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覚悟はよいな

「心の準備はできましたでしょうか? 式典が始まりますと御三方は壇上の椅子から動くことはできません」カムロが言う。


 暗幕の内側、継承者三名は面持ちもそれぞれにカムロの方を向いていた。


「うぅ……その、厠に……」


 アーミラは眉を困らせながらカムロに訴える。もう何度目になるかわからない。厠に行ったところでもはや出るものはないだろう。それとも際限なく湧き出る不安を都度吐き出しているのだろうか。


「じゃあアーミラが戻ったらそのまま壇上へ向かおう」ガントールが言う。


「そうじゃな。ここにったらアーミラが干からびるわ」


 二人の言葉を背に受けてアーミラは情けなくも厠へ駆けていった。廻廊を小走りに去るその背中をカムロは複雑な表情で見送った。


「……さてカムロよ、アーミラの過去は覗けたか?」


 オロルはため息混じりに見送って、カムロに問いかける。その話題に興味があるのかガントールのとがった耳がぴくりと動いた。


「残念ながら……本人の覚えている限りは聞き出せましたが、記憶の鍵を開けるには至りませんでした」


「鍵を開ける……お主もそう考えているのじゃな」


「はい」


 オロルの言葉にカムロは頷く。なにやら通じ合っている二人に対してガントールは言問こととい顔である。


「アーミラに何かあるのか?」


 ガントールの疑問に対してはオロルが答えた。


「何かはあるじゃろて。それが何かはわからんが、記憶を失くしているなんて都合が良すぎる。類稀なる才覚の出自、その親、アーミラを拾った師匠の存在……恐らく記憶を消されておる」


「記憶を、消されてるって……」ガントールは思わず声を顰めた。「なんの為にさ」


「知らんよ」オロルは冷たくあしらう。「わしはそもそも、アーミラの記憶がないということ自体疑っておった。じゃから酒を勧めたのじゃ」


「酒?」ガントールはますます首を傾げる。話が見えない。「記憶がないことも全部嘘だと思ったから、酔わせて口を吐かせようってことか?」


「いや、飲ませたかったのは酒ではなく」オロルはそう言ってカムロに視線を滑らせる。


「どうやら、オロル様は初めから気付いていたのですね」


「さてな。どこからが初めかわからんが、怪しいと感じたのは湯浴場からじゃな。

 正直さして気にもしていなかったが、治癒の術式が湯に溶かされているのに気付いた。確信したのは晩餐の酒……いや、酒を注ぐ杯じゃ」


 オロルの語りにガントールは慌てて口を挟む。


「待て待て、なんの話なんだってば」


「カムロがわしらに呪術をかけた、という話じゃ。午前の地下での出来事、お主も眠らされたのじゃろう? 眠りの内に試験が終わっていた。そうじゃろう?」


「あ、ああ……そうだが」


「アーミラが戻ってくる前にさっさと話すからあとは黙って聞け」


 歯に絹着せぬ物言いにガントールは素直に黙って聞く。そしてオロルは推理を開陳するのだった。


「呪術は三ヶ所、湯に溶かされた魔力を種とし、杯に口をつけると呪いが刻まれ、地下に焚かれた香で発動する。カムロはわしらを眠らせ、夢現の内に自白させたのじゃろう。それについてとやかく言うつもりはない。神殿とて継承者の見極めは重要じゃろうて。嘘偽りを取り除き、わしらの底を覗くのは筋が通る」


 カムロが言葉を継いで促す。


「それに気付いたオロル様は、アーミラ様の記憶について調べさせるために私の術中に敢えて嵌ったと」


「そうじゃ。アーミラが記憶を失くしておるという言葉そのものが嘘であると見ていたから晩餐でアーミラに酒を勧めた。あれは飲めば飲むほど呪術の効果が高まるからな」


「なんでアーミラの言葉が嘘だと思ったんだ? 結局記憶がなかったのは本当だったのに」


 ガントールは言ってから慌てて口を噤む。オロルは不機嫌そうに片眉を吊り上げて睨んだ。


「言ったじゃろう。都合が良すぎる。十歳より昔の事を知らないなら、なぜ魔呪術の知識は失われておらんのじゃ? これまでの日々を覚えておらんのに子供の頃に読んだ魔導書の一行は忘れなかったと? だとしたら薄情者じゃなアーミラは、親の顔を忘れるとは!」


 私に怒鳴らなくても、とガントールは参った顔でオロルを宥める。口を開けばまた癇癪を起こすだろうから今度こそ何も言うまい。心の内には「真っ白な状態から今日までの七年間で魔呪術を学べば十分な時間ではないのか」と問いたいが、オロルがその可能性を無視するわけがない。神殿で魔呪術を一通り学んだガントール自身そんな短い年月で修められるような技能ではないことはなんとなくわかっているから言う甲斐もない。きっと無理なのだろう。


「話を戻す。……都合の悪い過去を忘れたふりをしていると見たが、カムロが調べた限りでは、アーミラは本当に記憶を失くしているらしい。ならば何者かの影響を怪しむのが道理じゃろう。

 それならば怪しむべきは師匠じゃ。共に過ごし魔呪術について教え伝えたというのに人柄については碌な記憶がない。師匠はわざと己の正体を隠していたのじゃろうよ。

 では、なぜ隠すのか。わしはそこに当代継承者の――」


 不意にオロルは話すのをやめた。目配せをしてそれとなく会話を切り上げた理由を示す。間もなくして通路の奥からアーミラが帰ってきた。


「――とはいえ全ては憶測じゃ。鍵となる者亡き今、二度と開くことはないのかもしれんし、あるいは肩透かしの空箱かもしれん」


 先ほどまでの会話を悟られぬよう、皆は何食わぬ顔でアーミラを迎える。


「なんの話をしているんですか?」厠から戻ってきたアーミラはオロルの言葉に首を傾げるが、オロルははぐらかして煙に巻く。


「いよいよじゃと話しとったんじゃ。もう式典が始まるぞ」


「改めて御三方にここでお伝えしておきます」と、カムロも言葉を重ねる。「式典では壇上にお座りいただきますが、会場には各国王が列席し、神殿からも天帝――つまり神族ラヴェル御一同様もご臨席頂いております。大変不躾なお言葉を申し上げるようで恐縮なのですが、天帝の御前であることを承知の上、失礼のないよう、伏してお願い申し上げます」


「アーミラ、覚悟はよいな」


 オロルに念を押されてアーミラは露骨に狼狽える。時間は待ってはくれないのだと背中を叩かれ、身なりを整えて先を歩き出したガントールに続いてアーミラが進み、後からオロルが壇上へ向かった。


 くして、これより二日間に及ぶ出征式典の幕が上がる。





 初夏の候、なついちに入り日増しに陽射し燃ゆる今日こんにち、皆さま御清祥ごせいしょうの段、此度こたびは種々《しゅじゅ》の御配慮をたまわかたじけなく存じます。なお過分の御厚志に預り御厚情誠に難有く、篤く御礼申し上げます――


 式典の第一幕である『心像灯火しんぞうとうかの儀』は神族近衛隊隊長であるカムロの開会宣言から始まった。至聖所の壇上に立ち、詠唱にも似た難解な言葉を滞り無く重ねていくその背中を見つめながら、継承者はつい背筋を正す。肌を焦がすようなひりついた感覚は、陽光の照り返しのせいではない。この場に集まる者達の真剣な眼差しによって作られた厳かな一種の力場のようなものに当てられているからだ。


 これより先は生半可な覚悟では生きていけない。前線出征とは継承者である娘が神の力を得て死地へ赴き勝利をもたらす――そのような神話を心から信仰している者達に応える重要な儀式なのだ。頭では理解していても、いざこの場に座るとアーミラは息を呑んだ。いのり、たてまつり、こいねがう存在として曇りのない想いを背負うことの重圧を実感する。

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