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最後の異世界転生譚 ――Echoes Beyond the Aurora Manuscript――  作者: 莞爾
07 戦うための術《アレス》
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ふざけてやがる

 ダラクの魔術、その戦法が今ならわかる。

 炎によって熱せられ膨張した板金の体は各部の関節がゆるみ、刃を振るう膂力は知らぬ間に弱められていた。回避に専念していたダラクが一度攻撃をはたき落としたのは、弛みの具合を確かめるためだったのだろう。


 そして、急速に冷却。精緻に構成されている関節は膨張からの収縮によりがっちりと噛み合い、締め付けられて動かなくなる。

 ウツロはもはや自立さえままならず、ぐらりとダラクに身を預けてしまう。


「おっと……髪を引っ張るなよ」


 ダラクは凭れかかる鎧の胴を片手で支え、もう片方の手で懐から切り出し刀を取り出すと、掴まれている後ろ髪をばつばつと乱暴に切り離した。そうして縛るものがなくなるとウツロを押し退け苦労して立ち上がる。

 形勢は逆転した。

 大きく息を吐き、傷痍の痛む額の汗と血をそっと指の先で拭いながら独りごちる。


「あやうく首を落とされるところだったぜ」


 ダラクは手首を回し、屈伸を二、三繰り返し、脳の痺れが回復したのを確かめる。足元にごろりと転がる鎧はそんな敵の姿を睨むことさえ出来ないが、髪の束を虚しく掴み続ける様は恨めしい気配を滲ませていた。


「なぁ、悔しいか?」


 ダラクは腰に手を当て、脂下やにさがった笑みで鎧を見下ろす。当然返事はないのだが、憂さ晴らしに踏みつける。


「悔しいかって、聞いてんだよ!」


 言い終わると同時に鎧の晒した盆の窪を踏み抜き、頭部が撓む。ダラクはもう一度、鎧の頭を踏んづけた。返事が返ってくるか、あるいは己が満足するまで、力の限り踏みつける。

 当然ウツロは声を持たない。この場合ダラクが満足するまで、憂さ晴らしは執拗に続くこととなる。


「おめぇの、負けだ! この、くそが!」


 がちり、がちりと鎧の頭部は次第にぐらつき、留め具が外れて地面につらをぶつける。首の板金が一枚、両端の留め具がそれぞれ頭と体を繋いでいた。


 太陽の熱で温められた鎧は微かに指先が動いた。

 ダラクは見逃さず一層濃い冷気を鎧に浴びせた。


 ぱきぱきと音を立てて、ウツロは白く霜を纏う。とどめに思い切り踏みつけられ、首はあっけなくげてしまった。ごろりと転がり天を仰ぐ虚ろな双眸は、何も見ていなかった。


 鎧の無惨な姿を眺めてダラクは鼻で笑う。腹の虫が治まったのか、しゃがみ込んでウツロの首を拾い上げた。


「よぉ……魔導具だから首もげても死なねぇんだったか。だがよ、術式を覗けば内側から壊れんじゃねぇのか?」


 その思いつきは、愉悦を求め残虐を繰り返す者の発想か。それとも、禍人とはいえ魔呪術を扱う者としての知的好奇心か。


 鎧の首は何も答えない。

 本当に死体のようだった。


 ダラクは鎧の頭を様々な方向から矯めつ眇めつ眺め、まるで壷の中に入り込んだ虫を覗き込むような手付きで何かを探す。目当てのものが見つからないのか、足元に放り、今度は鎧の体に向き直ると身を屈めて胴の内側を覗く。


「……これか?」


 探していたものはダラクが思っていたよりもずっと手前にあった。

 鎧の胴体、胸部の裏側。人で言うところの肋骨の中央胸骨体のあたりに書き置きのような小さな文字が記されている。ダラクは薄く張られた霜を擦り落とすと魔術で蝋燭ほどの火を生成し、その灯りで文字を照らす。


 そこにはごく簡単に記されているのみだった。


 『深淵を覗く痴れ者、魂は頂く』


 ダラクが見つけたのはくだらない悪戯書きか、安い挑発に顔を顰める。


「なんだぁ……ふざけてやがる」


 果たしてその言葉は誰がどのような意図で書き残したのか、ウツロを召喚した二百年前の先代の継承者が記したのだとしたらあまりにも無邪気で、馬鹿馬鹿しい悪戯である。――だが、ダラクはもっと深く考える必要があった。踏み止まり、一考する警戒心が必要だっただろう。語る口を持たない鎧の内側に唯一存在した言葉、その意味を軽んじた男は、そこで命数をごっそりと失うこととなる。


「『魂を頂く』だぁ? やれるもんならやってみな」


 売られた喧嘩を買う勢いでダラクは言い、切り出しで自身の小指の付け根を割いた。この部分であればそれなりの出血が望める上に手指の運動にさほど不都合がない。――そう、これから彼が行う術に必要なのは血液だった。


 滴り落ちる紅い雫を立てた小指で筆のように塗り拡げる。鎧の内側に眠っていた言葉は赤色に上書きされる。元々の文字は篆刻されて溝になっているため、凹部に沿って血溜まりが満たされた。ダラクは鎧の体から腕を抜き立ち上がると、まだ流れる血液を手刀で振り、鎧にふりかけるように五芒星を描いた。


 よく晴れた平原の乾いた土に、草に、血が染み込む。

 最後にダラクは傷口を圧迫して血を止めると、残る一滴をそっと頭の上に掲げて見上げる。

 今にも零れ落ちるその一雫を左眼で受け止めた――そのまま目を閉じる。忙しなく動く眼球の動きが瞼の皮膚の上から伝わる。


「……ここが深淵ってか」ダラクは左目を掌で覆い、口角を吊り上げ、次の瞬間には笑みを消す。「いや、まだ奥があんだろ」


 スペルアベル平原の北部、そこには異様な光景があった。


 まだ暖かな午後の日差しを受け止める草むらの一隅、戦闘が行われた形跡を残す草原にはそこかしこに小火ぼやがあがっていた。その中央では首のない鎧が不自然に凍りついている。

 血液で描かれた五芒星は土に染み込み黒ずんだ痕を残すばかり。陣を引いた術者は禍人の男。鎧の傍で立ち尽くし、左目を隠してなにやらにやにやと笑みを浮かべているのであった。


 ダラクは、今まさに深淵を歩いていた。


 己の血を媒介とし、鎧と左目を門で繋ぎ、内側に広がる領域へ自身の意識を飛ばしたのだ。

 現実で閉じた左目は、血の門の向こう側――術式回路の領域で開かれ、ここではない世界を覗き見ている状態にある。


 鎧の内側に彫られた言葉。

 その内側に込められた術。

 その内側に展開する深淵。

 ……ダラクの目に広がる景色は、一つの確信をもたらした。


「ウツロだったか……? 名前通りなんもねぇところだな」ダラクは右目を薄く開けて鎧を見下ろす。「扉が一つだけあるぜ」


 左目に広がる景色はとても質素なものだった。……いや、質素という言葉で表すにはあまりにも空虚である。灰白色の果てもない空間。壁も天井も床もない曖昧な茫漠たる領域に、白く塗られた木製の扉が一つあるのみだった。


 ダラクは迷わず把手を掴み、開く。確信したその答えを確かめるために。


「お前は不死じゃねえ。心臓も脳みそもねぇから、誰も殺せなかっただけだ」


 ダラクの笑みは鋭くなる。下弦の月のように吊り上がる口角は、頬に穴を開けてしまうのではないかと思うほどに尖り、自覚していないだろうその呼吸も心なしか興奮していた。


「お前の魂はある……この領域が何よりの証拠だ。扉の奥に確実にある」


 この際何故という問いは関係なかった。

 ダラクが手に入れた確信とは、この領域が魔術回路ではないことだ。逆説的に、この空間が呪術的なものであるとわかった。

 他者の体を操り自死へ誘う事ができるダラクにとって、この空間が精神領域だとすぐに理解できた。どうして魔導具の鎧にそんな領域があるのか、ダラクはそれを一切無視した。こいつを殺せる。その手がかりがこの先にある。


 押し開けた扉の向こうには、扉があった。


 代わり映えのない灰白の空間が続いていて、扉を隔てたとて内外に壁はない。扉の周りをぐるりと回り込むことも可能だ。しかし、次の扉は無い。

 出現条件は明確だった。目の前の扉を潜ること。その先に次の扉が現れる。広い空間であるにも関わらず、進むべき扉は必ず十歩先に待ち構えている。


 いや、待ってはいないのだろう。ただでさえ招かれざる客だと言うことは承知。閉じられた扉は何年、何百年とそこに存在し続け、誰も中へ通すつもりもなかったはず。訪れたものを迷わせるつもりのないこの空間はなんの制限もなく、扉を潜る順番だけを縛っている。

 ダラクは笑みを消して扉を蹴り開けた。粗暴な態度は不愉快な秩序に対しての反抗だった。扉は蝶番が馬鹿になって軋む音を立てて中途半端に開く。向こう側は変わらず灰白の空間が続いている。次の扉が見える。

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