34話 ちょっと、あなたの目、節穴ですか?
――始原に在りしは、火なり。
人の子ら、炎を見つけ、
地を灼き、木を焚き、屍を焦がすを畏れたり。
人の子ら、枝に火を宿し、
棲み処に携えて、静かにその熱に馴れたり。
遂に人は、火と共に歩みたり。
火は光を齎し、闇を祓い、穢れを逐いぬ。
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道程は滞りなく進み、途中、マハルドヮグ山の中腹――国境の狭間にある神殿管轄の駅で馬を換えた。一行を乗せた幌車は揺れながら進み、日の傾く頃には卓状地に辿り着く。
一行は神殿を出発し、その日の内に三代目国家ムーンケイに到着した。
鎧は幌車を降りて宿の馬繋場に馬を停めた。後ろの幌からはぞろぞろと継承者たちが腰を曲げて降車する。ガントールにとっては数日前にも訪れた街並みであり、オロルにとっては期せずして蜻蛉返りの帰郷であった。目を輝かせながら街並みを眺めるのはアーミラだけだった。
今宵の旅程に辿り着いた宿は立派なものだった。その昔、賢人種である三代目継承者が建国したというこの国の、独特な宗教感が景色から醸し出されている。
信仰が香り立つ国だ。――と、アーミラは思った。
この辺りで伐採される杉等の木材を利用した建築様式は古く、全体的な佇まいは寺院のような姿をしている。扁額に掘られた宿の扁額には金の箔押しが施されており、格式の高さを窺わせる。粘土質の土を焼成して瓦葺きにしている様は、神殿とは雰囲気ががらりと変わっていた。
屋敷の周りを囲う土壁は幾度も塗り重ねて補修した跡があり、絶えず下層から吹きすさぶ炉の熱風に煤けていた。番頭曰く、先代の継承者もこの宿で身を休めたという。そんな謳い文句を聞き流しながら、オロルは宿からの景色を眺める。上層から見下ろす島嶼部は変わらず西陽に翳っていた。金色に煌めく波間を暫く見つめ、興味が失せたように踵を返す。一行は宿で身を休めるのは夜まで後回しにすると決めて、鈍った体をほぐしがてら目抜き通りへ向かった。
継承者出征の報せは既に国々に駆け巡り、もはや知らぬ者はない。ごった返す人波は目も綾な正装に身を包んだ女神を前に緊張が走り色めき立つ。往来の激しいムーンケイの露店街で彼女達の周りだけは斥力が存在しているかのように人波が左右に開かれ、盗み見る視線が背中に張り付く。アーミラは居心地悪そうにガントールの裾を掴み、そんな様子を見てオロルは鼻を鳴らした。本当にあれで戦えるのか……。
ざっと露店を一通り巡って、ガントールは申し訳なさそうに「武具が見たい」とアーミラに言った。握っていた袖を離すと、首輪の外れた犬のように一目散に目当ての店へ向かってしまった。振り返ればいつの間にかオロルも人波の中へ消えている。己の気の向くままに目星をつけた露店へ向かったのだろう。あとに残されたアーミラは一度オロルの後を追おうとしたが人混みを掻き分けてまで探し回るのは気が引けた。ならばやはりガントールか、彼女なら獣人種であるため上背が頭一つ抜けている。とはいえアーミラ自身は武具に興味がない。ガントールもそれを知っているから袖を離すように促したのだろう。どうせなら魔鉱石を扱う露店を見てみたいとアーミラは思うが、知らぬ街の衆目に晒されては動けない。アーミラは悄気たように肩を落として宿へ向かう――と、その肩に触れる者がいた。
「……ウツロさん」
どこへ行くのかと言いたげなウツロに振り返り、見る間にアーミラの表情は華やぐ。
「い、一緒に……露店を見ませんか……?」
そんな誘いにウツロはもとより拒む理由はなく、無言で首肯するとそのまま手を引かれて露店の並ぶ目抜き通りを練り歩く。
街は当代継承者の出征に伴い、軒を連ねる露店は商売っ気もたっぷりに声を張り上げる。その心は継承者の目を引くことに尽きる。もし手にとってもらえたのならその商品は値が上がる。もしお眼鏡に叶って買ってもらえたのなら店自体に箔がつくというものだ。往来の激しい露天の通りには、声を枯らしてなお張り上げる客引きの威勢のいい言葉が飛び交う。ガントールやオロルならばいざ知らず、アーミラは怒涛の剣幕で気を惹こうとする客引きにかえって足が引けていた。
露店の商人と目が合わないよう彷徨わせた目線の先に、辺りの賑わいから隔絶された、やけに静かな一劃を見つけた。土の上に茣蓙が敷かれ、その上には朽ちた木の板。そこには、かすれた墨字で『魔鉱卸商』と記されている。しかしその佇まいは襤褸く、一見して乞食の寝床と思う者こそあれ、店だとみるのは難しい。茣蓙の上にせめてもの設えとして木の板を横に安置し、それを陳列台として魔鉱石を並べていた。悲しいかな、往来による泥はねで木の板さえも汚れてしまっている。その奥では店番か、あるいはやはりのたれ死んだ乞食か、茣蓙の上で少年が膝を抱えて丸くなっていた。
隣に並んだウツロはその露店を眺めたあとにアーミラに向かい首を傾げる。何やら言問顔か、アーミラはその無貌のなかに表情を読めるようになっていた。
「……魔鉱石を扱うお店ですよ。あなたもそれで動いているんですから、最低限の知識はありますよね」
アーミラはそう言いながらウツロの体を検める。そういえばこの鎧、嵌め込まれた魔鉱石がいやに少ない……それで足りるのだろうか?
ウツロはアーミラの問いには曖昧に頷いて、また露店に視線を向けた。察するに魔鉱石のことをあまり知らないようだ。どうせ他の店は人が溢れて近寄れないのだからと、アーミラはあえてこの店に近付いた。
「ここで魔石を買っていきましょうか」
恐る恐る近付いて、店とお揃いに襤褸を纏う少年を見下ろす。少年の方は眠っているのか、膝の間にがっくりと首を落して、短く刈った襟足から盆の窪を晒している。店は湿気た黴の臭いがして、アーミラは悟られないように呼吸を浅くした。いつかの自分もこんな腐臭を纏わせていたであろうことを思い出す。
後ろでは継承者を射止めそこねた露店の者が「あんな襤褸よりこっちゃ良いもん揃えてるよ」と妬み嫉みに陰口を叩いている。アーミラはむしろ意地になって少年に声をかける。
「あの、すみませんがここはやっているんですか……?」
アーミラが訊ねると、少年はぴくりと耳を動かして顔を上げ、しばらくして目の前の客が何者かを悟り目を点にして飛び起きた。耳は丸く、肌は黒い。賢人種だ。
「わ……や、やっとるがね!」
まさか継承者がこの店に立ち寄るなんて思いもしなかったのだろう。少年は上ずった声で陳列台越しにアーミラに向き合うと、雑嚢から魔鉱石を取り出して並べた。眠りこけているときも握りしめていた雑嚢だ、露店の店先にはおいそれと陳列できない上物ということだろう。対してアーミラはどう見るか、ウツロは反応を窺うように後ろから眺めている。
土埃と油のしみで汚れた雑嚢をひっくり返し、ばらばらと店先に並べられた鉱石を見て、アーミラは殊の外目を輝かせた。掘り出し物を期待してはいなかったが、寂れた店の割に品はきちんとしているではないか。
アーミラは喜色に緩んだ面持ちを今一度引き締めて首を振り、目の前の鉱石を一つ手にとってその真贋を矯めつ眇めつ確かめる。そして振り返らずに話し始める。
「ウツロさん見てください。質の良いものもあるじゃないですか」
後ろに立つ鎧は一歩距離を詰めて覗き込む。
――俺にはわからん。
「ちょっと、あなたの目、節穴ですか?」アーミラはウツロを振り返る。しかし、その無表情な面を見て、ふっと苦笑いした。「……本当に節穴でしたね」




