134話 慈悲は尽くした
狷介固陋なオロルの態度に、ウツロは致し方なしと項垂れて得物を握る。首を垂れて頭を外すと、襟の隙間から一振りの斧槍を引っ張り出した。
それは鎧の内側に収めていた斧槍であり、イクスから授かった業物である。
「立てるかセリナ」
「……龍人を舐めないでよね……」
口では強がりながらもセリナは額に汗が滲んでいた。三女継承の恐るべき素早さを前に太刀打ちできるか、彼女にとっては初めての対継承者戦……どうしたって身体が緊張に強張るのを感じていた。
ウツロはそんなセリナの様子を見て、妹が決して手練ではないことを悟る。
集落を燃やした三人の一人ではあったが、実行犯はダラクという男だったのだろう。それからも戦闘でセリナを見ていないことから実戦の経験は浅いと見た。人を殺めた数が少ないというのは兄として喜ばしいことだが、オロルを相手にしたこの状況は死線である。
兄としてオロルの壁になるようにやや前に陣取り、セリナを後衛に立たせた。とはいえ、時止めの脅威に対応できるとは言えなかった。
無言のままにじっと睨み、出方を窺う。
「……焦らしよる」
オロルの呟く声――それが耳に届くよりも先に懐に潜り込まれている。
先手を取ろうが後手に構えようが、人の反応できる速度ではないのだ。
――まずい!
思考より速く、柱時計が面を叩いた。灯緋色金同士がぶつかり、火花を散る。
耳をつんざく衝撃音が残響し、セリナのすぐ横をウツロが吹っ飛んでいった。からん。と斧槍が転がり、セリナはやっと振り返る。
「お兄――」
一瞬の無音。
瞬きする間に、視界いっぱいに三女継承の姿が広がった。
褐色の小さな裸足が鳩尾に深く沈み込む。
セリナは血反吐を吐きながら驚愕する。攻撃の予備動作すら目に捉えられない!
小柄な身の丈に見合わない重い一撃にセリナは身体を丸めて地面を転がり、龍体となった皮膚からは鱗が剥がれて血が滲む。
ただただ三女継承の権能に困惑した。
「時を止める力……強すぎて卑怯でしょ……」
「……そりゃあ龍人が勝てない訳だ」ウツロはまだも黒焦げた瓦礫の山から起き上がる。
「で、どうするのさ? 弱点とか知らないの?」
「生憎だが、オロルに弱点はない」
「……はっ――」
ウツロの断言にセリナは思わず笑う。悪い冗談にも程がある。
それでも、災禍の龍は継承者達を追い詰めた。龍体術式は彼女たち女神に対抗する唯一の手段なのだ。私は……それを二度も受けている。
――何かあるはず……。三女継承を倒す力が……。
思考に沈くセリナの面持ちはここにきて凛々とする。心はまだ折れていない。
「無駄じゃ。わしに勝てるなどと思うな」
オロルは緩慢な歩みで二人に近付く。それに対してウツロは立ち上がり、拳を構えた。
「どこを見ておる」
ウツロの頭骨を模した面鎧の眼窩は睨む対象を見失っていた。オロルの声はすぐ下から聞こえる。
「ここじゃ」
間合いはすでに触れ合うほど。オロルは胴鎧に掌を這わせ、込められた魔力が炎のようにゆらめくと光線が放たれた。激しい光がウツロの鎧にぶつかり反射して、仰け反った身体を踏ん張り光線を受け止める。
放たれた先で行場を失った閃光が不規則な軌道を描いて付近を焼いていく。尻に火がついたようにセリナは慌てて飛び上がり這々の体で回避した。間抜けな様を眺めてオロルの口元に、きり、と小さく冷笑が浮かび、反撃に出たウツロを見もせずに柱で殴り飛ばす。
――遊んでるつもり……!?
ウツロには容赦なく柱をぶつけ、私には素手……偶然ではない、三女継承は意図して手心を加えている。そう確信してセリナは怒る。
「こいつ本気……! 泣かすから!!」
吶喊の声と共にセリナは翼を広げてオロルに迫る。手の届く間合いまでほとんど一足飛びに詰めると腕を振るった。しかし爪は空を切る。目の前に居たはずのオロルは霧か幻のように忽然と消えていた。
セリナは遮二無二両手と尾を振りまわして擦り傷だけでも負わせられないかと暴れてみせたが、虚しい風切り音だけが響いた。
一方ウツロは転がる体を立て直し斧槍を拾っていた。仮にも二度の出征を戦い抜いた戦士、手堅く立ち回り形成逆転の機会を逃すまいと得物を握っている。その背にオロルは迫るが――
「おっと」
静止空間の中、オロルは痛みに脚を止めた。
隙だらけに見えたウツロの懐に潜り込もうとして、知らぬ間に怪我をしていることに気付いたのだ。飛散している鱗か火花で皮膚を切ったか、頬を撫でるとぬるりと手袋が赤く濡れた。傷は深く、両頬を串刺しにでもされたように口内まで血の味が広がった。
何事かと怪我の原因を探し、初めて罠に気が付いた。
ウツロの周りには砂粒程の塵が舞っている。灰や瓦礫に紛れているために意識していなかったが塵の中に金属質のものがあり、鋭く尖った刃が立っている。それは触れるものを切り裂かんとオロルを待ち構えていた。どうやら知らぬ間にやられていたらしい。
試しに一欠片を指先で触れると、刃は恐ろしい速度で回転して指先を切り裂き、オロルの手を逃れて再び静止した。弧を描く軌道から、ウツロを中心に円を描くように刃が展開されているのだろう。
原因がわかり、改めてオロルは全身を確かめる。頬に一つ、腕に三つ、脚に一つ……細く深い切り傷から血が流れていた。
「……天秤の破片……?」
一歩退いて頬を撫でる。赤い指先を見て、オロルの眉がわずかに動いた。
「なるほど……意のままに操る、か」
となれば浮遊している刃の一粒ひとつぶがウツロの身体と繋がっている。不用意に触れればこちらが斬られるだけでなく、接触による静止空間への割り込みもあり得る――おそらく指が触れたことを、ウツロは感覚したじゃろう。
流石じゃな。とオロルは声に出さず称賛した。
これでは時を進めるのも億劫だが、神殿から持ち合わせた魔鉱石も潤沢ではない。そう考え、オロルは時止めを解除した。
想定通り、ウツロから反撃が迫る。
縮地で間合いを詰め、横一閃に振り抜いたウツロの一撃はかがみ込んだオロルの頭上を掠め風切り音が唸る。二撃目が来る前にウツロの胴を蹴りながら飛び退いて、刃の結界に包囲されないようにオロルは立ち回る。時の流れを絞り慎重に躱していくが、間隔が狭い所では白衣の裾が裂けるのも仕方がないと諦めた。
戦う覚悟を決めたウツロは流石の手強さである。打たれ強く、疲弊もしない。長期戦となれば敵う者はいないだろう。
オロルはちらと龍の娘を見た。石が尽きる前に戦力を削ぐか――そう考えて振り向けば、娘は両手を突き出して構えていた。
「……なんじゃ……?」オロルは眉を顰める。
龍の娘は一見して合掌の手を前方に突き出す体勢だが、よく見れば両手は逆さに捻り、甲を合わせるようにして指先を伸ばしている。空間の一点に向けて力を込めている様子だった。時の流れを絞っているため、これから何をするのかはまだ判然としないが、これまでの禍人が漏れなくそうであったように、何かをしでかすつもりだということはわかった。阻止するのが賢明だろう。
オロルは時の流れを堰き止め、わずかに躊躇いながらも柱時計をセリナに向ける。ウツロにとって大切であろうこの娘を手に掛けるのは気後れするが、術式を破壊するために最大火力をぶつける覚悟だ。
「慈悲は尽くした。すまんが消えてもらう」




