16話 本物がいたなんて
――少女の名はアーミラ・アウロラ。魔術の師である老婆との死別から三年の月日が経ち、彼女は神殿に招かれた。
後に災禍戦争の終結を宣言することとなる五代目三女神継承者のひとりである。
いかにも暑そうな青藍染めの法衣に中は釦留めの襯衣と提灯袖の衣。さらに袈裟で厚く着込んでいる。これは道中、略装だったアーミラに対してウツロが正しく着付けたものだった。下は細袴のうえから指貫を重ねて足先は沓が覆う。目深に被った頭巾の内側には長く伸ばした髪を胸元に束ねて重たく結わえている。……陽射しの強さに対して肌の露出を許さぬのは少女の意地や性格によるものではない。
アーミラの隣ではここまでの道中の警護に務めていたウツロが着付けも見届け、出迎えの神人種に交代する形で後を任せた。総勢六名。皆が綿布の白衣姿で、詰襟の釦は一番上まできっちりと留めている。下は厚底の長靴に脚絆を着用しており、並び歩く姿は統率された兵の様相。威圧感に言葉もなく、囲まれてしまったアーミラは目を白黒させて鎧の姿を探し求めた。
神殿での歓待はナルトリポカで経験したものとは趣きが異なり、肩透かしにも少人数のささやかなものだ。とはいえこれはあくまで出迎えに限った話で、後日大規模な儀式が待ち構えている。そんな展望を知ってか知らずか、アーミラはどうしようもなく場違いな気分になり、息苦しさを覚えた。
用意されたこの青い正装だってまさしく「服に着させられている」のが痛いほどわかる。数年前までは汚れの染み付いた襤褸を纏い、荒れた教会堂で饐えた臭いの泥に塗れて生きていたのだから、生まれの身分というものを痛感する。彼女は生まれ持った地頭の良さでもって辛うじてこのめまぐるしく変化する状況を把握していた。つまりは自身の身体に浮かび上がった『刻印』……これ一つで自身の価値が変化したのだと、改めて継承者の重圧を実感することになった。ここまでの道中で両手を挙げて言祝ぐ者達に流されて、内心多少なりとも浮かれていたのかもしれない。だが忘れてはならない。彼らは私を一人の人間として見てはいないのだ。前線に投下される兵戈を物珍しそうに褒めそやしているだけ――それでも。
胸の真ん中、ちょうど心臓のあたりだろうか。アーミラは刻印が宿る瞬間の痛みを思い出していた。忘れることのできない痛み。焼けた刃を心臓に突き立てられたような……焦げ付き、焼き付き、剥がれることのない継承者の証がここにある。
法衣の上からそっと撫でて門へと進む。相変わらず恐る恐る確かめるような足取りで、視線は辺りを見回しては表情を強張らせていたが、それでも故郷を振り返ることはしなかった。
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神殿に入ったアーミラは、神人種の後ろについて案内されるがままに歩いていた。その背に声がかかる。
「おーい、そこの青い法衣の方。もしやあなたは継承者ではないか」
声の方へ振り向くと、剣士のような出で立ちの女がずかずかとこちらへ向かって来ていた。敷石の通路を蹴散らすかのように突っ切って、玉砂利を踏む足音をざりざりと響かせる。アーミラは見てわかるほど身を強張らせて声が出ない。問いかけが独り言になったことをさして気にすることもなく、ずいっとアーミラの面前に立ち塞がるとガントールは改めて声をかける。
「やはりあなたも継承者で間違いないな? 私は当代長女継承のリナルディ・ガントールだ。よろしく」
快活かつ友好的な態度のガントール。微笑む視線が今度こそ返答を待つ。対してアーミラは、開いた口が塞がらない様子で自らを抱きすくめてガントールの差し出す手を前にすり足で距離を取った。案内役を担う神人種は最初こそ和やかな笑みを浮かべて二人を眺めていたが、当惑したように笑みが曇る。記念すべき継承者二柱の邂逅……だというのに一体なにを怯えているのだろうか。
「が、が、ガントール……さん……」アーミラは名前を確認する。
「ああ。そうとも」
「……本物がいたなんて」
アーミラの言葉にガントールと神人種の案内の者は首を傾げる。それについてアーミラは説明を付け加える余裕がなかったが、これ程までに驚いているのは、眼の前の長女継承者の姿を知っているからだ。なにより、アダンが毎日鑿を叩いて削り出していた木像こそ、ガントールだったのだ。
「本物というなら、アーミラも正真正銘の次女継承者であろう? 改めてよろしく」
再び握手を求めるガントールに対し、アーミラはなかなか手を伸ばさない。
「あ、えっと……。……わ、わ、」
ガントールは怪訝に片眉を吊り上げながらも努めて柔和に次の言葉を促す。
「わ、わ、私……やっぱり継承者じゃないと思うんです……ひ、人違いというか、な、何かの間違いというか……」
「えぇ?」
ガントールは目を丸くして隣に立つ神人種に視線を送る。人違いをしてしまったのだろうか。しかし、その者はすぐにかぶりを振って答えた。
「人違いでは御座いません。ガントール様の仰言る通り、此方のお方は五代目次女継承者、アーミラ・アウロラ様に御座います」
「でっ、で、でもっ……わ、私、刻印なんてこの前出てきたばっかり……。い、い、言い伝えと違うとお、思い、ます……」アーミラは言いながらますます蒼褪めて、想像するだに恐ろしい先行きへの不安に身を竦めた。
ガントールは「なるほど」と心の中でつぶやくとアーミラの肩に手を乗せた。アーミラは驚いたように肩を強張らせる。小さく悲鳴を漏らしていたかもしれない。まるで捕らえられた兎のようだ。
「刻印については三女も同じだ。言い伝えと異なっているのはアーミラだけではない。むしろ仲間意識すら芽生えるというものだ。そうであろう?」
友好的で屈託のないガントールの言葉にアーミラは僅かながらに警戒心は解れたか、上目遣いに顔をみて、こくこくと頷いた。ずかずかとこちらに迫ってくるときは恐ろしさに取り乱してしまったが、ガントールの二振に届く長身の威圧感は印象を改めて、頼れそうな出で立ちと見ることができた。話に出た三女刻印の出現時期の遅れというのも、萎びた勇気に安堵を与えてくれたのは確かである。が、傍から見た神人種からは、偉丈夫に気圧されて頷くしかできなかったように見えた。
そうして、ガントールに引かれるままに神殿での慣れない一日は濁流のように流れていく。大股で先を歩くものだから、アーミラは雛のように小走りについていくのがやっとである。
嬰児の頃より神殿に招かれた長女継承は勝手知ったる敷地内を闊歩し、「ここが湯浴場だぞ」と指をさすと、ついと指先は流れ、「見てみろアーミラ、あの石像……私より大きいな」なんて暢気に連れ回す。「ここは闘技場、組手をしてみるか? ……冗談だ、なにもそこまで怯えなくても」……などと軽口を叩いているうちに、アーミラも歩調が合い始めていた。
緊張感のない物見遊山な高い背の後ろについて周るうちにアーミラは年頃の少女らしい笑みをこぼして幾分か普段の調子を取り戻した。戦人の装いに怯えていたが、長女継承は獣人種。アダンやシーナと同じ種属であり、慣れてくるとむしろ親しみやすいとさえ感じていた。もしかしたら獣人種というものは皆、心根が暖かなのかもしれないと認識し始めていた。
ガントールは悟られぬようにアーミラの笑みをちらりと視界の端に認めると口の端を吊り上げてお互いに打ち解けたことを実感した。しかし気がかりも湧いた。三女と比べてどうにも頼りない……悪いやつではなさそうだが内地育ちらしい弱々しさが気掛かりだ……彼女は前線で生きていけるのだろうか……?




