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最後の異世界転生譚 ――Echoes Beyond the Aurora Manuscript――  作者: 莞爾
07 戦うための術《アレス》
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お前の足止めは俺だ

 あの禍人……まだ策を用意していたとは。

 敵は長女継承の力を理解し、地中に穴を掘っていたのだろう。この平原一帯の地盤を脆くさせて、私がここに現れるのを待ち、奇襲を仕掛けたのだ。そして、斥力を強めたことで地盤が圧力に耐えきれず崩れたというわけか。


 敵の言葉を信じるなら、地中に穴を掘ったのは別にのもの……禍人かトガか、腕力か魔術か、いずれにしろ穴を掘る能力を持っているとみていい。

 ガントールが恨めしげに地上を見上げると、禍人の男が穴の縁から見下ろし、すぐに姿を消した。


「くそ……っ」


 こうなれば、ウツロに託すしかない。幸か不幸かあいつは穴に落ちていない……いや、これも敵の策か。私を穴へ落とし、次にウツロを狙う……。

 ガントールは気持ちを切り替えて状況を把握することに努めた。


 穴の深さは目測で三十振ほどか、幸いにも大した落差ではないが、問題は足場だ。地盤が著しく脆く、跳躍して脱出しようものなら、踏み込んだ足元から崩れ落ちるだろう。

 砂質は細かく、ただ立っているだけで靴が沈む。平原の砂質から泥濘ぬかるみはないが斥力の使用は咎められている。そのうえ穴の縁では脆い崖が崩れ、流れる砂は漏斗状の窪みに飲み込まれていくのが見えた。あの穴はどこへ繋がっているのか……。


「地下か」


 いっそガントールは感心すらした。


 砂が流れ落ちていく窪みはまるで天然の蟻地獄。

 ある程度の深さまで掘り進めればスペルアベル平原の地下水脈へと至るだろう。

 そこに落ちてしまえば砂と水に飲み込まれ、窒息する。非死の加護を授かっているが、暗く重たい土中を抜け出す術はない。窒息と蘇生の繰り返しでは、この命が足りるかわからない。


 敵の描いた勝ち筋を理解したとき、さすがのガントールも身震いをした。肌をひりつかせる明確な死の危険が迫っている。


 その背後で、砂礫がもぞもぞと盛り上がり、鼠のような長い鼻先がこちらを伺う。ひと目見て人ではないとわかる造形にトガであると判断する。男の言っていた土竜の正体か。


 それは、にび色の体毛に覆われたみみながほどの大きさだった。

 前脚には土を掘るための鉤爪が生え、のこともくわとも言い難い独特の形状をしていた。頭部に目は見つけられない。地中に適応するうちに退化したのだろう。その代わり、執拗なまでに匂いを嗅いで首を回す鼻先は嗅覚が発達しているらしく、鬚ではなく明確に触手のようなものが備わっている。自然界の生物と一線を画す冒涜的な外見はやはり禍々しい。が、単体であれば大した脅威にはならない。単体であれば。


 一帯の地盤を脆くさせて広域に穴を開けたのだ。こんな小型のトガ一匹とは思えない。

 ガントールの予感に応えるように、辺りの土がぞもぞと蠕動ぜんどうする。おびただしい数のトガがそこかしこに湧いて穴を埋め尽くさんばかりに群れている。


「……これを重力魔術を使わずに倒せってことか」


 状況を己に言い聞かせるように呟き、ガントールは剣を構える。





「奴は継承者の能力を使えない」


 ダラクは目の前に立つウツロに告げた。


「この平原は昔、俺達の領土だった。知ってるか? この一帯は地下の深くに水脈があるんだぜ」


 長女継承者がトガを圧殺しようと魔術を行使すれば、地盤は崩れ沈み最後には深い地下水脈へ辿り着く。そこに落ちれば芯まで凍える暗黒の冷水に溺れて、光もなく脱出の手立てもない。例え不死だとしても、戦線から排除できる。ダラクが語る策とはつまりそういうことだった。


 ウツロが一歩踏み込むと、それを遮るようにダラクが両手を広げて立ち塞がる。


「お前の足止めは俺だ」


 口元には鋭利な笑みが浮かぶ。眼の前の鎧の力量は既に把握している上に、この奇襲では長女継承者が地下水脈へ沈むまでの足止めをしていればいい。命を持たぬ魔導具の兵を相手に、ダラクにはそれが可能だった。


 ウツロは柄の失われた槍の穂先を匕首ひしゅのように構えた。刃毀れ甚だしいが、もの言わぬ面鎧の内側は戦意に充ちている。


 くして、スペルアベル平原での戦闘が始まった。


 先に動いたのはウツロである。筆を持つように人差し指を柄に添わせ敵の顔面に向けて穂先を突き出す。魔術を繰り出されるより先に片を付ける腹積もりか、或いはナルトリポカで手の内を知っているからこその勇み足か。


 ダラクは眼前に突き付けられるきっさきを首の動きだけで躱し、鎧の伸ばした腕を下から押しのける動作と同時に手扇の身振りで炎を喚び出した。手首の動きに合わせて腕輪が袖口からちらちらと輝く。ダラクの術式と魔石はそこにあった。


 大気が急速に熱を持ち、爆ぜる炎がウツロを包む。――が、構わず前へ出た。全身が金属で構成されているのだから、火傷を恐れるわけもない。攻め手を緩めることなく迫るウツロと逃げるダラク。両者はかなり一方的な戦況に縺れ込んだ。


 時折ダラクは砂をかけるように腕を振り火を浴びせるが、抵抗虚しく目くらまし程度の効果しかない。一方ウツロは逃げてばかりの敵に容赦はない。手を焼いてかかずらい、その間にガントールが戦線から落ちる事こそ敵の本懐であり、なによりも阻止すべきことと理解していた。

 だからこそ、考え無しに穂先を振り回してはいない。回避の足運びに合わせて攻撃を巧みに選び、たとえ躱されても、一歩、また一歩とガントールのいる方向へ近付くように追い込んでいる。


 油断はなかった。

 優勢であるはずだった。


 しかし、異変はすぐに訪れた。


 炎に包まれながらも意に介さず、なおもダラクを追うウツロ。穂先を握り、振り下ろした右腕をダラクは掌ではたき落とすように受け流した。右腕は握っていたはずの槍の穂先を落としてしまう。

 これまで回避に専念していた敵の僅かな行動の変化。そして得物を落とす掌の握力の違和感。

 ウツロは何を思うか、敵の顔を見つめながら穂先を拾う。ウツロの思考が読めるならばきっと今、このように考えているだろう。――なぜ触れた? なにを仕込んだ? 呪術の布石か?


 ダラクは一瞬の隙を見咎め煽り立てるように炎を喚び出しては鎧に投げつける。もちろん傷一つつかない。ウツロは挑発に乗るつもりはないが、かといって追うことをやめるわけにもいかない。得物を構え直し、攻撃を再開する。


 敵の懐へ一足飛びに詰め寄り刃をももに滑らせる。鋒は僅かに肉に届かず布一枚を割いて躱された。内腿が晒された仕返しとばかりに面鎧に火の玉をぶち撒ける。燃える視界を振り払いウツロは得物を振り上げ、その動きにつられた敵の足運びを見切り左腕で胸ぐらを掴んだ! 抜かったか、敵は目を見開き両手を伸ばして鎧の右腕を押さえるが、炎に焼かれた鉄が掌を焦がした。重ね掛けにウツロは頭突きを一発。額に生え揃う華奢な頭角が鉄の塊でできた頭とかち合いぱきりと容易く折れ、次の刹那にはごつっと鈍い音が響き小さなうめき声が漏れた。


 脳が揺れたのが痛手だったのだろう。痛みに歪めたダラクの表情にはまだ闘志が宿るが体はついていかない。

 膝をついて地面にへたり込んだ。角の折れた額からは血が滲み、垂れた血液は赤い涙となって頬を伝う。


「お前は……」


 ダラクは何か言っている。


「お前は勘違いしている」


 ウツロはとどめを刺す為に敵の後ろ髪を鷲掴みにして下に引っ張り、無理矢理顎を上げさせた。皮の薄い喉が日に照らされ、つばを飲み込む喉仏の動きがはっきりと見えた。


「俺の魔術は火……そう思うよなぁ……」


 聞こえているはずだろうにウツロはなんの反応も示さず、握り込んだ槍の穂先を敵の首にあてて今にも頭を切り落とそうとしている。たとえ奥の手があろうとも殺してしまえば解決すると判断したのだろう。


 だが――ウツロの腕は動かない。腕だけではない。指も肩も、脚さえも軋みを上げて固まってしまう。ウツロは敵の顔を見る。髪を掴まれたまま固められた以上、敵もまた首を晒したまま見上げるようにウツロと目が合った。


 見下すような笑みだった。


 くまを溜め込んだ青い下瞼に、粗野で神経質そうな細い眉。それらが弧を描き形づくった凍てつくような笑み……それは比喩ではなく、本当に凍りついていた。角を失った額の窪みからは青白い燐光が冷気となって下に流れ、焼けた鉄の体に霜が降りている。


「……俺の魔術はなぁ、熱を操るんだぜ」


 その言葉が聞こえていても、ウツロは身動ぎ一つ叶わない。

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