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最後の異世界転生譚 ――Echoes Beyond the Aurora Manuscript――  作者: 莞爾
07 戦うための術《アレス》

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44話 荷物になってしまいますから



  ――いにしえ、楽園はかく在りき。

  そこには、永遠の命をあたえられし三柱の娘、慎みて住まえり。

  されど、蛇あらわれ、三つの悦楽を説きて、心を惑わさんとせり。


   一は、交わりによる悦楽なり。

   一は、眼目を閉ずることの悦楽なり。

   一は、果実を食むことの悦楽なり。


  かくて神は、蛇を討たんとて、天の使いを遣わせ給えり。

  御使いは地に降り立ち、乱れし世をただし、三の娘に戒律を授けたり。


     (『ラヴェル法典』より序文抜粋)





 ナルトリポカの一集落、穏やかに営まれるはずの日々は燃え盛る業火に蹂躙され、収穫を待つ畑の青々とした夏の夜は、無惨にも燃え尽きた。灰となり脆く積上げられた亡骸の山を前に、一人の修羅が生まれようとしていた。


 涙を流して怒りに震えるアーミラに対し、オロルはそっと袖を掴み、気持ちを切り替えろと金のまなこで訴える。

 取りこぼした命に拘っている場合ではなかった。杖の中には救うべき二人がいる。


「弔う暇はない。二人を別の集落に預けるぞ」オロルは短く伝える。


 アーミラは自分が泣いていることに気付いていないのか、瞬きもせず、目尻から涙が伝うのを拭おうともしなかった。ただ静かに、もつれた感情の糸を解しながら賢人の言葉の意図を推し量っていた。


 事実、これだけの遺体を弔うには人手が足りない。

 絡み合った亡骸の手足を引き抜いて山をそっと崩し、一人ずつ埋めているのではあっという間に日を潰してしまう。かといって大穴に纏めて葬り埋めてしまうのでは配慮がない。焼けて顔の判別も危ういとはいえアーミラの同郷の者達だ。ぞんざいに扱う訳にもいかず、先を急ぐ以上拘泥される訳にもいかない。ならば近くの集落に事情を話し、沙汰を任せよう――オロルはきっとそのように考えたのだろう。


「……私が焼きます」


 アーミラは洟をすすり、宣言をするように言った。


「は――」


 オロルは虚を衝かれて言葉を詰まらせる。その間にもアーミラは即断で歩き始めていた。目で追いかけたオロルは困惑しながらも後に続く。


 火葬をするということか――オロルはそう思い至る。勿論この選択が思い浮かばなかったわけではない。アーミラの手前、雑な弔い方はできないと考えて真っ先に排除した選択肢だった。


 火によって奪われた命を、再び炎で弔う。

 その選択を、他ならぬアーミラが選んだ。


 オロルは先を歩く彼女の背中を見つめて並ならぬ覚悟を推し量り、何も言わず従うことにした。


 広場から通りへ繋がる道まで戻ると、アーミラは振り返って遺体の山を見渡した。変わり果てた集落の景色を眺めていると、穏やかだった数日前までの風景の面影がふいに重なり、胸に去来する思いがある。


 悲しみにむせぶ胸を押し止めるように奥歯を噛み締め、目を強く閉じる。出口を塞がれた行き場のない感情は内圧を高めて温度を上げていく。

 泡が立ち、発火する。

 吐き出す息が熱い。


 杖を握る手に力を込めて前方に構えた。魔力を練り上げる横顔は瞋恚しんいに歪み、祈りを込める行為そのものが痛みを伴う罰のようだった。後ろに立つオロルは賢人の流儀に習い、合掌で弔う。


 大気にはアーミラの魔力が充満している。火葬の準備が整ったのだろう。右手でだけで柄を掴み、離した左手を水晶の宝玉に添えると、赤く腫れた目を開き唇を引き結ぶ。


 杖を天に掲げ、解き放たれた術式は宝玉を通して展開された。光の雨は降り注ぎ、骸の乾いた皮膚に、骨に、魔力が染み込んでいく。

 そして堆く積まれた山の奥のほう、芯から少しずつ光が漏れる。遺体のそこかしこから、青く小さな種火が生まれ、火勢を増して燃焼を始めた。

 昨晩の悪意とは異なる柔らかな抱擁のような炎。しかしその熱量は凄まじく、穏やかな見た目に反して吹き荒ぶ熱風は激しい。広場に面した家々の壁面は既に焦げているというのに、あまりの熱さに石の表面が溶解して赤く蕩けだしている。

 魔力による強制的な領域内の燃焼は、きっと骨すら灰へと帰すだろう。塵となり、風に流れて、集落は清められるはずだ。


 それとは別に、オロルはふとアーミラの背中を見つめていた。以前まであった疑念は消え去り、ともに戦場に立つ者としてこの次女継承者を改めて推し量っていた。


 戦いぶりを見たわけではないが、燃焼術式の強度は目を見張るものがある。なにより、臆病さに隠した彼女の、本来持ち合わせている強さを垣間見た気がしたのだ。


 泣きはすれども泣き言を吐かぬアーミラの、気高さの一端を確かに感じた。


「行きましょう」アーミラは火勢を確認するとオロルに言った。「まだしばらく燃焼を続けます」


「見届けんのか?」


 オロルの問いにアーミラは悲しい笑みを返す。


「……先を急ぐには、荷物になってしまいますから」


 ナルトリポカにはいくつかの集落が存在する。

 周りの集落は基本的に甘藷黍を生産する畑が広がっているが、神殿に続く道を束ねる北側にまで足を伸ばせば、より発達した都と呼ばれる街もあった。そこでは各集落が刈り入れた収穫を集めて貯蔵、管理する役割を担い、様々な職能が集まり、貿易が盛んに行われている。


 オロルが定めた次の目的地は、そんなナルトリポカの都だった。

 二人は前線からさらに遠のいてしまうことになるが、杖の中にかくまい運び出したアダンとシーナの傷痍は酷く、治癒の設備や医者の頭数が整った街を目指すことにした。

 人の多いところへ行けば当然組織は拡大し、施設も大きくなる。心許ない集落の町医者よりも都の救護院を頼りにしようという判断である。

 手足が使い物にならなくても生きていればそれでよい――という話ではない。救うと決めたのなら背負った命に対しての責任が伴う。オロルはそれを正しく理解していた。


「……本当は出し惜しみたかったのじゃが、仕方あるまい」


 観念したように呟き、背を丸めて前屈みの体制で固まる。そこからの変化は、さなぎ羽化うかする姿に似ていた。


 しかし、顕現するのは蝶ではない。


 丈の短い外套の背面が盛り上がり、裾から現れたのは太い綱のようなもの。アーミラはこれを見たことがある――正確には透明だったので見えてはいないのだが――この綱を知っている。

 これが三女の神器。綱だけではない。オロルから伸びていく綱の末端は布の貼られていないかじのようなものに繋がる。中心から放射状に伸ばされた八本の柱が地面に足を着けると、外観は丸屋根の骨組みのよう……内側から見上げれば巨大な蜘蛛が頭上に顕現していた。

 この蜘蛛こそが神器本体――柱時計と呼ばれるものだった。


「『柱時計アトラナート』……わしが継承した神器はこの魔導具じゃ」


 オロルは誇らしげな面持ちでアーミラを見下ろす。その身体は宙に浮いていた。いや、蜘蛛型の魔導具――アトラナートと呼んだか――の胴体部底側から伸びる綱によって吊られているのだ。接続された綱はオロルの意のままに動くのだろう。宙吊りになったオロルはぐっと高度を上げ、綱は弧を描きながら小さな賢人の体を持ち上げている。


「柱時計の屋根に乗れ。はしるぞ」


 そう言われ、アーミラは蜘蛛の脚に触れてみる。ここから伝って上に飛び乗れるか確かめたのだ。

 目の前に顕現した神器はひやりとして、外骨格から関節に至るまで何かしらの鉱物か金属で構成されていた。形は違えどウツロと同じものらしい。硬い感触を確かめて、アーミラは蜘蛛の上に乗る。

 オロルはそれを見届けるとナルトリポカの都へ向かい八本の脚を動かし始めた。金属の塊に見えるが、駆動する音は驚くほど静かだった。


「出し惜しみたいと言っていましたが、透明なまま私を乗せて向かえばいいのではないですか?」


 速度を上げていく蜘蛛の上、耳朶を打つ風切音に負けないように、アーミラは声を張り上げて訊ねる。


「透けたままでは乗せられん。わし以外は触れられんのじゃ」オロルが答える。


 なるほど。確かに空から降下するとき、私は蜘蛛に触れていない。実体を持つには透明なままではいられないということか。アーミラは一人納得する。

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