154話 外典祭祀
マハルドヮグ山頂に座す神殿は普段の厳かな沈黙を破り、夜にあって山肌が望めるほどに明るく照らされていた。夜通しで踊り狂う喧騒に打ち上げられた光弾が爆ぜ、すこし遅れて爆音が麓に届く。見上げる者にはまるで祝祭のように見えたが、外郭に隠された神殿領内はあらゆる破壊を尽くした最終戦争の最中であった。
怒りに猛る蚩尤に向けて練り上げられた魔力の光矢が連続射出され、壁という壁が崩れ去った。その威力は凄まじく、玉砂利の敷かれた領内は断続的な爆圧が吹き荒れて着弾点は風穴が開けられた。砲撃の射手はアーミラであり、蚩尤は白く眩い巨体を俊敏に操って射線を回避すると反撃に鉤爪の趾を突き出す。それにはセリナが刀で受けた。二人は示し合わせることなく前衛と後衛の連携を取り阿吽の呼吸であった。返す刀で素早く刃を奔らせる。
蚩尤は空中で身を翻し、切られてなるものかと鉤爪を引っ込める。
不気味な仮面が眼前に迫った。セリナは眉を跳ね上げて続けざまに刀を振るうが、萎びた茄子のような、老人の鼻を模した梟の嘴は鋒を避けて惚けるように左右に小首を傾げる。さながら本物の梟のような仕草である。
閃く太刀筋は空を切る。挑発に乗り、セリナはさらに一歩、深追いしてしまった。瓦礫に隠れた石像の手刀が襲いかかる。これはウツロが切り落とした腕だった。
「躱して!」アーミラが叫ぶ。
「んにゃろう……!」セリナは刀ではなく尾を振るって一合を交わし、押し負ける形で弾き飛ばされる。それを今度は蚩尤が追いかけた。
蚩尤が胴体に取り込んだ巨像の六本腕。そこから繰り出される凶手が厄介であった。そのうえ、石の腕はもとより無機物であるため切り落としても痛まないどころか再生してしまうらしく、カムロを救い出すために切り刻んだ腕も継ぎ接ぎされたような歪な形で本体とくっつき、襲いかかってくる。リーリウスは巨像の腕を鉾に盾にと都合よく取り回していた。
着地の足元を狙う蚩尤の腕が執拗に追いかけ牽制するので、堪らずセリナは翼を広げて空に逃げた。二人の陣形は崩され、前衛の仕事はできない。
「もう――!」
セリナを追い払った蚩尤は次にアーミラに狙いを定める。
六本の腕を器用に扱い、荒れた神殿を這うように駆け出していた。距離を縮める不気味な面と真正面から対したアーミラは、足が竦んだのか、回避をしていなかった。
「間合いを崩された!」
「任せろ!」
焦るセリナに応えたのはザルマカシムで、彼は前衛が離れた機を狙っていた。上空に呼び集めていた暗雲から雷を生じさせ、蚩尤めがけて叩き込む。
かっと光が爆ぜ、雷鳴と地響きが轟いた。稲妻を浴びた蚩尤は強烈な光量の中で黒く焼きつき、なんとも形容できぬ呻き声が仮面の奥から絞り出される。
「そこです」
その口を塞ぐ詰め物を押し込むように、アーミラは魔槍を放つ。
蚩尤を前に足が竦んでいたのではない。正確無比に、狙うべき位置へぴたりとつけた攻撃は口腔に刺さった。蚩尤は攻勢を止めて巨体を震わせる。駄目押しに降り注ぐ攻撃を浴びた体は針の筵となって立ち尽くし、溜め込んだ雷が針の先を伝って放出された。ぱりぱりと音を立てて石畳を焦がす。手応えは致命の一撃だろう。
アーミラの放つ魔術はどれも圧倒的で、行使するまでに時間を要するザルマカシムの雷撃と同等かそれ以上の破壊力を持っている。しかも、それほどの魔術を隙もなく繰り出すのだ。連携を崩され焦っていたセリナも、前衛の穴を埋めるために技を振るったザルマカシムも、彼女の戦いぶりを見て「一人で足りるのではないか」と思ったほどだ。末恐ろしいのはこれでも継承者の能力を失っているということである。万全でない状態で、アーミラは果敢に戦っていた。
「ぬぅぅぅ――!!」
蚩尤は翼を広げて風を巻き起こし、体に刺さった槍を振り落とすと円形闘技場に飛び去った。巣へ逃げ込んだように見えるが、そんな呑気なものではない。
殺意に燃える蚩尤の面が、遠くからアーミラ達を睨んでいる。
ごうん、がちん。
ごうん、がちん。
六本の腕が舞うように構え、次に左右三対それぞれに手印を結び始めた。
左右中央の手を合わせ外縛印。
左下の手と右上の手で降魔印。
そして左上の手と右下の手は掌を前に向けて伸ばした指先で天と地を示すと、左右の組み合わせを変えてまた別の手印が結ばれる。結合と分離動作を繰り返し手印を結ぶ。その度に石材同士が擦れてぶつかる硬く乾いた音が、時を刻むように鳴り響く。
ごうん、がちん。
ごうん、がちん。
鼓笛も拍子もなく、蚩尤の胸の前で手遊びに踊る娘の腕、腕、腕。細くしなやかな手指が組み合わさる。
追撃に勇むセリナの肩を掴み、手印を見てザルマカシムは悟る。
「今は避難が先だ、そうとう剣呑だぜ――」
その言葉通り、蚩尤の纏う気配な刻々と変化していた。
「私の後ろに来て下さい!」アーミラの指示。
セリナはザルマカシムを掴み、素早く合流した。
「何が来る!? あんたは何する気!?」
アーミラの背についたセリナは問う。手印を解読できないため、ほとんど直感に従って動いていた。結果的にそれで正しかった。
「闘技場の円を利用して陣の短縮をしてる」これは興奮したザルマカシムの言葉。「複雑な魔呪術を行使する場合は言葉と術の両方を用いる、あれはさらに上を行く」
アーミラは蚩尤を睨んだまま言葉を継いだ。
「祭祀の構えですね。場を掌握するつもりなのでしょう……印の連なりで詠唱を構成。六本の腕で三人分を同時に……」
「独自の言語圧縮ってことか……なぜ口を使わないんだ? 式の構成も滅茶苦茶に見えるが」
「禁忌を犯す覚悟なのでしょう。あえて唱えないのは、この祭祀が外典だからでしょうか。詠唱者を特定させない意図があるのかも」
「だから、何が来るのさ!?」
小難しい言葉で通じ合う二人に、我慢できずセリナが割り込む。危機が迫っていることを肌で感じていた。
しかし、アーミラもザルマカシムも見つめ返して首を振る。
「あれは外典祭祀です。禁忌の中でも悪意を持って行う術式……」
「《《必殺技》》って訳でしょ。やばいのは見ればわかるよ!」
気が短いセリナは八つ当たりに声を荒げる。知りたいのはどんな攻撃が来て、どう防げばいいか、この二つだ。だがそれがわかれば苦労しない。
「禁忌ってのは術式の結果が安定しない、不確実で行使者にも害が及ぶ危険がある。だから禁忌なんだ」ザルマカシムは子供に教えるように言う。「つまり、何が起きるかわからねぇ」
「なら今のうちに邪魔しちゃえば――」
「っ、もう来ます……!」
律動に合わせ結合と分離を繰り返していた六本の腕は術式構築の締めくくりに一つの印を表した。それは天へ開く蓮の花を形作り、六枚の花弁を表わす手のひらは次に切り払う動作に移り素早く下へ滑った。
次の刹那、どこからか嬰児の泣き声が聴こえたような気がして、セリナとアーミラは互いに目配せする。空耳か……?
神殿を囲うように空からは巨大な白い円柱――御柱――が雲を押し潰しながら降りてきた。
その柱には節があり、区切られたそれぞれに生物の頭部を模した彫刻が施されていた。石でできた巨大な墓標柱……セリナにはそう見えた。
真っ黒い夜の雲間から一つ、二つ……計六つの柱がゆっくりと降下し、神殿の周りに浮遊する。そして赤子の声がはっきりと耳に届く。




