたのだ。
地盤を脆くし、重力魔術を行使すれば自らの首を絞める罠を作り出した。……ここが見落としだった。
ガントールは前線伯領の気高い血筋に生まれた娘であり、この世に生を受けたその瞬間から神殿に招かれた。血筋と才能と環境、そのすべてが揃った麒麟児である。数ある斥力魔術の一つを奪われたとしても、トガの群れは敵ではなかった。
「お、いた」ガントールはこちらに向かって歩く人影を見つけ、上がらない肩で手を振った。「おーい! 倒したかー!」
ウツロはその問いかけに首を振ろうとして、頭を外されたことを自覚し肩をすくめて両手を軽く上げた。その右手に己の頭部を掴んでいる。てっきり手柄に持ち帰った生首の土産かと思ったガントールは疲弊したように上げた手をだらりと垂らした。
「逃がしたのか……よろしくないな」
よろしくない。ガントールは心の中で繰り返し、スペルアベル平原を眺めた。
禍人の男は姿を消した。南へ逃げたか、北へ逃げたか……状況は不安要素を孕んだまま、アーミラとオロルの合流を待つしかない。
すぐ側まで歩み寄る鎧と向き合い、とりあえずは人心地のため息を吐き表情を緩める。へにゃりと眉を下げて気の抜けた笑みを一つ。酷い有り様だ。それは私も同じか。
「知っているだろうけど、この平原を治める領主とは親戚でな。とりあえずはそこで二人を待つとしよう」
先を示すガントールの指先の向こう、平原の荒れた地平線から一陣の隊列が砂埃を立ち上げてこちらに向かってきていた。噂をすればなんとやら。こちらの騒ぎを聞きつけて迎えがやってきたようだ。
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[07 戦うための術 完]
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