171話 私の願いは一つ
「真と理と形……私達は自らを自らの手で殺すことができない。
私はここで、殺される瞬間を待っていた」
「神殺しをして何になるんだ? この世界から龍も神もいなくなれば、それこそ全部消えてしまうんじゃないのか?」
「ただ殺されるだけならそうなるね。でも、私はここに来るべき者を『継承者』と呼んでいる。私と理が創り上げた世界は壊れてしまうが、新たな真理が生まれた時、星はその形を取り戻す」
「神殺しを成し遂げた者に力を継承させるのか……そいつが新世界を創造する……」
「神の御技を持って万策が尽きたんだ。このやり方は最終手段だよ。
世界を循環させる摂理そのものが円環を巡る……この転生には受け継ぐための誰かが、天界に辿り着く必要があった」
「誰かが、ね。……俺でよかったのかな」
ふと、そんな思いが口から溢れた。
異世界から来た俺は、言ってしまえば部外者だ。当代継承者達を差し置いてこの世界を創造するのに相応しい人間とは思えなかったが、シンは真っ直ぐにこちらを見て頷く。
「アキラとセリナ。二人をこの世界に呼んだのは正解だった」
「二人……?」
「私が呼んだのはセリナだけ、迷い込んだ異世界人と繋がりのある娘として招き入れた。……しかし、君を召喚した者が誰なのか、今ならわかる」
「それはデレシス達だろ」
「まさか。術者の願いを私達が聞き入れなければ、亜空の門を開けることも、鎧に魂を宿すことも到底無理だよ。その上で、四代目の戦闘魔導具作成に私は関与していない。ウツロが人間だと知ったときに気付くべきだった」
シンはそう言いながら俺の胸に手を伸ばし、心拍を指先に感じながら目を閉じる。
「ここにいたんだね」
「コトワリが……俺をこの世界に呼んだ張本人なのか?」
「他にいないだろう。
理、姿を見せてはくれないのかい?」
シンの語りかけに応える声はない……と、思いきや、俺の頭で彼女の声が響く。
――体がないって伝えてよ。
「……あー、『体が無い』そうだ」
「そうか、残念だ」
――……先に転生しないで待ってたんだからそれで充分でしょ。
「『先に転生しないで待ってたんだからそれで充分でしょ』」
――ちょっと、今のは独り言だから伝えなくていい。
「おっと、独り言だった」
俺を通して語りかけた言葉を聞き、シンは少し寂しそうに、けれど本心から微笑む。
長く独りぼっちだと思われたシンにとって、世界の終わりにコトワリが待ってくれていたのだ。きっと何よりも嬉しいことだったろう。
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「私の願いは一つ」
と、シンは指を立てる。
「どうかこの首を切って欲しいのだ――」
真と理。
神と龍。
この二つは星を支える概念だ。失えば忽ち世界の秩序が乱れることになる。その混沌に飛び込むのが、俺のやるべきことだった。
「――そして新たな世界を創造して欲しい」
「それじゃ願いは二つでは……?」
「破壊と再生は二つに一つ。循環を君の手で始めてくれ」
シンは気安い態度で伝えるものの、両者にある生や死の価値観は根底から異なっていると感じてしまう。本来不滅の存在であるシンにとって、死ぬことは怖く無いのだろうか。
「循環といえば『転生』と言ってたな。死んだ後にまた会えるのか?」
「……君たち生命と僕ら概念は構成するものが違うから、また会える保証は無い。人として生まれるのか、宇宙の法則の一つに加わるのか、先のことはわからない」
――神のみぞ知るってことだね。
コトワリが言い添える。
「……そうか!」
それはつまり、次の真理となるものに采配が委ねられるということ。
ならこの別れは、必要な儀式でしかないのだ。俺が創る世界で今度こそ二人穏やかに生きられるよう、願わずにはいられない。
――いや、二人だけじゃない。誰も悲しむことのない新世界秩序を俺は創造する。してみせる。
「よし、……やるか」
覚悟を決め、俺は手の中に鏡を呼び出し両手で構えた。正面に立つシンの姿を鏡面に映す。
「私の最後を見届けたら君は下界でもう一度目覚めるだろう。肉体に魂を宿したとき、アーミラによる受肉は完了する。
同時に、世界の崩壊が始まる。君は神と龍の継承者として――真理の権能を行使して星を繋ぎ止めてくれ」
「両方俺が継ぐのは荷が重い気がするが」
「相応しい人間がいるならどちらかの継承権を譲ってもいい」
「……まぁ、出たとこ勝負だな。やるだけやるさ」
「期待している」
緊張を隠しているせいか淡白な言葉の応酬が続くものの、互いを信頼する絆は確かにあった。
❖
時を同じくして、同様のやり取りが精神世界でも行われていた。
――……今更だけど、ありがとね。
彼女の言葉が意外なほど優しく響く。
いつもの皮肉めいた調子はなく、ただ静かに感謝を告げる声。
コトワリと過ごした二百年――長いようで、一瞬だったような時間。
「らしくないな」
鏡を構えていた俺は彼女の様子が気になって顔を覗き見る。そこには毒気のない少女のはにかむ笑顔があった。
「コトワリが理の龍だって未だに信じられないな。前線で戦った龍とはまるで違う」
――君の妹と似たようなものだろう。とはいえ姿なんてものは有って無いようなものだけど。とにかく、お礼ぐらいは言いたいんだ。……君を鎧に閉じ込めた二百年、相当に無理をさせたと僕は思ってる。最後には僕もシンも恨まれながら消えることも覚悟してた。
「だからシンは俺を焚き付けていたのか」
――殺される覚悟だったんだよ。でも、君は手を差し伸べてくれた。その優しさを心から尊敬しているよ。
まっすぐな言葉に、俺は頬が赤くなるのを自覚して鏡に隠れた。
「俺の方こそ、……ありがとう。
コトワリは俺に、何かを成し遂げる人生をくれた。俺の孤独を支えてくれた。コトワリがいなかったらここには辿り着けなかった」
――へへ、照れくさいね。
「まったくな。……よし。始めるぞ。最後の転生を」
シンとコトワリはこくりと頷き、鏡と向き合う。
握る力を込め、鏡にはぴしりと横一文字の罅が走る。
鏡に映るそれぞれの首にも裂け目が生じる。
「さらばだ。ウツロ」
シンは別れを告げる。
――さよならだね。
精神世界でもコトワリが手を振る。
鏡が割れ、二人の断ち切られた首からは眩い光が迸る。
別れの余韻に浸る間もなく天界は消滅し、俺の体は雲海をすり抜け落下した。
❖
「は……っ!?」
その男は、神殿奥之院最奥に描かれた魔術陣の中心で意識を取り戻した。
見開かれた瞳、虹彩の色は黒く深く、鎧の頃の面影を残していた。
彼は放心したように天井を見つめ、膝を寄せて心配そうに見守っていたアーミラに力強く抱き締められる。
「ウツロさん……!」
「あ、アーミラ……」
圧迫感と彼女の体温に戸惑いながらも、彼はそっと手を回す。そして抱きしめ返そうとした自分の腕を感慨深そうに見つめている。血の通った人間の腕だ。
「いや、今はアルミリアなのか……」
「アーミラでいいです。……よかった……記憶がちゃんとある……」
碧眼の双眸は感極まった涙に濡れる。
それを眺めていた仲間たちも胸を撫で下ろし、どうやら魔術陣が求めた結果を齎したと理解する。その苦労を知るセリナとザルマカシムは内から湧き出る歓喜を噛み締めた。
「これが真の姿か、ウツロ」
ザルマカシムは一糸纏わぬ彼の姿を眺め、自身の外套を脱ぎ渡した。
「汚れちまってるが、とりあえずはこれを着てくれ」
「ああ、ありがとう」
貸してくれた外套の丈は彼には大きく、これ一枚で全身を隠すのに事足りた。
「二百年ぶりの体はどんな気分? 兄貴」
「そう、だな……」
彼は指を動かし、拳を握った。
骨が鳴る。皮膚が引き攣る。
――喉の奥で息を吸い込むと、鼻の奥がつんとした。
「臭いと、熱を感じる……」
惚けたように呟いた彼の言葉に、アーミラは恥ずかしそうに距離をとった。ただでさえ道中で汗をかき、泥と血に塗れた衣服だ。アーミラは顔を赤くして恥じらっていた。
「確かにここはいい匂いじゃ無いが、アーミラはいい匂いだ」
彼の言葉にアーミラはますます顔を赤くした。




