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最後の異世界転生譚 ――Echoes Beyond the Aurora Manuscript――  作者: 莞爾
20 真理

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165話 僕は、もとより何かできるわけではないから



 禁術とは本来、術式によって齎される成果あるいは代償が不確定のものを指す。ハラヴァンが行ったこの禁忌はそれとはまた別の、しかし確実に行使者に不利益をもたらすものであった。


 『自らの術式によって行使者が自決する』という、おそらくは誰も使う意義を見出すことができないであろう最悪の成果だけが確定している術式。この世において――いや、どのような世界においても――自らの命を無為に捨てる行いは罪であり避けるべきものだ。その点ではやはり、この術式は用いてはならぬ禁忌に他ならない。


 目眩のような視界不良が治ったとき、アーミラは事態を把握すると失意に膝をついて愕然とする。目の前にいた兄は、リーリウスを連れてこの世から跡形もなく存在を消滅していた。骨の一つも残さずに消え去ったのだ。


 怒り。悲しみ。どうしようもない無力感と後悔の念が複雑に混ざり合う極彩色となってアーミラの胸中に渦を巻いて暴れ回る。

 我を忘れて地団駄を踏んでしまいたい感情の負荷を押し留めるのに精一杯で、内圧を高めて混じり合う極彩色の激情が鎮まるのを待っていた。


 身体を抑えていた勇名達はこの結末が果たして良いものなのかわからず、ばつの悪そうにゆっくりとアーミラから手を離す。この世界から悪は滅びた……だが、世界を救ってくれた娘にとって、あまりにも辛い結末ではないだろうか。


 アーミラは神経が焼き切れたように呆然と座り込んでいる。見開かれた目は一点を見つめ、しかしなにも見てはいない。己の内側に巻き起こる嵐を処理するのに手一杯で、外界との感覚が麻痺してしまっていた。


 ……私が傷ついている様を、天から見下ろす神が嘲笑あざわらっている。


 これ以上、心を消耗したくなかった。


 そんな思いに取り憑かれたアーミラは涙を堪えて、混ざり合う渦が黒く濁ってなぎとなるまで、堪えていた。


 ――我慢するな。


 優しく語りかける声に、アーミラははっとして我に返り、ウツロの面甲を見る。

 暗い穴の空いた双眸が、勇名に抱えられたまま見つめ返していた。


 ――辛いなら泣いていい。苦しいなら叫んでいい。……あの男はアーミラにとって大事な人だったはずだ。


「っ……う、ぁ……」


 アーミラは瞳を潤ませて目に光が宿る。からになり、渇きかけていた心に水が注がれる。

 横溢おういつする器から一雫溢れればせきを切って流れが生じるように、思うまま泣き叫ぶ。


 赤く煮えたぎる怒りに任せて爪を立て、床につくばい、青く苦々しい後悔に嗚咽を漏らしながら髪を振り乱して胸咽ぶ。

 喪失感も無力感も、心から湧き出る様々な想いとして、慟哭とともに吐き出した。


 ウツロは悲しみに寄り添うように語りかける。


 ――心を殺してはだめだ。マーロゥだって、呪うためにこんなことをしたんじゃない。


「……確かにさ――」


 セリナは言の葉を継いだ。

 それはニァルミドゥとして共に過ごした者の言葉である。


「――積み重ねた非道を思えば生かしちゃおけないやつだよ。神殿側にとっても龍人側にとってもハラヴァンは一線を超えてたし、私も危うく殺されかけた。……でもね、あんたの兄貴は罪から逃げるために死んだんじゃない。全部背負って……私達に託したんだ」


 次の時代に禍根を残さぬためにマーロゥはけじめをつけた。

 絶望に身を焦がした男が最後には希望を手に入れ、世の平和が訪れることを祈り、その命を手放したのである。


「アーミラのお陰で、あいつは最後に兄としての自分に戻れたんじゃないかな」


 慰めの言葉にアーミラはますます泣き声が大きくなる。

 辛く壮絶な別れの幕引きではあるが、そこに救いがあったのだと思えば、この悲しみにも意味があると思うことができたようだ。





 アーミラ達が輪を作る一方で、ザルマカシムとセラエーナは少し離れたところにいた。


 己の利害が一致していると見て、マーロゥの思い描いた策謀さくぼうに乗る形で間諜に身を落としたとばかり考えていたザルマカシムは、その実、これまでの行動が巧みに操られていたことを今更ながら理解した。


 翼人の血塗られた過去をそれとなく示し、神殿に忍び込むハラヴァンと引き合わせた者こそ、最奥に幽閉され続けていた嫡嗣ちゃくしセラエーナである。


「……貴方はどこまで知っていたんです……?」ザルマカシムは駆け引きもなく問う。


 思えば神殿が不穏だと感じ始めたのも、ハラヴァンと出会ったのも、奥之院の仕事を任せられるようになってからだ。つまりセラエーナと出会ってからザルマカシムはブーツクトゥスの一面を持つようになった。いや、その仮面を着けさせられたと言ってもいい。


「千里眼……僕は人の心が見える。

 初めて君と会ったとき、『君ほど真っ直ぐな人間はいない』と思ったよ」


「だから翼人の秘密が露見するように仕向けたと」業腹に片眉を跳ね上げてザルマカシムはセラエーナを見下ろす。


「同じ時期にハラヴァンがやって来た。何の期待もしていない顔をしていたけど、ここにマナやアルミリアが捕まっているんじゃないかと戻ってきたのがわかった。翼人の秘密を知り、この世界を破壊しようとするハラヴァンと、強く正しい精神を持つザルマカシム……二人を引き合わせれば神殿にとって脅威になってくれるってわかった」


 セラエーナは囚われの身でありながら、千里眼の力によって外の世界に働きかけていた。悪しき者が権益を浴し、正しくも貧しいものは虐げられてしまう世界なら滅んで仕舞えばいいと考え、ハラヴァンに協力していたのである。


「だが……マーロゥは結局、世界を滅ぼさなかった。……貴方はどうする?」


 ザルマカシムは真っ直ぐに相対して見つめる。アーミラを除けば彼が最後の翼人の末裔であり、破滅を求めるハラヴァンの共犯者である。返答次第では事を構える覚悟であった。


 そんな心中を見透かして、セラエーナは苦笑する。


「僕は、もとより何かできるわけではないから」


 籠の中の鳥として生まれ、すぐに全てを諦めた。


 世界が滅ぶのならそれで結構。

 神殿が崩れるならそれで結構。

 翼人が裁かれるというのなら、それも構いはしない。


 セラエーナは最奥に幽閉されながら日々の世話をザルマカシムに頼り、神殿に収められた閉架から浩瀚こうかんな書を読み解きこの世界の真実を求道していた。

 世に語られるラヴェル一族の姿と裏の有り様を知っているセラエーナは、長きに渡る禍人との戦役にそのいとぐちがあることを知った。己の成り立ちから血筋全てに嫌悪すらしていた。


「塔がなぜ、地下に沈められたか知っているかい?」


「あぁ」ザルマカシムは頷く。


「歴史上で初めて神と龍が顕現した出来事……」


 遡ること六百年前。

 混血種の一つであった翼人は巫力を用いて地位を築き、神になろうとした。

 獣人に石を運ばせ、魔人に設計図を描かせ、賢人に組織を管理させた。そうして建てられた塔は、他の種族に対し威光を示すだけの飾りではなかった。

 神のもとへ駆け上がるための、天界へ繋がる螺旋階段……それを建造しようとしていたのだ。


「塔の全高が雲を超えて、いよいよ神のもとに届くそのとき龍が現れた。

 龍は人間に向かい言った。『神に近付いてはいけない』と」


 人間に塔の建造をやめるように諭したが、翼人は龍を悪だと罵り、兵をけしかけて殺してしまった。


「こうして神は怒り、塔を叩いた」


 セラエーナはまるで自身が体験した出来事を語るかのように神話を要約してみせた。もしかしたら書の文面を目で追いかけるだけでも千里眼が働き、当時の光景が視覚に現れるのだろうかとザルマカシムは思う。


「神は、人間達を戒めるくさびとして、塔を土に沈めた。恐れ慄いた翼人は山へ逃げた。……塔の名残は、混血達の根城となって今も南方にあり続ける」


 セラエーナは一度言葉を切って声音を変えた。


「翼人こそが蛇なんだよ。人々を唆し、龍を殺すように命じた。最も神から嫌われている種族なんだ」


 セラエーナの言葉にザルマカシムは目を細め、無意識にアーミラの方を見る。神によって幾度となく困難を課せられた翼人の娘……彼女がくぐり抜けて来た受難や試練は、神によって仕組まれたのだろうか。


「それで、セラエーナ様はもう何もしないと?」


 セラエーナの羽に包まれた頭が頷く。


「はい。処刑を望むのであれば僕の首を差し上げます」


 その言葉にザルマカシムは面食らって目を丸くする。だがしかし、ありえないことではないため返答は保留とした。……民の信仰が瓦解し、政治すらままならなくなる時がくるであろう。

 この終戦は、民の生活を根底から揺るがす未曾有みぞうの事態だ。最悪の場合、公衆の面前で翼人の首を落として擾乱じょうらんを抑える必要がある。そのときにアーミラの首は護らなければならない……セラエーナの命は俺が預かろう。


 そんなザルマカシムの思考さえ千里眼には筒抜けだった。

 セラエーナは羽毛から覗く口元を吊り上げ、最奥の暗い天井を仰いだ。


「マーロゥ……僕も連れて行ってくれて構わなかったのに……」




――――❖――――――❖――――――❖――――

[20 真理 完]


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