139話 到底無理
斥力の内側、地鳴りの向こうに遮断された景色の向こうでは、うつ伏せに倒れたウツロに対してガントールが手のひらを添えている。そう、前線で脚を失い、満身創痍に倒れても、彼女は未だ神器『天秤』の正当な所有者なのだ。溶けた地金に取り込んで我が物のように振る舞っていたウツロは所詮は戦場の泥棒に過ぎず、返還の光景はまさに盗人を審判に掛けて裁いているかのようである。
鎧の身体が軋む音が微かに耳に届き、日緋色金の頭部が吸い寄せられるように手のひらに向かって引き剥がされていく。ひしゃげた頭蓋が苦悶に顔を歪めているように見えた。
金属の断裂する音は激しく大仰で、ガントールの展開する領域の外側まで漏れ聞こえる。
地に磔にされて頭を剥ぎ取られる光景は容赦がなく、もしウツロが人間であったならば、直視に耐え難い光景だっただろう。背骨ごと引き抜かれる極刑を受けているのではないかと思うほどに、残酷な様子が繰り広げられていた。不死のウツロといえども痛々しい姿だった。
やがて刑の執行が終わり、ウツロの身体を補い超常の力を与えていた天秤が持ち主のところへ返され、日緋色金がガントールの手中で再び剣の形を取り戻した。
首を失った黒鉄の鎧は力無く倒れている。
「……お兄ちゃん……!」
死んでしまったのではないかと思ったセリナは我を忘れて駆け寄る。
「待て!」オロルは呼び止めるため咄嗟に手を伸ばしてから、己には繋ぎ止める指がないことに気付く。「っ! 行ってはならん!!」
セリナはガントールに向かい飛びかかるが、剣の腹でいなされるとその頬に拳が叩き込まれた。混じり気のない真っ直ぐな痛みに涙が散り、セリナはよろめきながらもウツロに覆い被さった。洟をすすってガントールを見上げる。
禍人種の娘を前にガントールは無感動に奮った拳に付いた血を払い、剣を握り直して感触を確かめる。……あやつ、切る気じゃなかろうな……!?
「彼女はこんな態でもウツロの妹じゃ! 早まるなよ!!」オロルはガントールに向けて鋭く声を張り上げる。
ガントールの戦意は直情的であり、禍人であれば躊躇いなく首を切り飛ばす危険があった。ウツロとセリナが倒れる事態はオロルにとって避けたいことだ。
「……眠っている間に、色々あったみたいだな、オロル……」
どこか微睡むようなガントールの視線がちらりとかち合った。……瞳孔が開いている。様子がおかしい。
あの目は、呪術に操られている者の目だ。
ガントールは剣を掲げて続ける。
「案ずるな……二人一緒だ」
セリナの首めがけて天秤剣が振り下ろされる!
オロルは叫んだ。
「躱わせよウツロ!!」
降ろされた鋒はセリナの髪を一房切り落とし、重くめり込み地を揺らした。甲高い金属音と衝撃が弾けて耳を麻痺させた。オロルは痛む鼓膜を腕で塞いだが残響が消えない。
ガントールは二人一緒に殺すことに躊躇がない。二人の安否を確かめるためにオロルは痛みを耐えて目を開く。
振り下ろされた刃の先にセリナはいなかった。ウツロがセリナを突き飛ばし、処刑人の振るう落とし首の剣閃を一人で受けたのである。耳を襲った音の正体はこれだった。
降ろされた剣はウツロの襟元の鎧を深く切り欠いた。幸いにもかち割られるような頭蓋は持ち合わせておらず、まさに先程没収されたばかりである。
斥力が微かに弱まった一瞬を見逃さず体勢を立て直し、ウツロは青生生魂のみとなった身体でガントールに対する。
「ウツロよ。ガントールは呪術に操られておる……あの脚を見よ」
ウツロは言われた通りにガントールの脚を見る。前線で災禍の龍に喰い千切られた両脚には見慣れない金属製の長靴を履いていた。おそらくは義足だろう。
「操られているんなら、もしかして翼人の巫力って奴じゃないの?」セリナは言う。
我が意を得たりと頷く。声を奪われてしまったウツロも同じことを考えていた。振る舞いも太刀筋もどこか彼女らしくないと感じていたからだ。
「どうあれ、まだ戦えるほど回復しておらんはずじゃ。義足を狙い脚を止め、今度こそ神器を破壊しろ」
頷くウツロの向こう。オロルの言葉を聞いていたカムロとスークレイが眉を跳ね上げ視線を尖らせる。
「その口ぶり……馬脚を露わすとはこのこと」カムロがオロルに向ける視線が温度を下げる。「……禍人に加担していますね」
二人はガントールを護るように背に隠し、前衛に立つ。
「馬脚? ふん……主らこそ。ガントールをここに立たせている無体には全く失望したわい。それにのぅ、アーミラを追い立てた仕打ちも正当性を見出せん。
祈りを背負い奉仕した女神継承者の現状を見よ。方や身柄を追われ、方や操られとる。謀叛に翻らぬ方が愚かじゃろう」
オロルは悪びれず、むしろ胸を張って三人に宣言した。
「たとえ前線を勝ち納めたとしても、世に不穏の影があれば争いは無くならん。
わしは決めたぞ。膿を出し切り、真の終戦を目指す」
「神器も両手も失くしたというのに?」くだらないことだとカムロの目は言っていた。「今のオロル様には到底無理でしょう」
嘲笑の声を意に介さずオロルは言う。
「……わしはそれを、ウツロに託す」
宣言を聞き、ウツロは斧槍を握って奮い立つ。
――また託されてしまった。
背負うものがまた増えたというのに、体には力が漲るようだ。
託された想いの数々が、空の鎧に注がれ、ウツロを休ませてはくれない。
闘志を新たにマハルドヮグ山嶺を見上げる彼の前、立ちはだかるガントールはオロルの宣言も空しく心には届かない。響いていない。
「『神殿に絞れるような膿は無い』。『こうは思わないか……禍人を根絶やしにすることが真の終戦だと』」
熱に浮かされたように虚空を見上げてふらついているガントール。開いた瞳孔からはちりちりと燐光が漏れ光る。――これはガントールの言葉ではない。……オロルはそう直感した。セリナの話していた『神族が持つ巫力の仕業』だろう。ただでさえ体力を消耗しているうえに、信仰が盲信へと塗り替えられ、思考を奪われてしまっている。
相当な無理を強いられているのは明らかだ。
本人の気力か或いは巫力がそうさせているのか、苦しみを顔に出してはいないが、額や首元の発汗が凄まじい。癒合しきっていない間に合わせの義足からは血が滲んでいた。このままでは戦わずとも倒れてしまう。
そう感じているのはオロルだけではない。もはやこの場にいる全員がそう感じていた。
スークレイは敵前でありながら背を向けて姉に寄り添い、ふらついている姉の肩を支えた。誰もその隙を狙いはしなかった。代わりにオロルが毒気たっぷりに野次を飛ばす。
「仮にも女神に地位に居る娘を襤褸になるまで酷使して……これを膿と呼ばずなんというのじゃ……」
そうだそうだとセリナも加勢した。
「ラヴェルがこれまでやってきたこと、あんただって知ってるんじゃないの?」
「天帝を愚弄するな! 一族に後ろ暗いことなどあるはずがない!!」カムロは青筋を立てて否定するが、怒涛の剣幕にもセリナは冷ややかだった。
「……よくそれで近衛隊長なんてやってこれたね……いや、やってこれてはいないのか。だって副――」
セリナの肩をウツロが掴んで制する。危うく口を滑らせるところだった。……思うところがあったのか、カムロは口を引き結んで表情が曇る。
「――……次女継承を捕らえようとした時だって、あんたはそんな顔してた。隠したところで翼人はあんたの働きに応えちゃくれないよ」
畳み掛けたいセリナの糾弾をスークレイがぴしゃりと割り込み制する。
「そこまでです」
「もとより姉様を戦わせるつもりはありません。不届者から天秤を取り戻せばそれで役目は充分……」
喧々諤々《けんけんがくがく》な両陣営の睨み合いの中、ガントールは熱に魘されて視線も定まらず、息が上がっていた。
「こうしましょう。オロルと姉様、どちらも手出し無用。
こちらは私とカムロ。
そちらはウツロと娘、二対二の決闘……これで蹴りを付けます」




