148話 私の知らないこと、聞けば答えてくれますか?
「貴方がザルマカシムさん本人であるなら、なおさら疑問です。……なぜ部下を倒したのですか?」
「気を失ってもらった方が都合がいい。アーミラ様を助け出すにも、私の正体を明かすにも、です。
白衣には簡易的な治癒の術式も編み込まれていますし、暫くすればこいつらは目を覚ますでしょう」
落ち着かせるような態度でアーミラの肩に触れる。その大きな掌は温かで、呪力は込められてはいなかった。
「驚かせてしまいましたが、私が間者の正体です。……そして今はアーミラ様を迎えに来ました」
筋骨隆々な巨体を丸めて跪くザルマカシムを眺め、アーミラは浅い呼吸を整えて逃避行が終わったことを実感する。間者の正体……、ナルトリポカの畑を焼くように手引きしていた裏切り者が、まさかこの男だとは。
だが、それでも釈然とはしなかった。わからないことが多すぎる。
「私の知らないこと、聞けば答えてくれますか?」
言問顔に対し、ザルマカシムは首肯する。
「知る限りならいくらでも答えましょう。
ですが……諸々の事は移動しながらご説明させていただきます。一緒に来てくれますかな?」
アーミラはこの誘いを信ずるべきか推し量る。
まず自分の状況を省みる。……追手を倒したものの、神殿と敵対してしまっている。ならば禍人と手を組むか? そう簡単な話ではない。確かにこの体には禍人の血が流れているが、敵として憎み、命がけで戦った敵対関係にある。このまま禍人の根城へ連れられたらどんな報復に遭うか。それに――
「ウツロさんは……そこにいますか?」
彼に、どんな顔をして合えばいいのか。
思い悩むアーミラの表情に、ザルマカシムは暫し呆気に取られたように目を丸くしたが、ややあって力強く答えた。
「ええ。ウツロは我々と手を組んでいます」
アーミラは訝しむような目をしていた。ザルマカシムは「証拠にこれを」と言って指笛を吹き、木陰に離していた自分の馬を呼び寄せる。その馬には駄載の装備が着けられていて、籠の中には金属製の箱が入れられていた。
「預かり物です」
箱の中から取り出したそれは、外気に触れて勢いよく燃え盛る。青い炎がザルマカシムを照り返し、手のひらに乗せてこちらに差し出された。ウツロが連れ去った私の心臓……。
「これで信じていただきたい」
アーミラは自身の心臓を受け取り、炎はすり抜けるように胸の内側に収まった。熱い血潮が脈打ち、久しく感じていなかった鼓動に意識を向けた。血が巡る心地よい感覚に包まれる。
「確かに、これは私の心臓です。ウツロさんはどこに?」
「ウツロは今も戦っている。継承者を救うために」
「継承者を……救うため……――」
その一言を契機として、アーミラは差し出されたザルマカシムの手を取り、誘いに乗った。囚われていた心臓を救い届けてくれた誠意をアーミラは信じることにした。
「――わかりました。彼のもとに連れて行ってください」
❖
ザルマカシムとアーミラは計略の運び通り、合流地点へと向かっていた。
ナルトリポカと神殿の麓、国境付近の庄からそのまま登坂を進んだ二人は、道の整えられていない山道を登る。日はすでに沈んでいた。
今頃はハラヴァンも神殿に潜み機を伺っているはずであった。ザルマカシムは捜索に食い潰してしまった遅れを取り戻すために先を急ぎ、その後をついて歩くアーミラも疲れた脚を歩かせる。鬱蒼と生い茂る背の高い葉叢に覆われた視界の悪い鞍部を踏み分け、二人はマハルドヮグ山の地下水脈の入り口へと辿り着いた。空には赤々とした月光が照らしていた。
アーミラは目の前に開かれた洞穴の真っ暗闇を前にして踏み入るのを躊躇い、脚を止める。鍾乳洞だろうか、穴の上下から伸びた鋭くも艶めかしい石が不揃いにならび、まるで巨大な化け物の口のようだった。
夜闇にいっそう黒く浮かび上がる虚空の入り口……奥から絶えず鳴り止まぬ滝の瀑声が腹に響き、飛沫混じりの風が脚を怯ませる。
本当にこの先にウツロがいるのだろうか……? アーミラはちらりとザルマカシムのいる方に視線を向けるが、山の夜は暗く表情は窺えない。
代わりに声が届く。
「この地下水は洞窟になっていて、奥には間者の隠れ家があります。……それこそ出征式典の前日も禍人は潜んでいました」
その言葉に驚く元気もない。アーミラは呼吸を繰り返し息を整える。
「……せっかく逃げてきたのに、自分から神殿に向かうなんて」
「ははっ、違いない……これで最後と祈りたいものですな」
道中の会話を経てザルマカシムの言葉使いからは敬語が砕けていた。さして気にすることではないとアーミラも指摘はしなかったが、時折覗かせていた近衛隊とは別の姿こそ、本来のザルマカシムなのだろうとアーミラは思った。
「おそらく隠れ家にはハラヴァンという禍人がいます。そこでウツロとセリナが奇襲をかけるのを待ち、混乱に乗じてガントールとオロルを連れ出す」
簡潔に段取りをアーミラに伝え、ザルマカシムは鍾乳洞を先導する。実はこのとき神殿にいるはずのガントールとオロルは留守であり、内地の手前でウツロと戦闘を繰り広げていたのだが、アーミラ捜索の指揮に乗り出していたザルマカシムはその事情を知らなかった。すでにウツロとセリナは二人を仲間に引き入れていて、神殿に向かい奇襲をかける段にあった。
「灯りは無しで行きます。アーミラ様、夜目は利きますか?」
地下水脈への入り口は人の手が加えられていない天然の隧道であるため、できることなら足下を照らしたい。しかしそうはいかない。神殿の警戒を掻い潜るならば、奥へ進むまでは灯りを燈すわけにはいかない事情があった。魔呪術の痕跡も残したくない。
「はい、少し慣れてきました」
アーミラの返答にザルマカシムは「おや」と思った。
生来の獣人の目とハラヴァンの施した龍体術によってザルマカシムは暗闇にも視界は利く。通常は夜目の利かない魔人種を暗渠に連れ歩くことを心配したのだが、アーミラは「慣れてきた」と言った。
「ほぉ、そりゃすごい。この闇は禍人でもなければ見えないと思っていたが」
ザルマカシムの言葉に他意はなかったが、アーミラは己の中に流れる血を意識しないではいられなかった。
「……暗がりばかり、歩いてきたので」
そんな返答が返ってきて、ザルマカシムは片眉を吊り上げつつも、とりあえず愛想よく笑った。厭世的なアーミラの皮肉と受け取った。彼女の生まれの由来をまだ知らない。
天井から伸びる鍾乳石に頭をぶつけぬよう、手で庇いながら真っ暗闇を進み、いよいよ自分の腕さえも見えないほど光の届かないところにやってきた。こうなると夜目が利くかどうかの問題ではないが、夜警に見つかる心配がなくなったので灯りを点けることができる。
「火をつけてもいいですか?」
「加減を誤ると目に悪い。俺にお任せを」
ザルマカシムは灯りの役目を買って出ると、腰に携えた細剣を鞘ごと握り、ごく小さい燐光を纏わせた。直接的な光ではなく、帯電による間接的な発光現象を用いて闇を優しく照らす。確かにこれであれば目を焼かれることもないとアーミラは感心する。
洞の内部は蕩けた乳白色の壁で覆われており、まるで剥がされた人の皮が幾重にも張り付いているような景観だった。至るところから伸びている石筍が道を阻み、開けた空間を複雑なものにしていた。夜に歩くには不気味極まりない洞穴だが、足下に流れている小川の水は綺麗に澄んでいて不快感はない。しんとした冷たさが沓越しに足指に伝わる。
入り組んだ斜面が織りなす洞穴の道を進みながら、アーミラはウツロの生い立ちと事情を知らされる。滑りやすい隧道の坂を登るだけでも一苦労、意識を集中しなければならなかったが、ザルマカシムの口から語られる彼の半生――とは言っても二百年もの歳月を生きている――は、驚くことの連続であった。
ウツロの正体は人間であり、異世界から霊素のみが鎧に宿ったこと。
先代継承者達との壮絶な死別を経験し、癒えぬまま封印されたこと。
私達と出征した後、異世界に置いてきてしまった妹と再開したこと。
私の首を切ってみせたあの前線で、ウツロは葛藤していた。裏切れぬ二つの誓いの狭間で選択を迫られたのだ。
災禍に眠る妹を救うか。
神殿を勝利へと導くか。
……そしてウツロは妹を選び、神殿を裏切るしかなかった。
――しかし、これは果たして責められるべきなのだろうか。
アーミラはウツロの選択とそれに至る事情を聞かされ、自責の念が氷解していくのを感じた。私の振る舞いが彼を蛇の道へ追いやったわけではなかったのだ。
災禍の龍討伐の瀬戸際で見せたあまりにも突然な手のひら返し、不可解であったウツロの謀叛に彼なりの道理が通ることで不信感はどんどんと晴れていった。




