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最後の異世界転生譚 ――Echoes Beyond the Aurora Manuscript――  作者: 莞爾
18 審判 中編

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144話 麦粉なんてこの量で銅粒二つよ、二つ!

 ムーンケイの戦闘と時を同じくして、隣国ナルトリポカは人でごった返していた。


 普段であれば作物を運ぶ商人や農民の荷車が行き交う大通りが、今は馬を通せるだけの道を開けるのも困難なほどに混み込みとしている。煉瓦積みの建物が居並ぶ都の景観はここ数日は朝も夜もなく喧騒に包まれている。


 都に押し寄せて来た者達は主に賢人種で、褐色の肌は炎に炙られ墨のように黒い者もいた。彼らは本来、ムーンケイで炉の操業につく職人達である。先立って神殿からの御触書があり、禍人の襲来に備えた避難のために住処を離れてこの地まで流れ込んで来ていたのだ。

 道中では人相書も回覧され、一件の騒ぎの原因である次女継承者が《《いやしないか》》と誰彼構わず睨め付ける。怒りの矛先を求めて気が立つ賢人たちに、ナルトリポカの者たちは戸惑いを隠せなかった。


 本来ならナルトリポカの都はその土地に避難民を招き入れる用意があるのだが、あいにく歓迎するだけの懐の余裕がなかった。禍人が起こしたとされる備蓄――主に甘藷黍かんしょきび畑――を狙った焼き討ちの被害によって、食料が例年の三割程度まで落ち込んでいたのだ。

 宿は開けど飯がない。そのため様々な店の品々の値が一夜にして跳ね上がり、碌な身銭を持ち合わせていなかった避難民は己の非もなく困窮した生活を強いられることとなり、人口密度の高まりと共に不満が波及して、街全体が殺伐としているのである。


 職能と矜持を持つ賢人であるため、流石に荒事や窃盗のような問題はまだ起きていないが、この状況が続けばそう遠くないうちに治安の悪化は免れないだろう。どこの集落もぴりぴりとした空気に満ちていた。

 すれ違う者同士の盗み見るような視線。誰も彼もが指名手配された一人の少女を探していた。「捕まえれば報酬が出る」……誰が言ったかその額は、一生暮らしに困らぬ額だという。


 猥雑な話し声を他所に、編み籠を抱えた獣人種の女が足元の賢人達を蹴飛ばさぬように道を歩く。頭には日除けにと身につけた釣鐘帽子を目深に被り、どこかよそよそしい態度で先を急いでいた。


 すれ違う賢人は女の顔を見てやろうと斜に構えて帽子の内側を覗くが、目当ての人物ではなさそうだとわかるとすぐに目を逸らす。身の丈も廻状の人相書とは異なるので、それ以上怪しむこともないが、不躾な態度に違いはなかった。


 女は見上げてくる幾つもの視線に気味悪さを覚え、そそくさと路地を一本抜けて宿の石段を昇る。慣れた手つきで錠を解き、部屋に入ると誰にともなく捲し立てる。


「なんなんもう。人の顔見て挨拶もなしに……。人探しか飯探しかわからんけどじろじろして、もっと目付きくらい優しくできんもんかねあれは。……はぁ、なにが『一生暮らしに困らない報酬』よ。そんなに金が欲しいなら自分とこの炉でいくらでも作ればいいんに」


 部屋の奥にいた男は玄関から漏れ出す怒りの気配に気付き、椅子から立ち上がって出迎えた。


「……大丈夫か……?」


「大丈夫じゃない」


 憤懣ふんまんやるかたない様子で女は言い、玄関の壁に取り付けられた突起に帽子を引っ掛ける。ずんずんと木の板張りの床を進んで男の側によると抱えた籠の中身を見せつける。朝に買い物へ出掛けて随分とかかったわりに、覗き込まなければ品物が見えないほどに少ない。


「こんだけしか買えなかったの。どんどん値上がりして麦粉なんてこの量で銅粒二つよ、二つ!」


 前のめりに訴える女に、男はたじろぎながらも肩に触れてやんわりと抑える。


「落ち着け。今はムーンケイから押し寄せた人の分だけ需要があるから、値を吊り上げてるんだろう。急に上がったのなら下がるのもすぐさ」


「だって、アダン……」


「それより」男は声音を変えた「どうだった?」


 心持ち密やかに問いかけるアダンの言葉にシーナは上目遣いに首を振った。


「ならいいんだ。今は見つからないことが大事……よし、飯にしよう。買い物に出掛けている間に有り合わせで作ってくれたんだ」


 アダンはまるで自分の手柄のように得意げに言って先程まで座っていた椅子に戻る。四人がけの木製の椅子に囲われた卓には、湯気の立つ鍋と三人前の食器が並べられていた。


「あら、本当に助かるよ」シーナは感激したように声を弾ませ、先程までしわを寄せていた眉間がぱっと開いた。「ありがとうね。アーミラ」





 行く当てもなく山を降りたアーミラが夫婦と再会したのは、ほんの数日前のことである。

 オロルに促され、命からがらに山を駆け降りたアーミラはナルトリポカに落ち延びていた。


 最早どこにも頼れる者はいないと悲観しつつ、脳裏では「あの夫婦なら」という一縷の望みを抱き、都の水路に潜り込んで救護院へ向かった。林の木陰に身を潜めて一夜を明かし、内部の様子を窺っていたがアダンとシーナの姿はなく、どうやらもう救護院にはいないのだと悟る。ではどこへ行ったのか、帰るべき集落は焼かれているのだから、もう探すこともできないだろう。


 ――二度と会えないかもしれない……。


 アーミラは失意に肩を落とすが、禍福はあざなえる縄の如し。偶然にもシーナがそこに通りかかった。街路を行く彼女の姿を見て、思わず林から飛び出しそうになり、慌てて藪に潜り込む。葉叢はむらががさりと音を立てて枝を揺らし、シーナは顔を向ける。


 獣が藪に飛び込みでもしたのかとシーナは思ったが、なんとも言葉にできない予感が胸に迫った。何者かと通じ合うような胸の切なさを覚え、確証もなく「あの娘かもしれない」という考えがよぎったのである。


 薮の方へ近付き、そっと声をかける。


「アーミラ……? そこにいるん?」


 掻き分けた枝葉の向こう、くしゃくしゃに泣いているアーミラがそこにいた。


 こうしてアーミラは夫婦と再会を果たした。

 シーナはすぐにでも仮住まいの宿へ案内したがったが、往来に出ることをアーミラが頑なに嫌がったため、夜に人目を避けて部屋に招き入れた。

 後日廻状が街まで届き識字の心得の無い者にも伝聞が周知されると夫婦は大層青褪めたが、同時に身を隠す事情を察しこのまま匿い続けると決めた。――アーミラが罪人なはずないもの。……きっと何かの間違いだわ。


 これが神殿から行方をくらましたアーミラの経緯である。


「……すみません……こんな形で、再会なんて……」


 アーミラは昼食の前に改まって謝罪した。卓を挟んで向かい合うアダンとシーナは、あえて重く受け取らないようにと努めていた。


「どんな再会でもあたしゃ嬉しいよ。……生きて帰って来てくれたんだもの。本当によかった」


 シーナは甲斐甲斐しくアーミラの皿によそい、鍋の中の根菜と肉を丁寧に盛り付けた。街の急激な物価の上昇を受けて質素な味付けではあるが、溶けた野菜の風味と肉の脂の旨味があった。何よりこの味付けがシーナ直伝のもの。アーミラは舌が覚えていたのだ。

 ひと匙掬って口にすると、アダンもシーナも泣き笑いの顔をした。些細なことでも家族としての繋がりを感じて、嬉しくなったのだ。


「追っかけ回す連中がいるみたいだが、俺たちが守ってやるから安心してくれ」アダンは言葉を切って腕を組む。「ただ、何が起きたのかは話してくれないか」


 アーミラはこくりと頷き、食事に手を付けていないまま匙を置いた。

 どこから話すべきかとしばらく沈黙したあと、ウツロという鎧と共にナルトリポカから神殿に向かった場面から語り始めた。


 木彫りでしか見たことのない長女継承者ガントールその人に出会ったこと。

 オロルという生意気な賢人がやってきて三女神が揃ったこと。

 四人で前線に向かっていた夜に、集落を守れなかったこと。

 襲った禍人種に復讐するため力を身につけていったこと。


「あのときウツロさんがいなければ、お二人を助けることはできなかったでしょう……」


「そう……」シーナは神妙に相槌を打つ。


 長いながい困難の旅路を語るアーミラは、一度喉を潤すために汁を啜った。冷めてしまった汁には滋味深い味わいがあり、胡椒の芳醇な香りと辛みが鼻に抜ける。胃に降る温度が心地よかった。久しぶりのまともな食事だった。


「でもね、あのとき確かにアーミラは助けてくれたんだよ」


「え……?」なんのことかとアーミラの声が上ずる。

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