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最後の異世界転生譚 ――Echoes Beyond the Aurora Manuscript――  作者: 莞爾
18 審判 中編

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151話 矢を放て

 翼人は知る限り戦闘に参加した記録はない。故に天帝の実力は未知数である。互いに重苦しい視線が交差し、剣呑とした沈黙が場を圧した。

 先に口を開いたのはリーリウスである。


「リブラ・リナルディ・ガントール。お前は歩けるか?」


「は」――と、ガントールも虚を衝かれ、それから首を横に振った。スークレイに肩を貸して貰わなければ立っているのもままならなかった。


「カムロ。兵を散会させなさい」リーリウスは言う。


「承知致しました。……全隊、散会!」


 カムロは言われた通りに周りを取り囲む兵に指示を飛ばした。これは奇襲に臨むこちらにとっても都合がいいが、しかし奇妙な指示である。この距離で天帝を無防備にするなど常識ではない。

 リーリウスは続けて命令した。


「チクタク・オロル・トゥールバッハ、リブラ・リナルディ・ガントールとリナルディ・スークレイ、そしてカムロ。君たちは奥之院へ進みなさい」


「なにそれ、従うわけ――」


 セリナは思わず声を漏らす。従うわけがないだろうと嘲笑の笑みを浮かべるが、横を見ればスークレイもオロルも諾々と従って歩き始めていた。肩を預けているガントールさえ、奥之院へ連れ去られることになんの異も唱えない。


「どういうこと……詠唱なんてしてないのに……」


 狼狽えるセリナの隣、ウツロはじっとリーリウスを睨み続ける。


 一人一人をかばねも略さず呼んでいる時点で、呪的な行為であると感じ取っていた。リーリウスは式典のときも一貫して言葉を省くことをしていない。

 おそらくこれが巫力……呪いよりも強い絶対的権力の正体か。名前を把握している者にはあらゆる命令を下すことができるのだろう。ウツロもセリナも名を明かしていないことは幸いであった。


 神殿領内に残る三人はじわりと臨戦体制へ移行して、セリナは先手必勝と言わんばかりにしならせた尾を叩き込む。


 音速を超えて空気の壁を砕く破砕音とともにリーリウスの羽が宙に舞った。翼で受けたように見えるが手応えはない。薄膜を隔てて直撃を避けていた。


「結界……!?」セリナは驚く。


「なんの備えもないと思うかね」


 リーリウスは腹の底から響く声で言い、詠唱へ続いた。


アーチャーの勇名を持つ者、アレン、バルロサ、矢を放て」


 たたた。と三方の死角からセリナの体に矢が刺さり、右腕、背中、翼膜を貫いた。


「オーウェン、シクラ、続け」リーリウスは指揮者のように澱みなく名を呼ぶ。「ラーグ、ジェクトマ、コットロラド、続け。皆よく狙い、矢を放て」


 風切り音すら感じさせず、矢の音だけが続いた――すたた。たん。ばち。たたん。


「こ、の……っ!」


 セリナを狙う矢は正確に肉を抉る。

 厄介な援護射撃にはウツロを盾にして立ち回り、多少の傷は意に介さずに攻撃を重ねるセリナであるが、結界に阻まれて届かない。


 すこん。と、矢の一つが左目に刺さって思わず仰け反る。

 やじりが目蓋を貫いて眼球の水晶体を崩し、眼窩の骨を滑って内耳が千切れる。三半規管が狂わされて体勢を崩してしまった。


「ぐっ……! くそ!」


 脚が止まった瞬間、リーリウスが好機に表情を鋭くした。弓兵の勇名共は狙い澄ました矢を放ち、容赦無くセリナの急所に突き刺さる。胸に三、眉間に一、首に二、腿に一……。


 ふらついた脚を踏ん張り、セリナは力ずくに左目と額に刺さった矢を引き抜いた。


「いらいらさせる……!」


 砕けた頭骨から滲み出た血混じりの脳液を親指で拭う。脳を傷つけたものの、既に塞がりつつあった。これにはリーリウスも目を見張る。


「そのなりで災禍の龍か」


「どの口が」セリナは挑発する。「災禍にもっと相応しい奴が目の前にいる」


「……放て」


 再び射られた矢の雨を羽ばたきで吹き飛ばし、セリナは攻め手を加速させる。矢よりも疾く、誰にも捉えられない速度で連撃を重ねた。リーリウスも見切ることはできず、身を固めて防御を結界に任せた。


「もとの世界じゃ動かない身体のせいで散々迷惑かけた……」


 セリナは目にも止まらぬ連撃に旋風を纏い、神殿に羽が散る。


「もう他人ひとの足引っ張るのはごめんなんだよ……!」


 拳に膝蹴り、身を翻して尾を振い、開いた間合いに素早く飛び込む。結界に阻まれ直撃こそしていないが、鋭い攻撃の応酬でリーリウスに衝撃を通す。袋叩きにされた結界が消耗し、翼がたわむ。


「ぐっ! ……ガラハウっ、エルエラ、守れ……!」


「どこまでも他人頼りか糞天使!!」


 リーリウスは翼で全身を包んで、結界の詠唱を強めるよう兵に指示する。

 重ね合わせて閉じた翼に魔力壁の結界が重ねられ、セリナの繰り出す連撃の竜巻を受け止める。叩きつける一撃、鋭く切りつける風が結界にぶつかるたびに魔力の火花が飛び散った。


 セリナに向けては弓矢だけでなく光弾も加わった集中放火が浴びせられたが、動けないリーリウスを壁にするように立ち回り、狙いを回避した。


 連撃はやがて結界の修復を上回り、斬りつける竜巻が不可視の壁に白いひびを生じさせた。


「な――!」


「こじ開ける!!」


 回し蹴りの踵が結界に炸裂し、翼をこじ開けることに成功する。中からリーリウスの慄く顔が覗く。間髪入れずに連撃の尾が下顎を叩いた。

 顔面を打つ小気味よい手応えが伝わり、血と汗の飛沫が弾ける。老体の脳は強かに揺れただろう。


「ぐ、ぬうぅ……っ!」


 リーリウスはたたらを踏んで倒れそうになる体をなんとか踏ん張り、セリナを睨む。鼻からは静かに血が垂れて、白い口髭が赤く染まる。


「……許さんぞ……蛇め……!」





 混濁した意識の中、奥之院へ進むカムロは微睡みから目覚めるように目の光を取り戻す。


 脚は勝手に歩行を繰り返し暗い廊下を進んでいるが、集中すればこの催眠状態を抜け出せる気がした。だがその前に、首を回して状況を確かめる。状況は前後不覚に陥ることもなく思い出せた。……私は天帝の言葉に従い、巫力に操られたのだ。


 ウツロ達を連れて来たことで首切りは免れているが、名を呼ばれてからは身体を支配されていた。スークレイと継承者の二人も含め、奥之院へ向かうように命じられていたはず。ならば何故正気を取り戻せたのか……。


 カムロは歩くたびに横腹を小突く感触があるのに気付き、脚を止める。


 白衣の懐を探って取り出したそれは、ごろりとした二つの塊、変質したオロルの手首だった。

 硬質化して結晶となったこれが懐の中で収まり悪く転がることで、カムロの意識を根気強く呼び戻したのである。


 ――紫水晶アメジスト……そうか。


 カムロはその変質した鉱石を理解し、得心に至る。

 魔鉱石にはそれぞれ固有の特徴があり、紫水晶は明晰の石として知られている。こうして意識を取り戻せたのも何の因果か、偶然だとしても運命が味方しているような気さえしてくるというものだ。


「ここに来て運が向いてきましたね……」


 断ち切られたはずの手が繋いだ勝機。果たして三女継承オロルはこうなる未来を見通していたのかどうかはわからない。カムロは先を行く仲間を追いかけて回廊の先、奥之院へ向かった。





 奥之院へ向かうには神殿領内の中央に位置する本殿に入り、外縁の通路を進んだ至聖所の横道に進む必要がある。

 通常、入室が叶うのは選ばれた者のみで、ラヴェル一族以外では近衛隊の隊長と副隊長が出入りを許可されている。とはいえカムロが奥之院へ脚を踏み入れるのは数えるほどしかなく、どちらかといえばここでの業務は副隊長に任せていた。


 段差の急な一本の階段がマハルドヮグ山の地下へカムロ達を誘う。真っ暗な通路には等間隔に灯りが燈され、階段の足場は明暗を交互に繰り返す。まるで照らされて浮かび上がる足場は細く心許ない柱で、暗闇は全て奈落へと繋がる崖のように錯覚してくる。


 気圧変化にカムロの偏頭痛がじくじくと痛み出したころ、奥之院へ続く階段は平らな床に辿り着いた。

 艶のない石灰質の黒い壁が囲む廊下を抜け、鉄格子の扉を開く。まるで地下牢のようなこの場所に、カムロは改めて嫌な気持ちを思い出す。例え頭が痛まずとも、副隊長に仕事を押し付けた理由がわかった気がした…… ここはどこか気味が悪い。


 鈍く照り返す寒々とした石窟の広間は、水を張ったように床だけは磨かれており、上下鏡写しに一人の男が佇んでいるのが見えた。

 

「おや……」


 男はこちらに気付き、長い横髪の縺れをいじくり回す指を止める。すっと引き伸ばすように髪を梳かして指を離すと、毛先は使い古した筆のように跳ねた。

 カムロはこの男を知らない。

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