143話 それが一番の間違いだった
「あの二人、ただの双子というわけではないのです」
「と言うと?」
「母胎の中で双子となる過程で、お二人はどういうわけか互いの腕が繋がった状態で成長したそうです。難産の後、産声を上げる赤子の腕は直ぐに断ち切られました」
「その後、ガントールだけが刻印を授かった。という訳じゃな」治癒を終えたオロルが言葉を継いだ。「継承者として神殿預かりとなった後も、揃いの義手を身につけ、離れていても心は一つじゃったと」
カムロは頷く。
「前線出征を終えて帰還したガントール様は目覚めず、スークレイ様が駆けつけました。禍人の動きに未だ油断できない中で、血肉を分けたスークレイ様は長女継承の代理を努めるとお覚悟なさったのです」
「うむ……互いの腕が切り離されるまでは一つだった双子、限りなく同一の存在だからこそ長女継承の力を使うことができたと」
オロルは納得したように息を吐く。一方でセリナは、戦闘中に交わした言葉を思い出していた。
「姉が守ったものを守る……」
あのときスークレイは悪辣にもそう言っていた。『正義など関係ない』と。
セリナは傍目から双子を眺める。
姉妹はといえば、どちらも歩くことがままならず、もどかしい距離で見つめ合っていた。離れて暮らしていた歳月を埋め合うように、長旅の荷を下ろした者の、穏やかな笑みが浮かんでいる。
「スークレイの命を捨てる覚悟……それが一番の間違いだった……って訳ね」
姉妹を眺めるセリナの視線は、賢しげとも愚かともいえない細めた目で面映ゆい感傷を密めていた。同じ妹という立場、そして命を捨てる選択と覚悟をした者として、共感を覚えなくもない。
姉のために戦ったスークレイであるが、彼女はガントールの真意を知らずにいた。
長女継承の責務を一人で背負い、前線出征をして戦うのは神殿の勝利のためだと思われていた。責務を全うする姿に、きっと誰も疑いはしなかっただろう。
だが、そうではなかった。
揃いの義手を贈るのも、出征してラーンマクへ急ぐのも、辺境伯の地位を無視して妹をスペルアベルへ退がらせるのも、全てスークレイのための行動である。
ガントールが天秤の皿に乗せていた願いは、正義でも、大義でもなかった。
スークレイが穏やかに暮らせる世界のため、戦っていたのだ。
天秤に乗せた錘――揺るぎない信念を持って守りたかったものこそ、たった一人の妹だった。
「……なんだよ、やっぱり誤解してたじゃんか」セリナはますます脹れて大の字に寝そべる。「なにが『勘違いなんてしてません』だよ。こっちは骨折り損続きだよもう」
セリナの愚痴にウツロは深く同感して頷く。側に立つカムロは少し居心地悪くしていた。
スークレイとガントール。互いを想い起結した関係を知っていれば、そもそもスークレイは戦わなくてもよかっただろう。……とはいえ、もしそうなっていれば翼人は双子ともども巫力をかけて差し向けたかもしれない。結果を見ればこれでよかったとも思える。
刻々と夕闇が迫るなか、放り投げられたままの天秤をウツロが回収する。その背中にカムロが声をかける。
「ウツロ」
声音が微かに緊張している。両手に斧槍と天秤剣を持つこの状況で襲いかかるとは思えないが、カムロの目は真剣だった。
「あなたであれば……私の立場を理解していると判断して、この場でお話しします」
言い淀むカムロに対し、ウツロは黙って立ち尽くす。首を失った以上返答ができなかった。オロルとセリナが、こちらには気付かずにガントールの方へと歩く背が見えた。
「この場での戦闘に降伏したとはいえ、近衛隊長の私は以後も神殿の立場に立ち、あなた方と敵対の姿勢を維持しなければなりません。
ですが、ガントール様と神器天秤を失って、私は手柄なしに神殿へ帰ることはできないのです」
――お前も逃げたらどうだ。
ウツロは斧槍の石突で地面に書いた。カムロは目を落とし文字を読むと首を振った。
「そう簡単にはいきません。部下達は私の帰還を待っています。……彼らに指針を示さなければ、訳もわからぬまま混乱の渦に巻き込まれてしまう。何のために生き、戦うのか、どうか選択の機会を与えてほしい」
カムロは切ない表情で唇を噛み締める。彼女にとって神殿は第二の故郷だろう。帰りを待つ者がそこにいて、裏切れぬ絆で繋がっている。彼らの信頼に応えるためにも、例え敗北を喫して失望されたとしても、帰らないわけにはいかない。
この葛藤を打開するためにカムロはウツロを頼った。ならば無策ではないはずだ。きっと、考えがあるのだろう。
――俺はなにをすればいい?
斧槍で書かれた言葉を読み、カムロは真っ直ぐにウツロを見つめた。
「お願いです。私とともに神殿へ来てください」
❖
オロルとガントールを立て続けに奪われた神殿は、先に逃散し行方をくらませたアーミラも含めた当代継承者を全て失ったこととなる。これは前代未聞の失態であり、責を問われる立場にあった近衛隊隊長の首が飛ぶことは免れない。
一度繋がった首がまたも切られる危機にある。それをわかって差し出すほど、カムロは愚かではない。裏切れぬ仲間との義理と責務を果たすために一考を案じた。譴責への打開策として見出しているのが、ウツロの存在であった。
当代継承者と互角に渡り歩き、神器を砕くほどの脅威であるこの鎧姿の戦闘魔導具を連れ帰れば多少なり手柄にはなる。いっそオロルとガントールの二人も神殿まで案内すれば、表向きは勝利の帰還を偽装できるとカムロは読んでいた。
「ウツロは身柄を拘束されるでしょうが、謀叛に至った理由を私が伝えます」
――理由を伝えて何になる。
「部下達を説得する緒になります」
――その場で殺されるぞ。
「……そのときは、見捨ててもらっても構いません。ですがもし気が向くのであればどうか私を守ってください。いずれにしろ貴方は神殿へ向かうつもりなのでしょう?
お得意の奇襲で禍人は攻め込む……その混乱に部下の犠牲を払いたくはありません」
――お仕えしている帝を見捨てるのか?
棘のある物言いにカムロは苦々しい顔をする。戦闘の時ですら表情を硬く維持していたというのに、充血気味だった目が濡れて涙が下まつ毛に乗ってぽろりと落ちた。
雫を追いかけ下を見たウツロは、彼女が悔しさに拳を固めていることに気付く。脚が震えているのを見つめる。
「私には、……っ」カムロは涙声で言う。「貴方を止める力がない……」
初めてカムロが泣いている姿を見た。
しゃくりあげながら、訴える。
「二百年も生きているあなたが、天帝を悪と断ずるなら……きっと、なにかしらの証拠を掴んでいるのでしょう……、それでも私や、部下、……民達は、っ、信じているのです。救われているのです……」
らしからぬカムロの姿。近衛隊長ではなく、この地に生きる女の言葉が胸を打つ。
オロル達が何事かとぞろぞろ集まって、ウツロは悪態で泣かせてしまったことに気まずく思いながらも、足元に残った言葉を消さなかった。
「あぁあぁ、お兄ちゃん。泣かせるなんて最低」
茶化すことで場を明るくしようとしたのか、セリナはとりあえず兄を責める。その隣でオロルが地面に残された会話の断片に目を落としていた。
「『帝を見捨てるのか』か……酷なことを聞いたな。これは庇えんぞ」
――すまない。
ウツロは声があれば謝っているのだが、いかんせん謝罪の言葉を土に羅列するわけにもいかず、肩を落とす。カムロは泣き腫れた顔を手扇で冷ましていた。
「すみません、面前で……泣き言を言うべき立場でないのは理解しているのに……」
「いいんじゃ。阿呆なことを聞いたウツロが悪い」オロルはそう言って今度はウツロに顔を向ける。「お主はこれからやろうとしていることの重大さがわかっておらん」
ウツロは反省を態度で示すために正座になり、一言『申し訳ない』と指で土を削った。
わかっていたつもりでいた。
でも本当はわかっていなかった。
この世界を正道へ導くという己の中にある確固とした信念。
それは遠い昔に翼人と龍人が掲げていた大義や正義となんら変わらないものだ。
翼人の野望は砕く。だが同時に、翼人を信じていた無辜の民は救恤しなければならない。悪を裁くだけでは多くの絶望を世に生み出す結果となるだろう。
今こうして目の前にいるカムロだってそうだ。信ずるものを失い、明日への希望を持てずに涙を流している。道を失う切なさを、ウツロは知っていた。
新たな光が必要なのだ。
そのためにやるべきことを、考えなければならない。
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[17 審判 前編 完]
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