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最後の異世界転生譚 ――Echoes Beyond the Aurora Manuscript――  作者: 莞爾
18 審判 中編

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146話 殺す気がない

「ぐわぁっ、目が!」

「何も見えん!!」

「おいだれか、なんとかしろ!!」


 異物を眼球に入れてしまった偉丈夫達は堪らず苦悶の声をあげ、亡者のようにその場で腕を振り身を捩る。アーミラは彼らの足元を鼠のようにするすると駆け抜けた。衣擦れに逃走者の気配悟り、男達は互いの白衣を掴みあって無様にもつれて転がった。先程までの威圧的な姿も形無かたなしである。


 アーミラは玄関には向わず、調理場の窓を目指す。そこから出ていくつもりだった。


「おい! 待て……!」


 埃の目潰しを免れた白衣の男がアーミラの後を追いかけ腕を伸ばす。血管の浮き出た太い腕がアーミラの髪に絡み、離すまいと乱暴に握る。アーミラの頭は力任せに引き寄せられて頭皮から数本の髪が抜けた。


「……っ!」痛みに顔が歪む。


 このままではアーミラが捕まってしまう! ――アダンは己の腰帯に収めていた切り出しをアーミラに向けてほうった。


 それは集落を襲った男の得物だった。ダラクという名の凶暴な男がアダンの胸に突き刺そうとした刃である。絶体絶命に思われたアダンを守ったのは、やはりアーミラが渡していた耳飾りの祈りであった。それから都の救護院で目覚め、自力で歩けるように回復した後、集落の燃えかすの中でこの切り出しを見つけ、木工に使えないかと呑気にも拾っていたのだ。


 投げ渡された切り出しをアーミラは握り、髪を掴む男の表情が強張った。腕を切られると思ったのだろう。しかし、アーミラが切ったのは髪の方だった。


 重たく結えていた綺麗な髪がばっさりと切り落とされ、髪を掴んでいた男は張り合う力が抜けた弾みで後ろに転がり、団子になった男達の上に倒れて悲鳴が上がる。


 アーミラは既に窓の下枠に足をかけていた。そのまま外に飛び出して都の路地裏へ消える。白衣の男達もこけまろびつ目を擦りながら後を追って部屋から出ていった。


 嵐のあとの静けさに、アダンとシーナは呆然と立ち尽くす。


「……行っちゃったよ、あの子……」


「凄かったな……あんな兵隊相手に……」


 二人は大変な目に遭ったというのに、不思議と笑いが込み上げた。

 部屋を散らかされた怒りも忘れて目を輝かせる。


「強かったねうちの娘は……! 見たかい!? あの身のこなし、ありゃあ誰にも負けないよ」


 旅立つ以前と比べて別人のように逞しく成長しているアーミラを目の当たりにした二人は、身を案ずることが杞憂きゆうであると確信した。


 娘は立派に成長している。

 別れの言葉を交わさなかったのは、すぐに帰ってくるからだ。





 夫婦と別れたアーミラは都を離れて北へ走った。


 ――彼らは、私を殺す気がない。


 これは楽観ではなく、白衣の者達が武器を構えていなかったことからアーミラが推察したことだ。


 ――縄があれば私を捕まえられると高を括っていた……? 神殿から逃げ出した継承者をそこまで甘く見るとは思えない。もっと容赦なく攻撃を仕掛けてきてもいいはずなのに、それをしない……なら、神殿の目的は何……?


 頭の中で道理を導こうとしたが、欠けた穴は依然として大きい。


 ウツロの謀叛から始まる一連の騒動……ですが果たして、原因はウツロなのでしょうか。彼が私を裏切ったのなら、神殿で私の灯火を救い出した矛盾はどうしても説明できない。


 アーミラはぐんぐんと道幅の狭くなる都の路地を抜け、腰ほどの高さの柵を足場にして家屋の上に移ると、屋根伝いに逃走した。下では人相書を頼りに捕物とりものを行う者達がアーミラを見上げて騒ぎ始めるが、かえって都合がよかった。統率の取れない彼らは人壁として白衣の隊列を阻んだのである。

 郊外まで逃げたアーミラは一度追手を振り返り、北側の林を潜った。その先はマハルドヮグの山が待つ。追手を撒くには悪手だが考えがあった。


 呼吸を整え、方針を決めた。――彼を疑うからややこしくなる……。


 『俺が従うのはラヴェルではない。継承者だ』あのときウツロはそう言った。『彼女らの信頼を裏切った蚩尤しゆうには、決してくみしない』と。


 ウツロが継承者わたしたちに従い、今もそのために戦っているとしたら彼は何と敵対している? 『蚩尤』とはどんな意味か? 神殿はなぜ私に責任をなすりつけた……?


 アーミラは少しずつ、しかし着実に穴を埋めつつあった。触れられるはずもない真実の輪郭に、その指先が触れようとしていた。


 私が神殿から逃げ出さなければならなくなった原因が誰かの裏切りによるものなら、きっとその人こそが『蚩尤』なのだろう。そして一番に疑わしいのは近衛隊を動かせる者……であれば蚩尤とは天帝……?

 ラヴェル一族は、継承者を騙すような事をした……? それともこれから、継承者に悪事を働くかもしれないってこと……?


 アーミラは神殿から逃げ出す前に聞いたカムロの発言を思い出す。


 『近衛隊にとって、勅命は絶対なのです』


 勅命ということは、「捕らえよ」と命じたのが帝であるということだ。であるなら、ここまでの推察は間違っていない。帝についてなにか知りえることはないかとアーミラは記憶を辿る。接点なんてあるはずもないが、出征式典の折に一度だけ顔を見た。そして声を聞いた――そうだ……帝はなにか言っていた……!


 『恐れるな、何も知らぬだけだ』


 あの言葉はどういう意味だったのだろうか。記憶がない私に同情して、励ましているのだと思っていたけれど。それにしては暗い独り言のようなおもむきだった。どちらかといえば自分に言い聞かせているような印象だと記憶している。


 ――帝は、私を恐れている……? 私が記憶を取り戻すことで、帝にとってなにか不都合がある……?


 アーミラはこの疑問が頭に浮かんだとき、言いようのない胸のざわめきを覚えた。核心に触れている予感があった。実際、記憶を取り戻した私は神殿に追われているではないか。


 ――思い出せ。私が前線で拾い集めた記憶を……。


 まず、物心つく前の朧げな記憶。

 マナに抱かれどこかへと向かう場面と、部屋に残り見送る男……これはおそらく父だろう。おそらく一番古い記憶の欠片。


 そして内地の涸れ井戸と水路で過ごした幼少の日々。流浪の民としてお師様とひたすら歩き続けた。

 ラーンマクでは、私がアルクトィスの生まれという仮説が覆り、それどころか私とお師様は生まれの種族さえも違うと知った。


 禍人種の血を持つ次女継承者……神殿にとって不都合な記憶とはこれだろうか。他にも、幼い頃私は一度死んでいる。この記憶は帝に都合が悪いだろうか。


 私は禍人種の肉体を捨てて偽りの魔人種となり、刻印を拒んだ。これにより命を削ったお師様は老婆となり、私は記憶を失い――いや、待て。《《私じゃない》》……。


「……全部の謎が……お師様に繋がってる……」


 記憶喪失。

 刻印の拒絶。

 神殿からの逃走。


 一つ一つの点を結ぶ線の先に、複雑に絡み合った糸の結び目がある。


 そう。お師様――マナ・アウロラとの旅は流浪ではなく逃避行だった。

 幼い頃に胸に抱かれ駆け出したあのとき、マナは何から逃げていたのか……神殿だ。

 これで二度目の逃避行なのだと、そう確信できるような懐かしさがあの山道にはあった……幼い頃と現在いま、同じように追われている。きっとその理由は同じなんだ。


 では、私を見送り、あの狭い室内に留まった男は――父は――まだそこにいる……? なぜ禍人である私が神殿にいたの……? マナは何者だったの……? なぜ私を逃がしてくれたの……?


 なにか、とても大きな暗闇が世界を歪め、真実を隠している。……そのしわ寄せが私を苦境に立たせているのではないかと、アーミラは感じていた。そしてその闇の力の根源が神殿と関わりを持っている予感は常にあった。


 林の深くへ潜り、斜面は勾配をきつくしてマハルドヮグの裾野に入っている。手荒なことになってもいいように人のいない場所を選んで逃げてきたアーミラは、左手側に木漏れ日の射す一帯を見つけた。


 鬱蒼とした林の一画、木々の切り拓かれた場所に辿り着く。そこは人気ひとけのない木造小屋の並ぶ庄……今は誰も住んでいないようだが、捨てられた集落という風でもない。山に住む杣人そまびとは木を切りすぎないようにいくつかの拠点を持ち、一つの庄で採伐が終わると別の庄へ移動すると聞いたことがある。


 つまり追手の相手をするには丁度よい。

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