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最後の異世界転生譚 ――Echoes Beyond the Aurora Manuscript――  作者: 莞爾
07 戦うための術《アレス》

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50話 ふふふ

「人の精神領域なら、もっと記憶と結びついてるはずだが……」


 ダラクは警戒して呟く。

 呪術による精神領域への侵入は何度も経験があった。それこそ昨夜の集落でも、女子供も関係なく、心を縛り、体を操り、自らの足で火へ飛び込むように仕向けた。

 呪いをかけるために覗き込んだ幾人もの心の内側……その景色はもっと雑多で、記憶の風景が散らかっている迷路のようなものだった。

 そしてダラクにとって、他者の心象風景に入り込み人格の芯まで続く扉への道筋を解き明かすのは一種の快楽だった。これから殺す人間がどのように生きていたのか、それを知ることで壊す悦びが増す。そう感じていた。


 だが、この精神領域は全く違う。


 ダラクは次の扉の前に立ち、把手を掴み、捻る。


 そこに待つのは扉だった。


 迷わせるものが何もない。


 向こう側は次の扉が待つ。


 ダラクは息を呑み把手を掴む。鎧の内側、深淵を目指す足取りは順調なはずなのに笑みはない。追い詰めているはずなのに追い詰められているような焦燥が背後について回った。


 あるはずだ……。この鎧にも記憶に象られた風景が。

 そこに心の核があれば壊して御仕舞おしまいだ。

 次の扉にこそ、次の、次の扉にこそ……。


 把手を捻りずいずいと先へ進むダラクは一心不乱という有り様だった。追手から逃げるように不安を振り払い、足早に扉から扉へ駆け抜ける。

 そしてある扉を開いた先、目の前の光景に足を止め僅かに目を丸くした。幾つ扉を潜ったか分からない。相変わらず茫洋ぼうようとした空間が続いているが、待ち構えている扉の様子に変化があった――いや、そもそもこれは、扉なのか?


 恐る恐る近付いたダラクの前、平滑に形作られた氷のような透明な板が四枚。冷気はないことから、この歪み一つない水鏡のような代物が硝子がらすであると知る。これまで見たこともないほどに向こう側の景色を透かしている縦長の硝子板の扉。

 上下には磨き抜かれた金属製の枠が嵌められており、横にっている無目むめと繋がれていた。恐ろしく薄く精巧な造りで、研磨面も鏡のようだ。


 把手は無かった。開けずとも硝子の向こう側の景色が望めるが、まさかここに来て窓というわけではないだろう。

 向こう側は病的なまでに清潔かつ直線で構成された室内が広がっている。灰白の空間とさして代わりないが、明確に壁と床が視認できるだけ進歩がある。そう考える反面、ダラクは不機嫌そうに鼻から溜息を吐く――鎧の記憶なら、こいつはいつの時代のどこなんだ……?


 蹴破ってでも進むべきか否か、躊躇いがちな足取りで扉の様子を観察した。心境としてはかなり懐疑的である。ここまでの道のりは一直線……ずっと無理問答を押し付けられているような圧迫感で、誘導された可能性も否めない。その上ここに来て把手がないとは……迂闊に手を伸ばすほど愚かではない。


 硝子でできているとはいえ、形式は四枚の引戸。本来引手があるはずのところには札が貼られていた。三角の陣が描かれ、解読不能の文字らしきものが朱色で記されている。


 『注意』


 それを見たダラクは、全く閉口してしまった。

 描かれた陣も魔力を感じ取れない。


 引手の代わりだと言わんばかりに配された三角形の陣には、文字らしきものの他に縦の棒線と丸い点が一つ記されている。感嘆符を意味しているが、なんの回路なのか判断はつかない。いっそ魔力のこもっていない印しなのか……。


 訝しみ、睨みつけるように観察する顔が知らず知らず扉に近付くと、突然扉が左右に開いた。


 ダラクはどっと冷たい汗が全身から噴き出し、肝を冷やして射線上から飛び退いた。攻撃を警戒する。……が、なにも起こらない。間抜けを嘲笑うかのように扉はゆっくりと閉じていく。そのとき、微かな滑車の回る音と共に子供の笑い声らしきものを聞いた。


「奴の正体か……?」


 くすくすと漏れ聞こえた幼い笑い声。

 硝子扉の向こうから、確かに聴いた。


 無機質な鎧の内に潜む無邪気な子供――頭の中で結びつかないが、しかし人の声がするのなら他の誰でもない鎧の正体であるはずだ。心の内にある人物像が外見とかけ離れていることは珍しいことだが、ないわけではない。


 ダラクは再び扉の前に立ち、じりじりと摺足で近付き、指先で扉に触れようと腕を伸ばした。


 扉は触れずとも開いた。魔力は感じないが、なんの細工か上の無目から滑車の回る音がする。こんな代物見たことがない。


 硝子の向こうから透けて見えていた室内は、扉が開かれた後も変わらずそこにあった。

 当然といえば当然だが、この空間はどこか人を食ったような胡散臭さがあり、扉が開けば何もない暗闇が口を開けていたとしても納得できる……そんな油断ならない猜疑さいぎの趣きがある。


 苦々しく下がった唇から尖った歯を覗かせて内側へ踏み込む。声の主はどこか、辺りを見回した。


 ここは石窟だろうかと、ダラクは思う。踏み入った足には硬い感触が靴越しに感じられた。左右の壁面もつやつやとした光沢があるが、岩から削り出したものだと推理した。真実は全く異なるのだが、ダラクの乏しい経験ではそうとしか思えなかったのだ。


 磨かれた床。等間隔に走る柱。壁面には案内のためだろうか、太い線が奥へ伸びている。そのどれもが病的なまでに人工的で、執拗なまでに平滑に整えられている。職人技といえば聞こえはいいが、無機質で血の通わない建物だ。今、ダラクが立っている場所は廊下だった。


「ふふふ」


 聴こえた。

 ダラクは耳を澄まし、廊下の先を睨む。

 残響が手招きをするように、右へ曲がる通路の奥へ消えた。蠱惑的とも取れる少女の、屈託のない笑い声だった。

 拳を固く握り込み大股で進む。どうあれ奴の核に違いない。殺す。殺してみせる。終わりだウツロめ。


 曲がり角へ進み、その先に声の主はいた。


「ほら、ここまで来ちゃったじゃん」


「……お前がウツロの正体か……?」


 ダラクは問う。やはりその目でしかと見ても結びつかない。あの鎧の魂が、これとは……。


 禍人の目の前には間違いなく声の主がいた。小さな部屋に簡素な作りのしとねがあり、少女はそこに腰掛けていた。

 足を組み、後ろに伸ばした両手で反らした上体を支えている。射干玉ぬばたまのように黒く豊かな髪は、生まれてから一度も切ったことがないのではないだろうか。それは褥を覆う蔦のように、方々へ毛先を這わせている。

 肌着からさらされた細い首の上に据えられているのは、幼いながらもすらりとした顎と薄い唇。小鹿のような通った鼻。

 硬質な黒い瞳はダラクを見つめ返しているようだが、焦点はもっと遠くを見透かしているようにも見えた。


 何よりも、驚くべきは額の頭角だった。

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