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最後の異世界転生譚 ――Echoes Beyond the Aurora Manuscript――  作者: 莞爾
20 真理

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163話 ニァルミドゥ



「……なんですって……?」


 耳を疑う言葉を聞いてハラヴァンは問い返した。

 ザルマカシムの方は既に別のところへ意識を向けているため、問いかけを無視する形で視線を外している。彼は今、身を捻って後ろにいる人影と見つめ合ったまま凍りついたように固まっていた。問いかけが無視されてしまったハラヴァンもまた憤慨する余裕もなく内省にしずく。


 遡ること百年前、ウツロが待ち焦がれていた四代目継承者が現れなかったそもそもの原因は、歴史の裏に葬られた一つの事件に端を発する。


 『継承者嬰児幽閉』……翼人は一族の権益を維持するため民草に混血の一切禁じた一方で、恥知らずにも自分たちだけは多種族の血を取り込むことを画策した。

 その目的は濃すぎる血を薄めるため……だけではなく、すべての種族を掛け合わせることで正真正銘の神の一族を築くつもりだったのである。

 そのための相応しい血こそ、神に選ばれた継承者達三種族の娘の血。ウツロと共に出征するはずだった嬰児を攫い集め、行方知れずの疑惑を消すために集落が襲われたように偽装し、国内外に「四代目は死産」と広めた。


 奥之院に連れ去られた赤子は目をくり抜かれ、くびすを切られ、逃げられぬようにと最奥に幽閉された。……そうして百年間、翼人は代を重ねながら娘に子を産ませ、血を取り込んだ。継承者の少女は暗闇の中で母となり、産まれた子が年頃になるとさらに翼人の子を産ませ、混血同士を掛け合せたのである。


 ……結果として、ほとんどが龍人として産まれた。

 外見の形態異常が軽微な赤子以外は全て間引き、数少ない生き残りを翼人は厳選し始めた。その子供がハラヴァン――ラヴェル・ゼレ・マーロゥであり、アルミリアであり、マナである。


 ハラヴァンは、最奥から逃げ延びたのは自分ただ一人だと思っていた。

 アルミリアは死んだという確信が彼にはあったのだ。マナと落ち合うために前線を歩き回り、そこに見覚えのある少女の亡骸を見つけていた。

 そうだ。妹の骸は確かに死んでいた。首を落とされていたのだから間違いない。

 だが、しかし……。


 交わらざる者達の運命が一つの真理へ向かい収斂しゅうれんしようとしていた。


 『お前も最奥から逃げ出していたのか』――聞き間違いでなければ、ブーツクトゥスは確かにそう言った。つまり、同じ境遇の人物を知っているということ……そんなことがあり得るだろうか? 私はこれまでどれほど必死に捜したかをブーツクトゥスは知らないだろうに。……生きているのなら何故再会出来なかった? 何故ブーツクトゥスは知っている? あざむこうとしているのか……いや、おそらく視線を交わしているその人影こそが件の待ち人だろう。ならばこの目で確かめればいい……。


 ハラヴァンは短い刹那に思考を巡らせ、平静を取り繕って居住まいを正す。


 ザルマカシムの厚い胸板に阻まれているため、背後の人影はハラヴァンの立つ位置からは僅かにしか覗けない。細い手足は白衣を着用しておらず、間違いなく女のものである。この段階で真贋しんがんの判断はできないが、霹靂へきれきの希望がきざした。


 ――まさか……。


 とうの昔に再会を諦めた瞳に、否応なく光が宿るのを自覚する。心臓が高鳴るのをやめない。


 時の流れは引き延ばされ、娘の姿は勿体つけるようにゆっくりとハラヴァンの待つ最奥の間に踏み入った。


 ――まさか、そんな……!


 娘の歩みに舞い上がる微風が、ハラヴァンにとっては嵐のような衝撃を伴って迫る。神はなんと底意地の悪い悪戯いたずらをするのだろう。


 華奢な体つきをしたその少女は着の身着のままといった風体で草臥くたびれた襯衣しんいと細袴、木履ぼくりを履いていた。晒している肌は蚯蚓みみず腫れの傷痕がいたるところに残されており、少女が歩んできた半生が壮絶なものであることを物語っている。

 肩にかかるほどで断ち切られた藍鉄色の髪が戸惑いに揺れ、物憂げな瞳はやや上目遣いにハラヴァンを見つめて困惑の表情を浮かべていた。


「アルミリア……」


 ハラヴァンは祈るようにその名を呼び、目の前の娘が何者なのかを悟って肌が粟立つ。夢か幻の存在でしかない娘を現実に留め置くことに成功したような興奮が胸の奥から湧き出すのを感じていた。

 歓喜に震える心が少女の名を叫ぶ。


「アルミリア・ニァルミドゥ……!」


 その言葉にセリナがぴくりと反応した。


「……それが、私の名前ですか?」


 アーミラは当然の疑問を口にする。

 翼人はラヴェルという姓を持つため、『ニァルミドゥ』という氏族は存在しない。アーミラのやや後ろに立つセリナもまた、同じ名を授けられた者としてこの問いの答えを興味深く待っていた。


混沌ニァルラ宝石ミドゥナ……ニァルミドゥとは私が付けた造語に過ぎません」ハラヴァンは白状するような態度で答える。「全ての血を掛け合わせて産まれた翼人の娘……私にとって恐るべきものでもあり、翼人にとっては無二の価値を持つ……」


 言葉の意味を知ったアーミラとセリナは、互いに目配せをして腑に落ちたような吐息を漏らす。

 最奥から逃げ出した彼が自らをラヴェルとは名乗らないように、皮肉を込めて妹に授けた名前。最奥という混沌の闇から産まれた有翼の娘を的確に表現していると思えた。


「ただ逃げ出すだけでは翼人はなんの痛みもありません。損害を与えるために私とマナはその宝石を盗んでみせました」


 手柄顔をしてみせたハラヴァンは、一転して自嘲に目を翳らせる。これで精一杯の強がりなのだろう。妹を最奥から連れ去る事で翼人に一矢報いるというのは建前で、奥に隠した心根は同じ兄妹として大切に想う感情が透けて見えた。

 側で見ているザルマカシムは静かに驚いてすらいた。これまでの非道を非道とも思わないこの男にも、斯様かような優しさがあったとは……。


 マナとアルミリアからはぐれた彼は、一人孤独に禍人領で過ごし、生まれ持った才覚で禍人の将としてのし上がった。地下で出会った空の器であるセリナに妹の面影を重ねてニァルミドゥと呼び、此度の戦役を暗躍していた……これが、ハラヴァンの半生である。


 そしてアーミラも、失われていた記憶の全てが繋がるのがわかった。前線でかき集めてきた断片が色づき、旋風に巻き上げられながら収まるべきところへ収まり、一点の曇りのない嵌め絵がついに完成する。


 マーロゥとアルミリア。前線で敵同士の立場でありながらも交差することのなかった兄と妹の数奇な運命は再び結び付き、心は……あの始まりの日に立ち返っていた。

 目の前の龍人が何者であるか解を得たアーミラは、兄と似た翳りを纏って切なく微笑む。


「貴方だったんですね……」


 マナに抱かれて神殿を逃げ出したあのとき、二人の背を見送る者がいた。

 アーミラはてっきり、その人物が父なのではないかと思い込んでいたが、それは違った。

 リーリウスは悪の権化であった。――であればあの日、私達を見送っていた人物は……。


「マーロゥ……やっと名前がわかりました」アーミラは大切なものを抱き締めるように胸元に手を当てる。「何度も同じ夢を見ました。マナに抱かれて逃げ出したあの日……『いつか必ず迎えに行く』……そう言って私を見送るあの人は誰なのかと……貴方が……」


 ハラヴァンは妹の言葉を受け止めるように頷く。

 気付けば最奥を満たしていた魔力は霧散しつつあり、床に刻まれた陣から放たれる燐光も勢いを無くしている。ハラヴァンの詠唱が途切れたからだ。


「マナを逃がすために、私は殿しんがりを務めた。……追手を撒くために二手に別れたのです。

 命からがらに神殿を逃げ出した後、落ち合う筈の前線を彷徨いながら……再開は果たせませんでした」

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