147話 まだやりますか……?
アーミラはこの場所を選び、走る脚を止める。
遅れてやってきた白衣の兵隊は輪になって取り囲む。目が充血して息も切らしていた。
遠くからは馬の蹄の怒涛の律動がこちらに向かって来ているのが聴こえる。……神殿からの増援だろうか。
「いい加減逃げられないぞ、大人しくしろ」
目をやられて腹を立てている男が威勢よく脅しかける。
アーミラは聞こえていないかのように無視をして、握ったままの切り出しで不揃いな髪を整えた。藍鉄色の髪が肩にかかる程度になるよう毛先を揃えると、手に残った房を指に絡ませる。
「そちらこそ大人しくしてください。近付けば目を刺します」
アーミラの脅しに白衣の男は慄いた。彼女が手に握っている髪の毛が針となって飛んでくる想像をしたからだ。それでなくともここは山の中、手頃な武器が足元にいくらでも転がっている。
「答えてください。なぜ私は追われているのですか? 目的はなんです?」
男達は黙ってアーミラを睨む。膠着した状況はじりじりと白衣の兵を増やし、無人であった庄は白衣の男達で溢れる。アーミラに怯える素振りはない。男達は問いかけを無視して輪を絞る。
「答えませんか……」
捕えろ! という号令にアーミラの呟きはかき消され、庄の樹々からは騒ぎを警戒した鳥達が上空を旋回する。
腕で顔を守りながら突っ込む男達にアーミラは宣言通り髪の針を飛ばし、当然の対抗策として脚を捕縛し転ばせた。先陣を切った人の輪は縺れて倒れ、目に髪が刺さる。小さい傷だが視界は塞がれた。
後続の騎馬兵が白衣の仲間を飛び越えてアーミラへ迫る。その手には槍が握られていた。
「……槍……!?」
アーミラは兵の目的が変わったと悟る。
――生け捕りは諦めたようですね……!
アーミラは驚きはしたもののすぐに回避行動に移る。馬の横、低く構えた槍の横薙ぎを飛び越えて躱し、距離を保つ。新たな増援である騎馬兵の一振りには明確な害意があった。
彼らはおそらくこう命じられている。『可能であれば生け取りにせよ。抵抗するようであればその場で殺せ――』
「……分かりました」アーミラは頬の泥を拭い、唇を噛む。「ここで死ぬわけにはいきませんので……!」
決然と睨む碧眼が青く燃える。
神器を持たぬ魔人の娘が、神人種の兵達と徹底抗戦の意志を示した。
対する騎馬兵の集団も、面甲の隙間から鋭く娘を捉えている。蹄が大地を蹴り、アーミラへ迫る。
魔力を練り上げたアーミラは即座に術を展開し、下生えを操り脚を狙う。馬の歩調は乱され、騎馬兵の連携が崩れた。その中でも手綱捌きを誤った者は落馬し、背中を強かに打って転がる。
体勢を崩した騎兵は手をつき立ちあがろうとするが、その手も蔦に絡め取られて緑色の繭が覆った。草木に捕縛され身動きのできない兵は、微かな隙間から驚愕に凍りついた顔を覗かせる。
迫る兵達を目で追いかけ、アーミラは少し虚しくなった。
まるで内地に侵入した間者でも見る目で、彼らが睨んでいるからだ。
――もしかしたら、あのときのウツロさんもこんな気持ちだったのかな……。
誰にも功績を称えられず、利用されるだけ利用されて、挙げ句の果てに追い立てられて……。
……今からでも、また会えるだろうか……。
手を取り合って一緒に戦えないだろうか……。
騎兵は馬の脚を止めぬようにアーミラの周りを駆け回り、俯く娘の油断を突こうと槍を振って迫る。アーミラは間合いを見切って飛びかかると、槍の竿部分を掴み、逆上がりをして騎兵に反撃する。目を見張る兵の面甲に術を飛ばして顔を焼いた。爆ぜる炎に馬が嘶く。
我を忘れて火を消そうと踠き騎兵は地面に転がった。その姿を樹々の根が炎ごと呑み込み、土中に隠す。
残された槍をアーミラは拾い上げ、仮の杖として構えた。次の兵を見定める。
次々と迫る騎馬兵達をアーミラは打ち倒し、馬から落ちた兵は庄の瘤となって土中に埋まった。数で圧倒できると意気込んでいた騎馬兵の攻め手が詰まり、どうにも勝てる気がしないと力量の差を理解しはじめる。
気付けば歩兵は全て庄の木立に絡め取られ、増援の騎馬兵もほとんどが草の繭に閉じ込められていた。閑散として穏やかな庄の景色はアーミラの力によって瘤状に膨れ上がった異形の景色に変貌していた。
「助けてくれぇ……!」
「誰か……、誰かいないのか……!」
「俺はここだぁ! 助けてくれぇ……!!」
繭や瘤の内側からは助けを求めるくぐもった声が発せられ、庄全体に不気味な呻き声が囁めく。ただでさえ自由の利かない重装に、がっしりと全身を絡め取られてしまえばどんな屈強な兵であっても閉所恐怖に陥るだろう。
「まだやりますか……?」
アーミラは駄目押しに兵を脅し、助けを求める瘤に材木をあてがう。何をするつもりか、騎馬兵は直ぐに理解することになる。
浮遊させた材木の先端が独りでに削ぎ落とされて鋭く尖り、今にも突き刺さらんばかりの杭となった。アーミラの合図一つあれば中に閉じ込められた兵に深々と突き刺さることだろう。
兵は互いを見合い、そして「参った」と両手を挙げる。先頭にいる兵から後ろへ、波紋を広げるように全員が降参を表明した。勝負あった。
その陰で、一人の男は顎髭を撫でて不敵に笑う。
「……俺の出番か――」
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追手を降し、アーミラは鼻らから吸い込んだ息を口から吐き出す。
このまま、逃避行に決着が着くのだと思っていた。
山の庄はからりとして荒天の気配もなかったが、上空を流れる雲は急速に渦を巻き始めて曇天となる。木漏れ日の穏やかな陽射しが不穏に翳り、アーミラは解きかけた警戒を再び厳とした。
牙を剥いた狼が木立を駆け抜けるが如く肌寒い風が樹々の狭間で唸り、視界は突然黒白に焼かれた。
どどう! と、衝撃が爆ぜる。
強い光に照らされた騎馬兵達の姿がアーミラの目に焼き付き、思わず目を閉じると激しくのたうつ稲妻が耳に轟いた。アーミラは堪らずその場に身を屈める。
ごろごろと余韻を残す雷の音が去り、アーミラは恐る恐る目を開ける。庄に積まれた材木から焦げた煙の臭いが立ち昇り、騎馬兵が白目をむいて項垂れている。口からは煙を吐いているようにさえ見えた。
雷が直撃したのだ。それも一人だけではなく、全員に。
降参に挙げていた両腕は肩からだらりと弛緩して馬の背を叩き、鐙に引っ掛けた爪先からは、地面に向けて細枝のような稲光が放電されている。下にいた馬も目を丸くしたまま立ち往生しているように見えた。
死んでしまったと、アーミラは思った。
駆け寄って彼らの安否を確かめたい気持ちもあるが、まさかこの雷が自然現象なわけもない。――伏兵による奇襲……私が狙われていなかったということは、神殿と仇なす者の仕業……。
「ご安心を……殺してはいません」
語りかける声にアーミラは辺りを窺う。人影は意外にも前方にいた。
馬と諸共に頽れる騎馬兵。開けていく視界の中で一人、立ち続ける白衣の男……近衛隊の中に、雷を放った者が紛れていたのである。
アーミラは目を疑った。知った顔だった。
「ザルマカシムさん……!?」
この男は近衛隊の副隊長の立場であるはず……。
「なんで、部下を……」
目まぐるしく移ろう状況の変化に理解が追い付かなかった。
この男が禍人種と連絡を持っているという驚きが初めにあり、次にザルマカシムが本物かどうかを疑った。いつぞやのように顔を奪い、なりすますトガの存在を忘れはしない。
無言で槍を構えたアーミラに対し、ザルマカシムは慌てて手を振る。
「おっと、戦うつもりはありません。どうか落ち着いて」
「偽者かもしれません」
「『ハラサグリ』ですか。あれはきちんと倒したんでしょう? 私は本物のザルマカシムです」
アーミラはしばらくじっと睨み続けたが、溜め息を鼻から漏らし、槍を降ろす。両者が戦わずして済んだことを後にセリナが知れば、それは羨ましく思ったことだろう。オロルやガントールに手間取ったウツロとは違い、ザルマカシムは首尾よく継承者を味方に引き入れることに成功した。




