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三人揃ったのじゃから、彼奴の出る幕はない

「――そういえば、今日はウツロを見ないな」ガントールが言う。


 外壁に斜陽が遮られ、すっかり薄暗くなった神殿内部では灯が燈されはじめた。

 継承者はこの日最後の儀を見届けるため、それぞれが授与された神器を携え、玉座を降りて本殿の中庭へ向かっている。


 一人、オロルだけは手持ち無沙汰であった。それはこれから行われる儀式に関係している。


 『星辰せいしんの儀』とは――三女の継承神器である『柱時計』の解明を進める儀式だ。

 先述の通り、柱時計は未だ解明されていない謎を多く抱えているため、継承者が現れた折に研究を進めるのが狙いである。つまるところ継承者とは神器の所有者であり、当人オロルにのみ与えられた権能など、保管時には扱えない機巧を含めて未知を明らめられる可能性があるのだ。

 出征を明日に控えている為、神人種の博識高い者達は己の威信を賭けてこの日を有意義に使う必要がある。研究という目的が先に立つため、前の二幕とはおもむきが異なり、堅苦しい空気はなかった。


 そういうわけで、三女神器の柱時計は今オロルの手元にはない。神人種たちは忙しそうに口角に泡をためながら、筆を片手に互いに意見を交わし、目の前の神器の解明に汗を流している。オロルはそれを傍目に眺めながら、彼らの努力が実を結ばないであろうことを憐れんでいた。


「なぁ、見てないだろう?」ガントールは再び問いかける。


「何をじゃ」


 オロルは煩わしそうに応えた。視線の先にいる神人種達の徒労を眺めていたせいか語調が厳しいものだったが、ガントールは気にせず繰り返す。


「だから、鎧だよ。ウツロの姿を見なかったなあって」


「ああ、なんじゃったか、アーミラの連れじゃろ」


 ガントールはその言葉に頷いた。既に二人の中では鎧はアーミラの連れという認識である。対して当のアーミラは満更でもない顔で首を振るが、頭の中では今朝の事を思い出していた。たしかに、顔を洗いに出たときは神殿にいたのに、どこにいるのだろう……。


「でも……どうなんだろうな」とガントール。


「何がですか?」


彼奴あいつはほら、先代の忘れ形見だろう。だからてっきり私達の出征に付いてくるのかと思ってたけど、式典にいないとなると『アーミラの連れ』どころか神殿で留守番なのかも」


 アーミラはそんなことを言われて驚く。

 そうか、ことによっては一緒に旅を同道する可能性もあったのか。そんなことを思うと、つい余計な期待をして、この場にあの無口な鎧は彷徨いてはいないのかと辺りを見回してしまうのであった。


「もしわしらが現れなかったなら、ガントールと鎧の二人が出向いたのかもしれんな。当代は三人揃ったのじゃから、彼奴あやつの出る幕はない」


 オロルの言葉にアーミラは密かに落胆し、今宵は更けていくのであった。





 夏夜雨かやのあめが山肌を洗い、朝には雲が流れて暁の光が射す。麓に茂る下草の葉に揺れる鈴のような夜露は、あさひに煙り白く立ち昇る。背の高い針葉樹の足元がそのもやに隠れて、霧の中からは木立の先が黒く姿を覗かせていた。神殿は朝から神妙な音色の鼓笛が鳴り響き、厳かな行軍の律動が早朝から続いている。

 外郭の門の外には頭絡とうらくを付けた馬と幌車ほろぐるまが静かに待機していた。


 出征式典二日目、まさにその締めくくりである継承者の前線出征の門出であった。


 儀式の一切は滞りなく執り行われ、長い一仕事に区切りが付いたカムロが細く息を吐く。

 本殿の中庭では、継承者三柱が割れんばかりの拍手の中、まさに背を向けて会場を後にするところだった。

 先頭は長女継承のガントール。神器を背剣して前線へ向けて歩きだす。その後ろに列をなして次女アーミラ、三女オロルと続き、その姿が本殿から見えなくなっても拍手は止まなかった。

 石畳の通路の左右、玉砂利の上に神人種が並び、女神の姿を一目焼きつけようと総出で見送っている。ガントールからすれば最早この眼差しも慣れたもので、むしろこれが最後であるから体は軽い。人々の視線に笑みを返し、時折顔見知りの者と会っては激励の言葉を交わし合い堂々と進んでいく。

 後ろに続くアーミラは対照的で、頭巾を目深に被り極力視線を避けていた。そのせいで先頭のガントールと間が開いてしまっていることに気付かず、オロルは「早く歩け」と小声で急かした。


 親鳥の背をついてまわる雛のようなたどたどしさでアーミラは小走りにガントールの背に追いつき、急かした当の本人が今度は一人離れてしまったが、オロルはあからさまに歩調を早めはしなかった。悠然として、常に余裕を持ち、不敵に民草の視線を見つめ返す。三者三様の行進はこうして神殿の門をくぐる。


 神殿を後にする最後の刹那、アーミラは背中の寒さを感じて振り返る。

 今更になってオロルが付いてきていないことに気付き、急かした癖にと不満げに唇を尖らせた。

 次にオロルの後ろ、本殿の向こうに立つ女神三柱の巨像を見た。


 次女の像が始まりの日と同じようにこちらを射抜き、東雲しののめから射す暁に灼けて半身がぼんやりと白く輝いていた。彫りの深い眼窩がんかと筋の通った鼻柱によって光が遮られ、ちょうど顔の半分が陰となってわだかまる闇の中から暗澹あんたんとした瞳がこちらを見つめている。

 光と闇、その両極の眼に見送られ、アーミラは改めて背筋が粟立つ理由を知ったのだった。


 閉口して逃げ出すようにアーミラは神殿を旅立つ。拍手で見送る者達は彼女の青褪めた顔を見ることもなく、他人事のように行く末の安泰を願い、心持ち晴れやかに三々五々解散した。

 ガントールは門の外に吹く山風に髪を踊らせて背伸びをすると振り返り、心労に曇るアーミラの頭を撫でた。


「おいおい、今日はこれからだぞ」


 そんな言葉にアーミラは首肯する。巨像の視線が冠木かぶきに隠れて緊張が解けると、今度は心残りに後ろ髪を引かれるように何度も振り返っては視線を彷徨わせる。結局、鎧とは会えずじまいのままここを発つことになりそうだと落胆に眉を下げると後からやって来たオロルは口角を吊り上げた。


「馬で行くのか。馭者は誰かのう」


 道道みちみちを己の脚で歩かなくて済むのは幸いだというが、それにしては脂下やにさがった笑みである。その視線はアーミラに向けられ、『馭者を見ろ』と言わんばかり。アーミラはまさかと思い改めて手綱を握る者の姿へ視線を向ける。


 そこにはウツロが待っていた。

 無感情な面鎧は相変わらず何も語ることはないが、片手には二頭の馬と繋がる綱を絡めて、もう片方の手は指を広げて馬の首を軽く叩いていた。これは感覚の鈍い馬にとって、撫でられているよりも明確に伝わり、気持ちを落ち着かせることができる窘め方である。指を反らせるほど広げているのは、板金の隙間に毛が絡まないようにするための気遣いのようだ。金属製の手指は少し冷たいからか、馬は心なしか涼んだ目をして身を委ねていた。


「前線への導き手はこの忘れ形見か……因果よな」オロルは呟くと一人頷いた。


 アーミラはこの旅にウツロが同行することに目を丸くしてしていたが、嬉しい誤算に口元が緩んだ。


 ――嬉しい?


 ……と、自身がなぜこれほどまでにウツロに心を惹かれているのかを不思議に思う。

 これまでの道を共にしたからか、その者が人ではないからか、言葉を交わさないからか、鎧の存在が特別な理由を挙げようと思えば、いくらでも出てくる。しかし、正鵠せいこくを射抜くには至らなかった。



[05 出征式典 完]

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