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天帝様が何か囁いてなかったか?

 大祈祷には莫大な魔鉱石を消費するため、継承者以外に行われることはない。

 それこそ、天帝さえも非死の力は獲得してはいない。


 その理由としては二つ。

 一つ目は、天帝は神殿から出ることがないためである。魂を祀る依代よりしろの像をわざわざ建造し、そこに魂を納めたところで、天帝本人が神殿に籠もっているのなら意味がない。

 二つ目は、大祈祷が莫大な魔鉱石を消費するためである。大祈祷は継承者の誕生する百年周期の間に、民草から税として納められた魔鉱石が割り当てられる。その消費量はおよそ三割。常識ではまず考えられない非効率な術式が用いられている。

 当代は先代から現れなかったことから二百年分の潤沢な貯蔵があるものの、黒字分を天帝に充てるのは反感を買うだろう。


 非死という異能は前線での奉仕という約束が前提にある。

 死の危険と隣り合わせであるからこそ、人々は女神の無事を祈るのだ。


 心像灯火の大祈祷が滞りなく執り行われる中、まさにその継承者三名は自身の肉体の変化を感じ取っていた。

 強烈な目眩とそれに伴う浮遊感。それを「幽体離脱」と言語化できたのはオロル一人だけだった。厖大ぼうだいな魔呪術の知識から自身に起きた変化を冷静に観察していた。


 その傍ら、ガントールは口を引き結んで術式に耐え忍び、アーミラは漠然とした懐かしさに戸惑っていた。魂が引き剥がされる感覚――未知の感覚であるはずなのに、アーミラにとっては既知の記憶をくすぐられたのである。


 肉体の中心にぽっかりと穴が開いたような、空腹感にも似た奇妙な感覚が残り、三人は申し合わせたように腹を撫で擦る。明確に心臓が欠落したわけではないが、感覚として自身の体から何かが取りさらわれたことは理解できた。おそらくはそれこそが魂なのだろうと考えがめぐると、アーミラは背筋が凍る思いで二人を見た。


 術式の副作用らしき反動も無ければ痛みもない。大祈祷が終わると人々の視線は上を向く。

 その視線を追いかけるようにアーミラも後ろを振り返り空を見上げた。

 初夏の青空を遮る巨像が目の前に立ち塞がり、その像の胸元に今まさに小さな篝火が灯ると、すぐに燃え広がって吹き荒ぶ風にも負けない焔となった。


 あれが私達の魂。霊素が焔の形となって現れた姿か――と、アーミラは実感が沸かないまま、ぼんやり思うのだった。


 熱に浮かされたかのように惚けた継承者の背後からは祝いの拍手が上がり、喝采が肌を震わせ意識を呼び戻した。大祈祷が滞りなく終了したのも束の間、カムロが次の儀へ移行する旨を伝えた。


 式典の第二幕、『神器継承の儀』が行われる。





 神器とは、継承者に与えられるかばねの由来であり、神から授かりし魔導具の総称である。大戦の歴史から今日こんにちに至るまでの文明を支えてきたその三つの神器は、当代継承者が現れるまで神殿に保管されていた。

 それぞれの名称と特徴は以下のようになる。


 長女継承神器――天秤リブラ

  外観はきっさきの丸い両刃の剣。

  古い時代に使用されていた死刑執行人の用いる斬首剣と類似する外観である。

  刃渡り一振ほどの短い剣身の割に、柄は長く獣人種の膂力りょりょくに合わせた両手持ち

  の運用が想定される。


 その剣がなぜ天秤の名で呼ばれるのかはつばを見ればわかる。意匠は左右対称に枝を伸ばした形状で、初代継承者の顕現時にはまだ存在していなかった質量計器の形をとっていた。時系列に沿って事柄を並べるなら、まず天秤と呼ばれる剣を神殿が預かり保管した。そのなかで鍔の見慣れぬ意匠の用途を分析し、質量計器としての活用方法が判明したのである。

 以降は剣身を省き、左右の皿で重量の比較測定を行う用途に絞った模造品が流通し、商人の貿易等に広く使用されるようになったというのが歴史の流れとして正しい。


 次女継承神器――天球儀ラルトカンテ

  神器外観は魔鉱石を囲うように弧を描く弓が天体図形の上部と下部の極を貫き、

  天球儀を構成している。神器の下半分は石碑の破片が母岩のように癒着してお

  り、全体として身の丈と並ぶ大杖のような形状である。

  石碑には解読不明の文字らしきものが刻まれており、神が用いる言葉の一節で

  ある可能性があるとされている。


 天秤によってもたらされた叡智と同様に、この神器はこれまでの通説である天動説を覆す要因となった。

 磨き抜かれた巨大な魔鉱石の表面には陸地と海面が描かれ、自身が生きるこの星が平面ではなく球体を成すことの証左となったのだ――とはいえ、この球儀上でも禍人領は粗く削られたように曖昧に表記されている。

 これにより、これまで不可能とされた天体の周期計算が可能となり、この世界が太陽を中心に星々が巡る『地動説』が立証された。また、雨季、乾季等の天体の周期計算に基づく知識は農耕において重要であり、一つの周期を『年』。それを十二に分割したものを『月』。日が沈みまた登るまでの周期を『日』と名付けた。季節や暦の概念が確立され、天体の記録からは占星術が誕生するに至る。


 三女継承神器――柱時計トゥールバッハ

  この神器については未だ謎が多く、神殿での目下研究対象である。

  三代目がこの神器を『柱時計』と呼んだためこの名称で統一されており、言葉

  のままに受け取るのならこの神器は『時を計る』ためのものであると推察され

  ている。

  しかし、時というものの概念が未だ曖昧であり、『時計』という未知の機巧が

  どのようにして時を計るのかも解明できていない。


 現在は暦と合わせて十二まで数えて一巡する進数という数学的概念が解読されたが、神器に備えられた文字盤とその中央から伸びる三本の針はそれぞれが異なる律を持っており、複雑な歯車と用途不明の発条ばねのような機巧等、魔呪術とは異なる金属加工によって構成されたこの神器を理解し模造するにはしばらくの時間を要するだろう。

 外観についても名前とは異なり、手鏡ほどの大きさしかない。首飾りのようにぶら下げて持ち運ぶようだが、この神器でどのように戦闘を行うのかは三女継承者以外には全く不明である。


「なあ、アーミラ」


 声を顰めて問いかけるのはガントール。神器継承の儀においての一幕で継承者は依然として玉座に身を置いていた。昼下がり、集中の途切れる頃合いにガントールは視線を交わすことなく言葉だけを届けたのだった。


「え、と……どうしました?」


 名を呼ばれたときアーミラは思わず視線を向けてしまったが、余人に悟られぬように目を合わせないガントールの態度を理解して顔を伏せた。

 まだまだ式典は続く。これから神器を授かるという手前、何を問うつもりなのだろうか。


「さっきの式典でさ、天帝様が何か囁いてなかったか? あれはなんて言ってたんだ?」


 アーミラは、ああ、と思い出して困った顔をする。


「確か、『恐れるな』と……そんな、ような、ことを……」


 言葉切れは悪く最後の方はもごもごと口籠って会話は途切れた。

 実は天帝の言葉には続きがあるのだが、アーミラ自身その意味を図りかねていたのでガントールには伝えなかったのだ。正確にはこのように囁いていた。


 『恐れるな、何も知らぬだけだ』


 それが誰に向けた言葉なのか、何を意味しているのかわからないので、アーミラは都合のよい言葉のみを伝えるに留めた。


「ふぅん……アーミラが緊張してたからそう言ったのかな」


 ガントールは思ったままに呟くと会話を終える。アーミラも曖昧に頷いて誤魔化し、改めて神器継承に集中した。

 紗をかけた至聖所の暗がりへと戻る天帝をこれまた叩頭して見送り終わると、神人種の衆目は壇上へ向かった。

 一仕事終えたような息づかいが漏れ聞こえてくる。事実彼らは大一番の仕事を果たし終えたばかりなので、あとは気楽なものだろう。その視線は緊張というよりも純粋に祝いや希望に輝いていた。


 カムロ達が運んできた神器が本殿に姿を現すと誰ともなく拍手が起こり、継承者に神器が授与される。

 それぞれの神器がそれぞれの継承者の手に渡り、式典は第三幕『星辰の儀』へ続いた。





 マハルドヮグ山のふもとから夕焼けを西に望み、地平の遠景には雨雲が迫っていた。

 黒ぐろとした荒天こうてんの切れ間から射し込む茜色はまるでくすぶる埋み火のようである。裾野から吹き上がる風にはすでに湿った粒が混じり、遠雷の轟きがここ山頂まで雨期の到来を報せた。


 ウツロは式典の開会から一日中、外郭を彷徨うろついていた。

 彼には門衛としての役割がこの日与えられていたのだ。本来であれば先代継承者の忘れ形見――ある種の神器として数えられる特異な鎧であるが、ウツロが抱える事情により、式典には参加できないのであった。

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