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最後の異世界転生譚 ――Echoes Beyond the Aurora Manuscript――  作者: 莞爾
20 真理

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162話 最奥から



 ザルマカシムとセリナ、アーミラの三人。そして近衛を抜けた勇名の戦士の内、まだ動ける者が奥之院の通路を進み、最奥の間に辿り着いた。

 過剰なまでに堅牢な鉄の扉は、人ひとりが通れる程度の隙間を開けて静かに彼らを待ち受けている。神族の居住地であるはずの奥之院に物々しい牢があることを、こうして目の当たりにした勇名は尻込みをしたように足を止めて呼吸を浅くする。室内に立ち込める邪気が冷たいもやとなって床を這っている。


 扉の向こうからはほの明るい魔術陣の光が漏れ、その光源に炙り出されたハラヴァンの影を見つける。その瞬間、セリナが蜥蜴とかげのようにするりと室内へ突入し、ハラヴァンに向かって待ったをかけた。


「そこまでだ!」


 後に続くザルマカシムが扉を押し開けて厚い体を差し入れる。室内は魔力による燐光が眩しく、細めた目の先にはハラヴァンとセリナと、もう一人いるのが見えた。


「セラエーナ様……? いや、ハラヴァン。何をしているのか教えてくれ」


 一方、アーミラはまだ扉を潜らずにいた。戦闘にもつれ込んでもいいように警戒して耳をそば立てる。


「ブーツクトゥス……お早いですね」この声はおそらくハラヴァンと呼ばれる人物だろう。


 アーミラが聴く限り内部の状況はそれほど一触即発という風ではないようだ。……セラエーナとは誰だろうか。

 男二人の会話に耳を傾ける。


「勤勉が取り柄でな」ザルマカシムが応える。


「おやおや、後ろにいるのは近衛の方達ではありませんか」


とぼけるのはやめて」セリナの声が挟まれる。「ハラヴァン、蚩尤との決着が付いたよ」


 ハラヴァンは押し黙る。間を置いて「リーリウスは死にましたか?」と問いかけ、ザルマカシムが答えた。


「赤子に呪い返されて虫の息だ。まもなく死ぬさ。

 なぁ……お前さんは何をやろうとしていたんだ?」


 くつくつと、笑壷えつぼに入り肺を引き攣らせる奇妙な声。

 何が面白いのかと怪訝に思ったアーミラは扉の隙間から室内の様子を窺う。丁度ハラヴァンと呼ばれる人物が笑みを収めて息を整えていた。

 まだ口角の吊り上がった顔が、ザルマカシムとセリナに向く。


「復讐ですよ」右手で部屋の一劃いっかくを指でさし示す。


「カルミナ様……!? まさか……お前が……っ」


 アーミラの位置からはハラヴァンの指差したものは見えないが、ザルマカシムの動揺から状況は理解できた。おそらくそこには遺体が転がっているのだろう。


 ハラヴァンが命を召し取った人物に聞き覚えはない。だが奥之院最奥にいる人物となれば、当然アーミラにとって血の繋がりがある。どうしようもなく引き寄せられるようにアーミラは扉の影から首を伸ばし、遺体の姿を目に捉える。


 『カルミナ』とザルマカシムが呼んだその遺体は、翼人というよりは魔人種のような印象を受けた。直感的に「この人こそ生みの母親なのではないか」という予感が脳裏に浮かんで、アーミラはすぐさま思考の隅に押しやった。自己憐憫じこれんびんふけっている場合ではない。

 翼を持たず、床にだらりと四肢を放って倒れている彼女は、よわい四十絡みの女性で、まだ生きているのではないかと見紛う程に外傷は少ない。足首に刻まれた深い傷――これは枷に擦れて化膿した古傷である――や、振り乱した長い髪に隠された顔が実は目と耳を抉られていることを、アーミラのいる位置からは窺い知ることができなかったためである。ハラヴァンは暴力を用いずに殺めたように推察できた。復讐という動機に反して残忍さが感じられないことに違和感を覚える。


 視線は次に、白く浮かび上がる羽だらけの異形へと吸い寄せられる。性別も年齢も判別がつかない翼人の形態異常……セラエーナと呼ばれているらしいこの者は最奥の隠し子なのだとアーミラには見当がついた。というより、外見から誰の目にも明らかである。

 セラエーナは床に描かれた陣の太陽の位置に立ち、髪とも翼ともつかないものに覆われた顔でザルマカシムと対していた。

 その隣、月の位置に並び立っている者こそがハラヴァンだと知る。


 ――あれが、禍人種の将……。


 アーミラはその男の姿を見て、幻が重なって見えた気がした。

 疲労で目が霞んだのかとまぶたしばたたかせる。


「初めからそう言っていましたよ。『殺するは蚩尤』……誰かがこの最奥からカルミナを解放しなければならなかった。そうでしょう?」


 ハラヴァンの声に僅かな震えが混じる。それが戯けているからなのか、せているからなのか、ザルマカシムには判断が付かなかった。


「解放……、解放だと……?」


 いつもであれば迷わず愉悦の笑みだと理解できたはずなのに、いま目の前にいるハラヴァンの表情があまりにも痛々しい笑みに見えて、返す言葉が喉元に詰まった。人の形をした狂気と言っても過言でないこの男が、ここに来て初めて偽らざる悲しみを滲ませている。


 そんなハラヴァンを庇うようにセラエーナが言い添える。


「……ザルマカシム。貴方は知らないだろうけど、この男も最奥で産まれたんだよ」


「は――」


 素頓狂すっとんきょうなザルマカシムの声は、アーミラの心の代弁でもあった。

 セラエーナは隣立つ男に羽に埋もれた手を向けて、事の経緯を語る。


「ハラヴァン――本当の名はラヴェル・ゼレ・マーロゥ。彼はこの最奥で産まれ、そして神殿から逃げ出し生き延びた唯一の人間なのです。形態異常を持たず魔呪術の類い稀なる才を持つ彼は、つまるところ僕の兄にあたります。

 ……驚いてしまうのも無理はありません。嬰児を間引いていること自体神殿は秘密にしていますから、まさか逃げ延びた子供がいるなんて父は誰にも明かすことはありませんでしょうし、この件はザルマカシムが近衛に入隊するよりも前の出来事ですから。……そんな兄が、母を手に掛けたのは身の上を憐んでのことです」


「もういいでしょう。よしなさい」ハラヴァンはそう言って過去話を切り上げさせる。「ブーツクトゥス。そういうことで、邪魔はしないでいただきたい」


 翼人への復讐が嘘偽りのない悲願であると理解したはずだ。そうハラヴァンの目が語っている。

 真摯しんしに向き合うその眼差しにザルマカシムは疑うところはないのだが、この世から人類を消し去ろうとしていることについてはひた隠しにされたままである。


「いや……――」


 歯切れの悪い否定の言葉が漏れた。

 ザルマカシムの戸惑いは全く別のところにあった。

 続く言葉に、次はハラヴァンが驚く番だった。


「――お前《《も》》最奥から逃げ出していたのか……?」

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