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最後の異世界転生譚 ――Echoes Beyond the Aurora Manuscript――  作者: 莞爾
19 審判 後編

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159話 すぐに会えます

「……あなたが此処を訪れるのを待っていました。マーロゥさん」


 セラエーナという名を持つこの翼人は禍人領から攻めてきたはずの男を前にしても慌てることなく、むしろ出迎えるような態度で最奥へと招き入れた。『するは蚩尤』と散々息巻いていたハラヴァンの方も敵意はなりを潜め、肩を並べて室内に踏み入る。

 二人は互いをよく知っていた。天帝侍医の肩書きでこの最奥にも幾度となく立ち入ったことがあったのだ。


「千里眼――を使うまでもないでしょうねぇ……これで最後となれば私の来訪を予測することは容易いでしょう」


 公に姿を現すことのなかった天帝の子。その存在は翼人のみが知るところで、近衛隊長のカムロさえも把握していなかった。何故ならばセラエーナは、その躰に形態異常を引き起こしているからである。


 長きに渡り繰り返された翼人種同士の近親交配。

 濃くなり過ぎた純血の問題を解決するため、百年前に継承者の血を取り込んだものの、依然として血は濃いままである。それ故にセラエーナは羽だらけの化け物として生まれ、神殿でも秘中の秘として隠されていた。

 蒲柳ほりゅうの質である彼は発育にも遅滞ちたいがあり、その外見は年齢よりも幼く見える。若さの対価であるかのように、この奥之院最奥で発熱に伏せってばかりいた。


 そんなセラエーナは空咳を丸めた手で受け止め、今度はハラヴァンの来訪の目的を言い当てる。


「母を殺しに来たのでしょう」


「……それだけではありませんよ」


 見透かしたようにセラエーナは事情を掬して続けた。


「いずれにしろ急がなくては行けません。父はもう、猶予がありませんから」


 ハラヴァンのやり遂げるべき本懐。

 野望と言い換えて差し支えないそれは、天帝リーリウスがその命尽き果てるより早く遂行する必要があった。

 セラエーナは、父が生きていなければまったく意味がないことも言い当てたのだ。


「急ぎましょう。母君はどこですか?」


「ずっとそこに」セラエーナは翼の絡まった腕を伸ばして最奥の壁面を指し示す。


 灯石の光の届かない最奥の暗がりに母はいた。

 言われるまで、そこにいると気付かなかった。


 過去に取り込んだ継承者の娘の血の中でも、とりわけ魔人種の特徴を色濃く持つ混血の王妃ラヴェル・ゼレ・カルミナ。

 彼女は目と耳をやきつぶされ、生まれてから死ぬまでをこの奥之院最奥で過ごしている。少し前までは彼女の他にも王妃はいた。それこそ獣人種の特徴を持つ混血と、賢人の混血、龍人の混血さえいた。

 王妃の役割は魔人種の血を持つ者として、血を薄めた翼人の子を産むことであった。


「話しかけたところで聴こえはしません」ハラヴァンは言い捨てる。しかしその表情は痛々しい笑みを浮かべ、微かに涙が滲んでいた。「いま解放してあげますよ」


 ハラヴァンはカルミナの手を握ると、そこで初めてカルミナの方もこの部屋に訪れた来客に気付く。不意に握られた手に顔を向け、次いでハラヴァンの方へ顔を向ける。

 痛ましい古傷を残す眼窩は真皮が覆っていた。誰に手を触れられているのか、わからないはずだった。


「……マーロゥ……?」


 カルミナは名を呼ぶ。

 玻璃はりの器に清水を注ぐような美しい声だった。


「マーロゥよね……、あぁ、……もうずっと、会えないのだと思っていました。それでも良いと……どこかで生きていてくれさえすれば良いのだと願っていましたよ。

 マナはいますか? アルミリアは……?」


 ハラヴァンは顎に皺を寄せて唇を噛む。応えたところでカルミナは耳が聴こえない。何より、良い返事を持ち合わせてはいなかった。

 代わりにハラヴァンはカルミナの手首を優しく撫で摩る。

 カルミナはそれを吉報の意味合いを持つのだと思い込んで、口元を綻ばせる。

 ハラヴァンは、カルミナの手首に針を刺した。


「ここにはいませんが、すぐに会えますよ」


 喞筒そくとうの押し子にかけた親指に力を込め、動脈に薬物を注ぎ込んだ。カルミナは小さく戸惑いの声を漏らすと、苦しむこともなく眠りに落ち、心音は緩やかに間隔を広げていく。

 見届けていたセラエーナは何も言わず、ハラヴァンが顔を上げるまで黙っていた。最奥には洟をすする音だけが響く。


「……さぁ、……始めましょう」


 奥之院最奥に器が一つと、触媒が三つ。

 これら全て、ハラヴァンの手中にあった。


 器とは、血塗られた歴史の暗部にて全ての血を色濃く取り込んだ翼人の末裔――ラヴェル・ゼレ・セラエーナのこと。そして三つの触媒は、本来であれば手に入れることの叶わない三種の神器、及びそれに準ずる素材のこと。


 前線ラーンマクでの災禍の龍討伐の折に砕けた次女継承者神器――天球儀ラルトカンテの欠片をハラヴァンは密かに拾い集めていた。

 神殿への謀叛に挑むウツロの鎧によって切り落とされた、三女継承オロルの変質した手首。それをカムロの懐から窃盗くすねていた。

 度重なる死線を潜り抜け、奥之院に倒れた長女継承ガントール天秤リブラもまた、この手にある。

 三女神の力を宿す素材が揃っているのだ。


 ハラヴァンはこの場所で、真の目的を達成しようとしていた。

 それは世を正道へ導かんとするザルマカシムやウツロとは、別の目的である。


 復讐。

 それこそが彼の本懐であった。


 ハラヴァンはこの戦争の終結や勝利にはなから興味などなく、全くもってどうでも良かった。どちらの勢力が勝ったとしても、最後には全人類を消し去る。それがハラヴァンの思い描く結末である。


 ――こんな世界は、無い方がいい。

 あらゆる人類、文明、記録を虚無へと導く。

 彼を突き動かす熱量は深い絶望の炎だった。





 間引きを免れた翼人の一人として、ハラヴァン――否、マーロゥはここ奥之院最奥という地下牢で産まれた。


 最奥で産まれる赤子は翼人の血を濃く引き継ぎ、ほとんどの確率で先天的な形態異常を備えている。このような赤子は間引きの対象となり容赦なく摘み取られることとなる。闇の中で満足に産声も上げることなく殺されていった兄弟姉妹は数えきれない。


 マーロゥは最初の選別を生き延びた。

 形態異常を持たずに産まれた目溢めこぼしであった。額には僅かに膨らみがあり、成長するにつれて禍人の頭角が生えるだろうことは明らかだが、翼人の証である翼は持っていない。軽微な混血の兆候を持つ子供は将来、子を産み育てる繁殖役か、淘汰の従事者といった一族の暗部を担う。……この因習を、『耐える側』から『維持する側』に回る人生が決定していた。


 この世に生まれ落ちたときから彼の地獄は始まっていたのだ。

 マーロゥは、いつかここを抜け出すのだと心に誓い、朝も夜もない地下牢での日々を過ごした。


 共に苦痛を耐えていた姉がいた。

 先天的な形態異常を持たない唯一の理解者だ。


 姉の名はラヴェル・ゼレ・《《マナ》》。

 彼女はマーロゥと同じく翼人種の特徴である翼こそ持っていないが、形態異常のない身体で生まれたために間引きを免れた。彼女もまた、額の瘤が角となって現れる頃――子が産める歳になれば母胎の役目を課せられる、危うい立場にあった。


 最奥で数年を過ごし、二人の額に禍人種の頭角が生え揃ったあるとき、翼をもつ妹が産まれた。

 ラヴェル・ゼレ・《《アルミリア》》……彼女こそ、帝の求めていた存在だった。


 背には美しい天使の羽。

 見る者を魅了する可愛らしい姿。

 形態異常もない。次の神殿を統べる、姫たり得る娘が誕生した。


 こうなってしまえばマナも自分も奥之院の外に出ることは望めない。

 用済みとして間引かれるか、生きながらえたとしてもこの最奥で子を産むためだけに命を使い潰されるだろう。――そんなのは御免だった。


 マーロゥはマナと協力し、この奥之院から逃げ出す決心を固めた。





「……てっきりあなたは間引かれると思っていましたよ。セラエーナ」ハラヴァンは兄弟の再会だというのにそんなことを言う。「明らかな形態異常持ちですから」


 セラエーナは翼に覆われた口元を少しだけ吊り上げる。


「兄達がいなくなって、こんな出来損ないでも迂闊には殺せなかったのでしょう。父も歳でしたからね」


 いよいよ禅譲ぜんじょうも視野に入れなければならない段にあって、年老いたリーリウスは唯一残った赤子を間引けなかった。セラエーナと名付けたその赤子は、外見に明らかな形態異常を持っていたが、翼だらけの奇形は全て翼人の証たる威光を備えている。性別も両性具有であったため、神聖な存在として最奥に隠した。最有力の候補であったアルミリアが行方知れずとなったラヴェル一族は、擁立すべき子をセラエーナで妥協したのだ。


 セラエーナは特異な外見のみならず、心を読む千里眼の能力を備えていた。これはリーリウスも知らない才覚である。


 関わる者の心を読み取り、幼少の頃から人間がいかに穢らわしく悪なる存在であるかを知ったセラエーナは、神殿から逃げ出した姉兄を羨ましく思っていた。

 奥之院から出ることも叶わないまま月日が過ぎ、禍人の間者となったハラヴァンと出会って、一目で全てを理解した。禍人に紛れて生きるこの者こそ最奥から逃げ遂せた兄マーロゥであると悟り、この世から人類を消し去ろうとする思想に共感した。


 そこに世話係を請負う近衛隊副隊長のザルマカシムを引き合わせることで、此度の戦役と混乱を操り、必要な材料を集めたのである。


「……準備が整いました。覚悟はできていますか?」


 ハラヴァンは最奥の床に陣を描き終えて腰を伸ばした。薄く水を張っている床には繰り返し傷をつけて刻んだ術式が白く跡を残している。その陣の中心には三つ横並びになった円環の図があり、それぞれは太陽と世界と月を意味している。

 太陽にはセラエーナが立ち、月にはマーロゥが立つ。二人は視線を交わして最後の意志を確かめ合った。


 翼人から生まれ、翼人を憎む二人は、共に終末を齎さんと画策する。

 セラエーナの不死の祈りとハラヴァンの絶望が重なり、禁忌を行う腹積もりである。この場には神器とそれに準ずる素材が揃っている。触媒として用いることで、この禁術を制御できると考えていた。


 ハラヴァンがこれから行うのは、『《《翼人以外の》》全ての人類と文明を消す』こと。

 リーリウスに対して不死を付与し、それ以外の全てをこの世から奪い去ろうとしていた。


 誰も世話をしてくれない世界であの男だけが惨めに生き続ける世界の構築。

 死という救いがリーリウスに訪れることはなく、この星を彼だけの為の無間地獄に変える。


 終わらない孤独と絶望を。そして人類に終末を。


 自分達の霊素は神の元へ還り、離れ離れになった姉妹と再開するだろう。

 怒り狂った鬱憤の果て、張り詰めたかそけき憤怒を司る六欲の欠落者ハラヴァンの審判が、ここに成就しようとしていた。


「もうすぐです。もうすぐ会いに行きますよ。マナ……アルミリア……」




――――❖――――――❖――――――❖――――

[19 審判 後編 完]


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