36話 惣而無而、曰盗人従闇来
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継承者一行はムーンケイの市井で武具と魔鉱石を買い集め、着々と前線へ向かう準備を整えていった。宿に戻り飯を食い、各々が部屋で身を休めていた夜半にアーミラの部屋から戸棚をひっくり返すような騒がしい音がする。壁を隔てて別部屋で眠ろうとしていたガントールとオロルはまたぞろ鈍遅を踏んだかとしばらく無視していたが、結局は重い腰を上げて何事かと様子を見に部屋を出た。廊下では、アーミラの部屋に繋がる引き戸の前で鎧が立っていた。
「何かあったか?」
ガントールがウツロに問うが、どうしたものかとウツロは視線を返すばかり。二人の様子を見ていたオロルは二人の間に割って入ると手のひらを差し出した。
「ここに書いてみよ」
琥珀を焦がしたような黒い肌。小さな手のひらには刻印が刻まれて余白が無い。しかしウツロの筆に墨は必要ない。冷たい金属の指先がオロルの肌に触れると、一文字ずつ言葉を書いていった。オロルはその運筆を目で追い、肌の感覚を研ぎ澄ませる。
――魔石、銅粒、惣而無而、曰盗人従闇来。
ふむ、とオロルは手のひらに記される文字を頭の中で紐解いていく。拙いものの一応は賢文の体をなしている。ウツロが伝えている内容は単純だ。『アーミラが買い揃えた魔鉱石と巾着の財布のすべてが無くなっていて、恐らく泥棒が宿に入ってきた』ということらしい。
オロルは理解すると同時に拍子抜けしたように肩を落とし眉を開く。ガントールも目で指を追っていたから会話は読み取れた。互いに目配せして困惑する。
「敵……じゃあないな」
「いや敵ではあるじゃろ。被害があるんじゃから」
「それで、ウツロはなんで扉の外で立ってるのさ?」
ガントールの問いに合わせてオロルがまた手のひらを差し出した。
「わし相手じゃからと賢文を使わんでよいぞ」
ウツロは頷くと簡単に答える。
――男は入るな、と。
「男って……まあ男か……いや、人じゃないんだから関係ないだろ。そもそも、ここ宿屋だぞ?」ガントールは呆れた顔で鎧を見る。
「どうせ散らかしておるのじゃろうて。まともに取り合う必要もない、入るぞ」
オロルは言うが早いか既に扉を開けて部屋に押し入る。しかし、予想に反して部屋の中は整然としていた。だが、妙だ。荷物を荒らされた形跡すらない。まるで最初から何もなかったかのように、ただ静まり返っていた。
先程まで仰々しく騒がしい物音を立てていたアーミラも居ない。
がらんどうの部屋には唯一、杖が所在無げに部屋の一隅で倒れていた。大きな物音は恐らくこれが床に倒れて転がった音か、オロルは奇妙な状況に閉口する。
「盗まれたのはアーミラ本人とは言うまいな」
「泥棒じゃなくて人攫いだって言いたいのか? 流石にないだろう。ウツロとは呑気に話したんだから」
とは言いつつもガントールは怪訝な顔をして腕を組み、ならばどこに消えたのだろうと閉じ合わされた窓を開けてみる。木製の引き戸を横に滑らせると、外側に格子が嵌められていた。やはりここから出ていったわけではなさそうだと、ますます思考を巡らせる。
不可解な状況にからりとした風が心地よい。ガントールはその窓を開けたままにした。
一方オロルは、とりあえずという風に床に転がった杖に手を伸ばす――
「ありました!」
――杖に嵌め込まれた水晶からアーミラが飛び出した。
二人の顔は鼻先が触れそうなほどに近く、オロルはほんの刹那に立ち位置を移動して不機嫌にアーミラを睨む。一方でアーミラの方はつんのめって杖の中に再び半身を沈み込ませた。
「……何をしておる」
オロルは手を掴みアーミラを引きずり出した。露骨に機嫌を損ねているが、アーミラの方は気付いていない。というよりも興奮しているようだった。
「あ、あったんです……! あの、杖の中……!」アーミラは左手に巾着、右手にオロルの腕を掴んで振っている。
「待て待て、状況について行けてないぞ」ガントールはますます困惑している。「なんで杖に飲み込まれてるんだ? 大丈夫なのか?」
「あ、はい、えと……」アーミラは我に返って説明をしようとするが、どこから話すべきなのか言葉がまとまらない。雛鳥のようにきょろきょろとするばかりだ。
「まず石は見つかったのか?」と、これはオロル。アーミラに掴まれた手を振りほどき、心なしか語気が冷やかである。
アーミラは夜鷹に睨まれた鼠のように口を横に引き結んでこくこくと首肯して答えると、次にオロルは「杖の水晶の中に入れるのか」と問う。アーミラはまた首肯した。
オロルはアーミラの扱い方を既に心得ているようだ。一度緊張してしまうとまるで喋れなくなるのだから、首を横に振るか縦に振るかで成立する質問で攻めたほうが早道だ。一から十まで説明させていてはきりがなかっただろう。
「へ、部屋が……ありました……! す、すごく、ひろい……です……!」
たどたどしく水晶から抜け出すとアーミラは正座をして杖を指差す。視線は未だ興奮している。オロルとガントールは互いを見やってどうするべきかを沙汰する。杖の水晶は両手で抱えるほどの巨大な魔鉱石の玉だが、まさか内部に空間があるとは……
「その部屋……とやらに失くしものがあったのか?」ガントールが改めて事の次第を確認する。「なんでそんなところにあったんだろう」
「に、荷物を……部屋の、隅にまとめていたんです……きっとそのときに……き、巾着が水晶に触れて、飲み込まれたと……思い、ます……」
「巾着の行方はよい。興味ないわ」突っぱねるようにオロルは言った。「杖の中にある部屋……わしらでも入れるのか?」
その言葉にガントールも同意した。泥棒だなんだという下らない話はもう解決した。目下三人が関心を示すのは次女に与えられた神器、杖の内にあるという部屋の存在だ。
「た、たぶん入れます……わ、私の、手を、に、握ってもらえますか……?」
アーミラは言いながら既に半身を杖に押し込み、蝸牛のような体勢で手を差し出した。ガントールもそれに応えてしっかりと握り合う。もう片方の手をオロルと繋ぎ、後は引き込むだけ。一度ウツロも招待すべきかとアーミラは引き戸の方に視線を向けたが姿がない。残念だが諦めて杖の中へ身を沈めていった。
硬質な光沢を放つ磨き抜かれた玉石が、今目の前でとろりとした液体のようにアーミラを包み飲み込んでいく。灯石の光が波打つ曲面にきらきらと反射して揺らめき、アーミラの藍鉄色の髪を照らしている。彼女の喉元が沈み、次に口、鼻が見えなくなるとオロルは自然と息を吸い、肺に空気をためた。アーミラの手に引き寄せられるまま肘、肩と水晶玉の中へ沈んでいく光景が未だに現実のものとは信じられない。そして水面が唇に触れた刹那には視界は一度光に白く焼け、抗えずに目を瞑る。
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三人が消えた後に残された静寂と虚無の中、様子を見に来た鎧はもぬけの殻になった宿部屋に立ち尽くしていた。
そして三人を探すような静かな足取りで部屋の中を歩き回り、杖を通り過ぎて窓の方へ向かう。ガントールがなんの気無しに開けた窓だ。
ウツロは窓の外が木枠と格子が嵌められていることを確認して、微かに首を傾げる。窓を閉めようとして、ある一点に目を向けた。
そこで彼の動きが止まる。まるで何かを見つけたかのように暫し無言で佇むと、踵を返して足早に宿を出ていった。
わずかな時の中に起きたすれ違いが、この時ばかりは悔やまれる。




