46話 二人は大丈夫かな……
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結論から言えば、救出したアダンとシーナはこの日の昼前には都へと送り届けることができた。
蜘蛛の顔で示すなら、短い針が十一を越え、長い針が三に重なっているあたりのことである。
都の救護院では痛々しく砕けた四肢について、医師から話があった。
曰く、治癒術式ではもう繋ぐことも取り除くこともできないため、一度切り開いて骨片を取り除き、大きな欠片はある程度繋ぎ合わせて固定する必要があると説明された。もちろん完治を目指すが、術後に麻痺が残る可能性や、切り開いた箇所が化膿して腐る危険性もあると念を押された。
話を聞いていたアーミラは、負傷箇所を切り開くと聞いただけで顔を青くして「そんなことはやめて下さい」と難色を示すが、彼らが再び動ける身体になるには避けようのないことだと、オロルは救護院の意見を支持した。
このまま傷を放置しては、いずれすべての四肢が腐り、切り落とす羽目になる。
今は救護院の医師を信じ任せるほかないのだった。
「そもそも――」
二人を預けた救護院の外、市井に手持ち無沙汰となったオロルはアーミラを見上げる。
「――継承者の親類は神殿に招かれるのではないか?」
「そうなのですか?」アーミラは首を傾げる。
オロルの言う通り、神殿では継承者の親類を招き入れる制度が存在する。
第一に保護を目的としているが、継承者を産んだ功績に対しての褒章という側面もある。この話は門を潜る際アーミラにも伝えられていたはずだが、屈強な神人種たちに囲まれて怯えていたこともあり、まともに聴くことも出来なかったのだろう。
とはいえ、アーミラが何かしらの申請や手続きをせずともアダンとシーナは神殿へ招かれる手筈であった。
集落を離れ神殿で暮らす……その選択肢があったはずなのだ。
「仕事の依頼が忙しいようでしたし、もしかしたら断ったのかもしれません」
アーミラはそう答える。依頼をこなすまでは集落で仕事をこなす――きっとアダンならそうするだろうことは想像に難くない。そうして熱心に鑿を打つだろう。
……結局それも燃えてしまった。オロルはそんな皮肉が思い浮かんだが、喉元で抑えた。言う甲斐がない。
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日は高く天上に昇るが、まだ夏の盛りではないので風も涼しい。
車輪は時折音を立てて幌が揺れる。轍のない草原で石を踏んで跳ねているのだ。
車窓に設けられた幌の切れ目を捲くって退屈そうに景色を眺めているガントールは、辺りの地形がずいぶんと平たく様変わりしたことに気付いて後方を振り返る。幌の内側に一人きり……思えば継承者三柱が揃わなければ前線まで孤独な出征となっていたのだから、後から追いかけてくれるだけでもありがたいことだと己に言い聞かせる。
ガントールとウツロは馬を走らせてムーンケイを南下し、なだらかなマハルドヮグ山野を抜けてスペルアベル平原に到着していた。このあたりはだだっ広い乾燥した大地が広がり、木々も疎らである。
「二人は大丈夫かな……」
きっと今頃は、集落で襲われたアーミラの育ての親を救い出し、こちらに向かっているだろうとガントールは考える。
後ろに二人の姿はないかと振り返ったが、それらしい影はない。
オロルのことだ、どこかで昼飯ついでに酒を呷っているかもしれない。
この平原は言葉の通り広い平野で、古びた遺跡と塹壕が過去に前線だった歴史を物語る。それらは長い間風雨に曝され、今は無残な瓦礫となって面影を残すばかり。
川こそないが地下水脈が流れているため、一帯は疎らながらに草が茂り、その草を目当てに牛や山羊が群れている。木陰からは肉食獣が獲物を探す。
ムーンケイの喧騒とは対照的な自然に覆われた景色が広がっているが、地図でみればスペルアベル平原のほうが禍人領に近い。
現在もこの地は、第二戦線としての機能を有している。
ガントールはいい加減、後ろへ流れていく景色を眺めるのもうんざりしてきた。ムーンケイを出る頃はアーミラとオロルの身を案じて心持ちも暗く真剣なものだったのでウツロに話しかける気はなかったが、午前中ずっとこんな調子ではつまらない。
幌の中で尻を滑らせて前へ移動すると馭者台のすぐ後ろに身を落ち着かせる。
「……半日程度の遅れって言っていたけど、夕方には合流できると思う?」
ガントールはウツロに問う。難しい返答を期待してはいなかった。持て余した暇を誤魔化せるような、都合の良い聞き手となればそれで良かった。
「遅れるとしたらオロルだな。アーミラは約束を守る質だろうけど、オロルはほら、なんというか強かだろ?」
口約束くらいじゃ守らないだろうな。と、散々な言いようだった。それだけ互いのことを知れた仲間ということか、最早オロルが遅れることを前提にしてガントールはため息をついた。
そんな様子を見ていたウツロは、何かを考え込んでから、馭者台に薄く文字を刻んだ。筆の代わりには、柄の折れて短くなった槍の刃を用いた。
――襲夬ル事忍難シ、心配不有如。
「……んん? るー……しー……?」
思わぬ返答にガントールは眉を困らせ目を丸くする。二文字以外は賢人の書体で、まるで読めない。ウツロは隣にふりがなを配するようにもう一度書き直す。
――襲夬ル事忍難シ、心配不有如。
ああ。とガントールは眉を開き応える。
「集落に向かった二人が心配ってこと? 当然トガに襲われる可能性はあるけど問題ないよ。危険を承知で、オロルはアーミラを一人にさせなかったんだと思う」
今度はウツロが筆を止め、じっとガントールを見つめる。説明を求めているようだ。
「まず集落を焼いたのはほぼ確実に間諜だ。駆け付けたウツロと戦い、南へ退いたのは嘘だと思う。私ならこう考える……『せっかく内地に入り込んだのだから、前線へ逃げるのはもったいない』ってね。次の機会を逃さないためにどこかに潜伏するはずなんだ。
……オロルはそうした敵の考えを読んだ上で仕留めたいんだろう」
つまり次女と三女の二人がナルトリポカの集落に駆けつける。潜伏している敵からは、継承者として未熟な二人が目の前に現れた状況となる。
この好機に敵が動き出したなら、オロルとアーミラは迎え討つ。
何もしてこないなら予定通り救出した後、前線で合流……という流れとなる。
ガントールにとってアーミラの実力は未知だが、オロルの強さは充分に承知している。だから二人がナルトリポカへ戻ることを良しと判断したのだ。
「一番理想的なのはオロルが間諜の首を取って前線に合流することかな。内地の不安要素が無くなれば前線に集中できる」
逆に――とガントールは目を細めて付け足す。その表情は未だ見ぬ敵に対して警戒しているようだった。
「二人がなんの奇襲にも合わなかったら厄介だ。軽率に姿を見せない、それだけ利口な奴だと判断できる」
降って湧いた好機を見逃す……そんな慎重さが間諜には重要な素質となる。敵が用意周到であればあるほどこちらは尻尾を掴むことすら難しくなる。そんな現状の盤面を打開すべく、オロルは己を餌に敵の潜む藪を突いたのだ。さして切れ者ではないガントールもまた、前線に向かうという自らの役割を全うしていた。
しかし、継承者達の読みも虚しく禍人は盤面を荒らしていく。定石も搦手も知らぬ無邪気さで悪意を振り撒く腹積りである。




