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最後の異世界転生譚 ――Echoes Beyond the Aurora Manuscript――  作者: 莞爾
02 黄昏へ向かう世界《テティラ・マテル》
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臭い女



 集落の北側、工房では小気味の良い槌の音が忙しそうに響いていた。のみを叩く甲高い音が連続したと思えば不意に荒々しい木槌の音に変わる。耳をつんざく喧騒の中にあって、アダンはまるで何も聞こえていないかのように集中していた。木屑の温かな香りと少し粉っぽい室内にふと食欲をそそる香りが漂う。アダンは手を止め、戸口へ視線を向けた。そこには、昼食の詰まった籠を抱えたアーミラが立っていた。


「もうそんな時間か、いつもありがとうな」


 アダンはのみを置いて、首にかけていた布で額の汗を拭う。膝元にはまだ荒削りな、一抱えする大きさの木材がどっかりと並び作業場を圧迫している。入口手前に置かれたのは納品を待つ完成品で、アダンは日々同じ姿の木像を量産していた。


 目下依頼が殺到しているのは、長身の勇ましい剣士の木像。顔は意志を宿したかのように生き生きとして眼光鋭く、結わえた髪も風に踊るような躍動感がある。大きさは様々で、机の上に飾っておけるものから、アダンよりも大きな背丈になるものもある。アーミラが二人の家に招かれてからいくつも目にしているものだ。アダンが言うには、「前線に立つガントール様」の像だと言う。


「……おおきい……」アーミラが呟く。


「ああ、出征の日も近いからな。依頼が途切れなくて困るくらいだ。納品も一苦労だよ」


 アダンは編み籠を受け取り、包みを一つアーミラに手渡す。彼女はこくりと頷いてそれを受け取った。自分の分の弁当だ。


 包みを開けば、ふわりと香ばしい湯気が立つ。黍粉きびこを油で練った生地を薄く延ばし窯で焼いた平たいパンが二つ。緩く谷折りになり、間に挟み込まれた具材はそれぞれ違うものだ。一つは萵苣ちしゃと塩漬けした燻製肉の炙りを薄切りにして交互に挟み、仕上げの薬味として肉の油と大蒜の刻みを掛けたもの。もう一つは水で戻した豆を多種類の香辛料と煮詰めて甘辛い餡にしたものだ。

 アーミラは燻製肉の方をこの場で食べることにした。もう一つは帰りに持っていこう。そうしてぱくついているとアダンは何とはなしに満足そうに笑みを浮かべ、手習いたちのもとに編みかごを運んで「昼にするぞ」と声を上げる。午前のうちから精が出る。手習いたちは各々肩をほぐしたり首を回したりして人心地つくと編みかごの前に群がっていく。


 空になった編みかごをアダンから受け取ると、アーミラは言伝を思い出した。


「あ、あの……『今日はお酒、飲みすぎないように』って……」


「おうおう、厳しいなぁ」


「し、シーナ……から」


「わかってるよ。早めに帰るさ。アーミラも仕事は程々にしとけよ。片付いちまってやることないだろ」


 アダンは笑い、アーミラの肩を軽く叩く。彼の笑顔はシーナとよく似ていた。

 それはアーミラにとって、あまりにまぶしく、あまりに温かい光だった。そしてその光に照らされるたび心の奥で氷解していく何かを感じる。それが嬉しくもあり、同時に寂しくもあった。忘れたくないものが少しずつ薄れていく。アーミラにとって罪悪感にも似た感情が胸にこびりついて、うまく笑うことができなかった。





 帰り道、アーミラは残りの昼食を食べながら川辺の路を歩いている。畦道を挟み、向こう側には甘藷黍かんしょきびの畑が広がっている。青々とした葉はきらきらと、去りゆく春の風に揺れながら擦れ合い、涼し気な音を立てている。来るなついち(六月のこと)からの収穫に向けて茎は太くしなやかに、蜜を蓄え順調に育っているようだ。収穫を控えたこの時期は、いつもアーミラの心を寂しくさせた。


 甘藷黍とはなにか。以前、アーミラはアダンに尋ねたことがある。


「この国ナルトリポカが生産を担う重要なものだ」


 ひいては「これが前線を支えている」と教えてくれた。


 この世で魔呪術マギカを使用する者は、代償として自身の命を消費する。

 しかし術者たちは魔鉱石を用いることで生命力の消費を回避する方法を見出した。魔鉱石に内包された霊素を代償として支払う方法を確立したのだ。だが術者の生命力を奪われずとも、活力の消耗はどうしてたって避けられない。精神は著しく疲労するのである。


 疲労には甘露。永きに渡る戦争の中で、人々は甘藷黍を摂取することで活力を癒やすことができた。甘藷黍の堅い茎の内側に詰まった髄こそ蔗糖であり、甘い蜜がすり減らした活力を癒やすのである。かつては飢えを凌ぐために口にしたものが、やがて戦場を支える必需品となった。


 重要な輜重しちょうとして内地ナルトリポカは甘藷黍の主要生産地として全国へ供給を続けている。乾燥させて粉に挽けば保存が可能、水に溶かせば如何様にも融通がきく。魔鉱石と甘藷黍、この二つが術者の命を、前線を支えている。これなしに前線の維持は叶わないと言うのは決して大言壮語ではない。


 川辺の細道に入ると、昼下がりのせいか人気が少なかった。

 なんだか嫌な予感がする……。


 そう思った瞬間、何かが風を切り、アーミラの手の甲を打った。鋭い痛みが走る。驚いて手を引っ込めると、指から昼食が滑り落ち、土の上に転がった。


「……あ」


 地面には彼女の昼食と、拳ほどの丸石。

 河原に目を向けると数人の影が笑っていた。


なぁに拾ってんのよ、それまだ食べるつもり?」


 河原に視線を向けると、石を投げた者達が寄り集まって騒いでいた。女一人に取り巻きの男が二人。くだらないごっこ遊びか、獲物を仕留めたつもりの手柄顔は下卑た笑みだ。工匠の二人とは大違いだった。


 アーミラを困らせる悩みの種とは彼女らのことだった。この集落に来てから三年、ことある毎にちょっかいをかけてきては一方的に笑いものにされる。気にするなと自分に言い聞かせても不愉快なものは不愉快で、目障りなことには変わりなかった。特に厄介なのが三人組の中で上背のある女。彼女はこの集落を治める領主の娘であり、勝ち気な吊り目に高飛車な顎先を向けてくる女だった。いじめの手段は陰湿なうえ、下手に抵抗すれば事実を捻じ曲げて吹聴する。そうなれば集落での居場所がなくなってしまうのではないかとアーミラは考えていた。何より、シーナやアダンに要らぬ心配をかけたくない。その一心で降りかかる受難を耐え忍んでいた。


「はあ、臭い女も退治したし、行きましょ」


 しとしきり石を投げ悪口を浴びせると、三人は反応がないことに飽きたのか、手で衣服の土埃を払いどこかへと歩き出した。アーミラは手の痛みも気にすることはなく、パンを拾い上げると土を落として再び食べ始めた。例え泥に浸かったとしてもシーナのご飯は美味しい。


 しかし――


「ほら!」


 鋭い叫びとともに、石が飛んできた。

 視界が揺れ、頭に鈍い衝撃が走る。

 次の瞬間、アーミラは地面に崩れ落ちていた。


 何が起きたのだろうか。アーミラは目の前に散らばる豆の煮物とパンの残骸、そして編みかごの他に拳程の大きさの石を見た。これが投げられたのか……そう思い手を伸ばしかけたとき、側頭部の痛みがより明確になる。

 顳顬こめかみから垂れる汗は、指先で触れると真っ赤に濡れていた。思っていたより頭を深く切ったらしく、次第に裂傷が焼けるように痛みだして髪が血に濡れて頬に張り付く。

 痛みの中に懐かしさすら覚える。お師様と修行をしたときはこんなものではなかった。アーミラは血の付いた石を捨てて、傷が奴らの死角になるように顔を逸し、悟られないように髪の房に指を差し入れると魔力を込めた。傷はすぐに塞がる。

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