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最後の異世界転生譚 ――Echoes Beyond the Aurora Manuscript――  作者: 莞爾
❖第三部❖  真理編 16 汚れた血

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132話 後悔なんてさせない

 彼の立てた策はこうだ――


 まず問題として、マハルドヮグに入山している者を攫い出すのは困難を極める。そのうえ長女継承は瀕死の身で自力で歩くことさえままならない。現状では継承者の娘三人を救い出すことはほぼ不可能であった。ならば謀叛を起こしたウツロが神殿に対し奇襲を仕掛け、その姿を衆目に晒すことで威圧を行うことにした。

 目的は単純。『この戦役がまだ終わっていない』と印象付けることである。それによって蚩尤の魔の手が継承者に及ぶのを避けることができる。


「……ですが、龍人は生き残りの兵が足りません」


 乾いた声音でハラヴァンは言う。当然龍人の兵を殺したのは他でもない目の前のウツロであり、これからウツロが助けようとしている継承者達なのだが、そこに対する感情を排して淡々と状況だけを添えた。


「残存する兵力でここから仕掛けるつもりはない」ブーツクトゥスの目は終始ウツロに向けられていた。「あくまでも『終わってないと印象付ける』だけだ」


 双方に兵力の余裕はない。緊張を高めることで神殿は否が応でも警戒体制となり不審な動きに目を光らせる。翼人は継承者に手が出せなくなるだろう。急場凌ぎでも助け出すための時間を稼げるという算段である。


「しかし奇襲と言ったって、今から走って何日かかる」


 ウツロは問う。塔から神殿までの距離は馬の脚で早くても七日を要すると考えていた。単騎で走るなら馬の替えもないのでさらに遅くなる。なら自分の脚で休まず走り続けるとしても、やはり間に合う距離ではない。道中では神殿からの兵が道を阻むこともあり得る。


「空を飛んでいけ」


「どうやって」と言いかけ、ブーツクトゥスの目線がセリナに向けられたことに気付く。


「ニァルミドゥに龍体術式を受けてもらう……翼があれば間に合うはずだ」


「なんだと……」


 龍体術式は人を災禍の龍へ変える術式、おいそれとやっていいものではないはずだ。


「準備って……このことかよ……!」ウツロは怒りに拳を固めてブーツクトゥスに迫る。「人の妹をなんだと思ってんだ!」


 襲いかかる拳をブーツクトゥスは大きな手で受け止め、もう片方の腕から振りかぶった二撃目も握りつぶし、そのまま押さえ込んだ。二振を越える巨体が覆い被さり、ウツロに迫る。


「お前さんは選べるだけ恵まれていることにいい加減気付け。この世界は過ちを繰り返し、もうどうしようもないところまで来ているんだ。

 継承者を助けるか見捨てるか、妹を龍にするかしないか、どちらかしかない」


「く、そ……!」


 抵抗は通用せず、ブーツクトゥスは睨み下ろして手を離すとウツロから離れた。腕を組み、返答を待つ。


 ウツロは震える拳をじっと見つめた。

 指を開き、また握る。逡巡しているのがよくわかる。

 そして強く拳を握り、ブーツクトゥスへと顔を向けた。


「……だめだ。やらな――」


「やるよ」セリナは決然と繰り返す。「私はやる」


「セリナ……でも、」


「私の体は私のものだよ。決定権は私にある。今重要なのは蚩尤の野望を砕くことでしょ。敵だった継承者達を助けるなんて気乗りはしないけど、そうも言ってられないわけだ」


「……すまない」


「安心しなよお兄ちゃん。後悔なんてさせない」


 勝気な表情で笑みを作るセリナの姿にウツロは感謝した。

 妹の体に不可逆の変化を伴う選択と継承者の命運を天秤にかければ、後悔すると分かっていても妹が大事だった。それがセリナ自身の意思によって選択がなされたことに助けられたのだ。

 何より、決断するセリナの姿に、親を事故で失う以前の面影を見たように思えた。心を病んでしまう前は竹刀を携え稽古に励み、男勝りな即断即決の意思があった。


「私の体はとっくに龍なんだ。むしろ無かったのが不思議なくらいだよ」


 茶化した物言いにハラヴァンは生真面目に応える。


「それは私の落ち度でしょう。

 君の絶望の形が捉えられなかったために、ユラと同様の不完全な覚醒になってしまいました。ですが今ならば、翼を授けることくらい容易い」ハラヴァンは懐に忍ばせていた喞筒そくとうを取り出す。


「……そういうことね……」セリナは腹立たしげに腕を差し出す。


「二本目が必要とは、君は本当に傲慢です」これはハラヴァンなりの皮肉か、少し笑みが見える。「ご安心くださいウツロさん。此度の龍は災禍にあらず、人の姿を維持しましょう」


 こうして龍体術式を受けて翼を手に入れたセリナと共に、ウツロは空を駆け抜け神殿へ飛んだ。アーミラの灯を救い出すに至る。


 その後、ハラヴァン達一行は塔から前線へ向かう地下道を進んでいた。蚩尤の野望を砕くため、人目を避けながら水路を北進している。向かう先はもちろん神殿である。


 ウツロとセリナは道すがら神殿の状況をブーツクトゥスに伝え、次女継承の灯を強奪するに至った経緯いきさつを説明した。


「なるほど、アーミラ様が濡れ衣を着せられたのか……」


「俺のせいで危うく処刑されるところだった」


「罪状は神殿側の建前だろう。アーミラ様を捕える理由をつけて、ラヴェルは奥之院へ隠すつもりだったと見ていい」


奥之院おくのいん?」


「ラヴェル一族の棲家だ。入れるのは神族と、限られた近衛隊の数人だな」


「でも……アーミラは継承者だぞ? そんな搦手を使わなくても女神と神族同士で婚姻でも結べばいいだろうに」


 腐してこぼしたウツロの言葉。

 ブーツクトゥスは顎髭を撫でながら考える。


「……確かに、疑問だな」


 謀叛を起こしたウツロと次女継承は繋がりがないのだから、裏切られた側の娘として神殿は迎え入れればいいはずだ。優しく慰め、終戦の褒美でも与えて神族と友好を築けばいいはず……実際、長女ガントールと三女オロルにはなんのお咎めもないようだった。なぜ次女アーミラ一人だけ捕えようとしているのか……。神器を失ったことに対する責任を糾弾する意味はなんだ? 神器は武器である以上、戦闘で傷つくのは当然想定されるべきであり、天秤剣はウツロに奪われたとしてもそれを責められるのはガントールであるはずだ。天球儀の杖を破壊されたアーミラが責められるのは筋が通らない。


 ――ラヴェルは何を考えている……? ここにきて見えなくなってきやがった……。


「それで、これからどうするの?」


 セリナは問う。四人は暗く湿った地下の水路を辿って神殿に向かっているものの、辿り着いた後のことはまだ何も決まっていない。成り行きで寄せ集められたこの四人では利害こそ一致しているものの目指すべき目標がまるで違うのである。このまま揃って移動することに意味はあるのか? セリナはそれを訊ねていた。


「俺は神殿に戻る。あんまり留守にもできないんでな」ブーツクトゥスは言う。


「私は一度前線の様子も見て回りたいですねぇ」こちらはハラヴァン。「少し遅れてから勇名に紛れて神殿に忍び込みますよ」


「そんなことができるのか? 禍人は結界を越えられないだろう」


 ウツロの疑問にハラヴァンは自嘲するように口角を吊り上げた。


「私には通用しません。ブーツクトゥスと同じようにもう一つの顔がありますから。……先に潜り込みますが、ニァルミドゥは地下の私室を覚えていますか」


 セリナはこくりと頷く。


「……では全てが終わった後に、そこで落ち合うとしましょう」


 ハラヴァンの指示にブーツクトゥスが続けた。


「二、三日すれば次女継承の身柄を捕えるために兵を出す。俺がそうする。手薄になった頃合いを見て二人は攻め込め。

 地上ではお前さんを捕えるための戦力も相当数出ているだろうからこのまま地下を進めよ。水路はスペルアベルまで続いてるから掻い潜れる。その後は空を行け」


 なるほど。と、ウツロは会話の中から全体の動きを理解した。


 つまりブーツクトゥスは神殿に何食わぬ顔で帰還し、ザルマカシムとして振る舞いアーミラ捜索に兵を外に出す。

 ハラヴァンは前線を経由した後で神殿に忍びこみ、俺とセリナが奇襲をかけた裏で蚩尤に攻め込む。ガントールとオロルを連れ出した後、地下に身を隠して合流するということか。


 地下水路の分岐を前に、ハラヴァン、ブーツクトゥス、ウツロとセリナはそれぞれの背を見送り別れた。

 ザルマカシムが設定した三日間という束の間の暇は、暗い水路の中であっという間に過ぎていった。

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