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最後の異世界転生譚 ――Echoes Beyond the Aurora Manuscript――  作者: 莞爾
❖第二部❖ 出征編 06 修羅

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37話 では遠慮なく



 薄暗い空間が果てもなく続いている。茫漠たる空間にただぽつねんと扉が存在している。それは古びた木製の扉――今しがた潜った水晶の外側へと繋がっているのだろう――であり、出入り可能なことを知っているアーミラはさも当然と扉を閉める。オロルは一瞬だけ、二度と開かないのではないかという不安に襲われたが、顔には出さなかった。


 壁や窓、天井もない空間を目の当たりにして、扉の周りには三人が所在無く互いを見合う。そうしていないと自分の位置が把握できないのだ。


 見上げれば夜天のように闇が広がっているが、そこに星はない。足元を見れば、磨かれた石のような硬質な床が広がる。


 無限にも思えるこの部屋は、部屋と呼ぶにはあまりにも際限がなく迂闊に扉から離れれば帰ってこれないように思えた。しかし、目が慣れると少し離れた所に背の低い書架があることに気付く。石垣か畑のうねのように一定の長さで途切れてはまた列になり、視界の果てまで伸びていた。結局、書架に沿って真っ直ぐ歩いたとしても果てはないのではないかと思わせられる。


「恐らくこの空間……、ないしこの部屋は穹窿きゅうりょうの構造をしておるのじゃろう」オロルは言う。


 その根拠は、書架の配置がこの扉を中心に放射状に広がっているかららしい。果ては暗く、確かめる術はないが、ここは杖の内部……水晶玉が球形ならば、内側の空間もまた円環を成すのではないか。ここが水平であるということは、天井は球体を上下に分割した上半球形状なのではないかと推測したのだ。


 それを聞いたガントールは見えない穹窿の内側をなぞるように仰ぎ見て息を呑み、ぐるりと扉の方へ振り返って後ろへ回り込んだ。アーミラとオロルの視界から隠れる形になる。

 先ほどアーミラが閉めたとおり、裏側もしっかりと閉じられていた。ガントールは好奇心から、おもむろに取っ手を掴んで扉を開ける。こちらからも外に繋がるのか、あるいは――


「おいアーミラ……これは?」


 ――ガントールはそう問いかけながら、内心では予感が当たっていたことを理解した。


 同時に、アーミラとオロルから見ても不思議な事が起きているのがわかった。

 開かれた扉の向こうに、ガントールの姿はない。


 二人は慌てて扉の裏側へ回り込み、ガントールと合流する。表からは見えなくなっていたガントールはまだそこに居た。

 そして裏から開いた扉の先、そこには下へ続く階段が続いていた。扉の表と裏、それぞれが異なる空間に繋がっているようだ。


「え……うわ……し、下があるんですね……」アーミラは思わず口元を抑える。「知りませんでした……何があるんでしょう……」


 アーミラもこの先はまだ知らないようだ。

 オロルは推測を立てる。


「……この場所が半球の上側であるならば、下側の半球も存在しているはずじゃな」


 長い年月もの間、そこは誰ひとりとして踏み入れるものがいなかった世界だ――それはこの場所もそうなのだが……――それでもアーミラはこの階段を降りる勇気が湧いてこなかった。


 ガントールが開き、そのままぽっかりと口を開けて待つ扉の向こう側は、螺旋を描く階段が下へ伸びている。

 枝のように伸びた階段の手摺も艶は失せていてどうにも心許ない。細い支柱が段ごとに繋がっているが、体重をかけると折れて落下してしまいそうな繊細さがある。それと同時に、神器の内側の空間なのだから、この階段は絶対に壊れないような予感もある。


「行かんのか?」


 オロルは焦れったくなってアーミラを急かす。好奇心に駆られたオロルは一人先陣を切るのもやぶさかではないという気持ちになっていた。それを知ってか知らずか、アーミラは後退あとずさりして先を譲った。


「では遠慮なく」


 不敵な笑みを返し二人を置いて扉をくぐる。アーミラとガントールは階段に余計な重さを足してはいけないと考え、後には続かずオロルの声を待っている。


 螺旋階段はオロルの想像していたよりもぐっと短かった。ぐるりと二周。それだけで地下の床を踏む。てっきり上階のように途方も無く広大な地下世界が広がっているとばかり考えていたので、それはそれで意表を突かれた形だった。


 地下の空気は生温く、腐臭というよりはやや湿った黴臭さがあり、古書コデックスの類いを保管しているらしき匂いがした。オロルは無言のうちに呪文を唱え、着飾った外套に燐光を発生させると、ひとまず足元を照らすには十分だった。

 光蟲のような淡い光を全身に纏うと、闇に覆われていた視界は微かに明瞭になる。辺りは階段を降りた際の風で舞い上がったのだろう塵や埃が光にきらきらと照らされて季節外れの舞雪のようだった。オロルは鼻を鳴らして手扇で埃を払ったが、余計にひどくなるばかり。顔を顰めると次に外套の襟を立てて鼻先を覆った。


 一度螺旋階段の方を見上げ二人を呼ぼうかとオロルは考えたが、すぐに思いとどまった。光を灯した今、この部屋の狭さが理解できたからだ。


 賢人種は他の種族よりも体格が小さい。大柄な獣人種と比べるなら成人であれば背丈身幅ともに倍は違う。そんな賢人のオロルでさえもこの部屋に受ける印象は手狭だ。

 室内の左右に床から天井まで届く棚が壁のように囲い、手前に机、奥に寝所が見える。もともと夜目が利く質なオロルはざっと見渡して、この部屋の用途も理解した。


「……驚異の部屋。先代の潜窟せんくつか……おい! 姉共降りてよいぞ。狭いからアーミラが先に来い」


 オロルの声を聴き、二人はそろそろと螺旋階段を降りてくる。ガントールは一番後ろをついて歩くのは性分ではないと不満を感じていたが、床板を踏む頃にはオロルの指示が正しかったと知る。天井は低く、膝を曲げて腰を落とさないと頭角がぶつかって引っかかる程だった。


「うひゃあ、窮屈だ」


 ガントールが戯けて言うと、声に振り返ったアーミラが不意に口元を抑えてくつくつと笑いをこらえた。


「そんなに面白いか?」


「天井を見てください」そう言って上を指をさすアーミラはまだ口の端に笑みが残っている。


 ガントールが促されるままに天井を見ると、二人の会話を聴いていたオロルが自身の魔力を強めた。蠟燭ろうそくほどの灯りは風に煽られるように揺らめくと篝火かがりびほどに光量を増し、わだかまる暗がりが押しのけられた天井には蛞蝓なめくじが這った跡のように二条の線が引かれている。アーミラはそれを見て笑ったのだとはガントールは理解したが、それが何故面白いのかはわからなかった。


「なるほどのぅ」と、オロルまで口の端を吊り上げる。ガントールはさらに視線を天井に注ぐ。


 よく見てみると、ときおり格子状に材木が組まれているところでは傷が付いていた。二条の線と同じように二箇所、何かがぶつかり、擦れたようにささくれている。ガントールはそこでやっと意味がわかった。


「……私の先代も、難儀したんだな」


 この条痕は先代長女継承者が遺したものだ。ガントールと同じく天を衝くほどの身丈だったのだろう。二条の線は頭角が天井板に擦れた跡だ。身を屈めてもなお格子部に角をぶつけていたその情景が、この痕跡からありありと見て取れる。さらによく観察すると、条痕は部屋の入口付近だけでなく、天井のあちこちに刻まれていた。アーミラが笑ったのは、先代長女継承者がそんな風に角を引きずりながら部屋を歩き回る姿を想像したからだった。

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