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最後の異世界転生譚 ――Echoes Beyond the Aurora Manuscript――  作者: 莞爾
❖第三部❖  真理編 16 汚れた血

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131話 殺するは蚩尤

「なんだよ……なんで、なにも言わない」


 ウツロの不安げな声に、ブーツクトゥスは重い口を開く。


「そうか……知らないんだな」


「え……?」


「ずっと待っていたんじゃないのか?」ブーツクトゥスは心に問いかける。


「百年前――あなたは待っていたのでしょう?」これはハラヴァンの言葉。


 出征式典を控えた夜明けにも、ブーツクトゥスは――ザルマカシムは百年前について訪ねていた。全く同じ問いかけだった。


 『百年前の記録を読んだことがある。……なんで暴れたのかはわからないが、現れなかった次期継承者と関係があるのか? ……あの時何があったんだ?』


 ――まさか……そんな……。


 ウツロはふらつくように後退りし、膝を突いた。意識が遠のく。

 思考がひやりと凍りつくのを感じていた。同時に炙られるように熱かった。意識の隅にずっと身を潜めていた宿痾しゅくあが疼き始めたみたいだった。


 ――ひゃくねん……百年、前……。


 当代と先代には二百年の空白がある。まさに継承者不在の年。


 ウツロは弛緩した腕を石畳の床に垂らし、首は暗い天井を見上げていた。思考はある一つの真実へと辿り着き、惨たらしい歴史の傷跡に触れてしまっている。


「……俺は……ずっと待っていた。

 継承者を待っていた。現れるはずだった、五代目継承者たちを……」


 ハラヴァンとブーツクトゥスは頷く。

 セリナは少し離れた場所から心配そうにウツロを見つめていた。。


 ウツロは糸をそっと手繰り寄せるように声を紡いでゆく。縫い合わされたとばりが開かれ、その先に待つ真実の姿が顕になっていくのを感じていた。


 ――俺の心を壊した孤独……。だが、この孤独が誰かの悪意によるものだとしたら……。


「……結局、神殿には、誰も来なかった……。死産と伝えられ、この代は継承者不在となった。

 俺にとっては唯一の、長い孤独を耐えるための、希望だった……だから、俺は気が狂いそうになって、……いや、違う……気が狂って、暴れたんだ」


 人の精神では耐えられない不死の時間。あまりに虚しい待ちぼうけの果てに夢見た待人との出会いは叶わず、ウツロは心を壊したのだ。

 セリナは兄の境遇を知り、側へ寄って背を支えた。微かに気を取り戻したウツロの首がブーツクトゥスに向いた。


「……本当はいたんだな。……そういうことだろ……」


「そうだ。出征式典の日、俺はお前さんに訊ねたな。『なんで暴れたのか』って、百年前の真実をお前さんが知っていて、ラヴェル一族と争ったのなら、きっとこちら側だと考えたんだ」


「そうか……ブーツクトゥス。お前は始めから、この世界をただすために暗躍していたのか……。

 俺は沈黙した。二百年の月日に心をほとんど失っていたから……」


「誰もお前さんを責めはしない。ばらばらに封印されて正気を保てる奴はいないだろう。……それに、今はここにいる」


「そう……悪いのはあなたではない」ハラヴァンは強い口調で言う。「するは蚩尤……あなたが邪魔になると見れば蔵へ封印し、現れるはずだった継承者嬰児を攫い、なにをしたか……もはや皆まで言う必要もないでしょう」


 真実はあまりにも残酷すぎる。

 百年前、蔵に封印されたあの時、神殿は許されざる悪事を働いていた。


 ウツロは己の無力に打ちひしがれ、床に手をついて黙り込んでしまった。誰もかける言葉が見つからず、セリナは困惑してブーツクトゥスとハラヴァンを交互に見やる。セリナはまだこの世界に迷い込んでから日も浅く、彼らの会話全てを理解できたわけではないのだ。わかっているのは蚩尤という真の巨魁きょかいが、この世界を大きく歪めてしまったと言うこと。そしてその歴史に二百年加担していた兄が、正義を失ってしまったということ。


 セリナにとって、それだけわかれば充分だった。


 元の世界での兄は、常に懸命けんめいだった。弱者に手を差し伸べ、苦境にもめげずに立ち向かい、静かに世界と戦っていた。……そんな兄が道を見失っている姿を見ているだけで辛かった。


「……本当に、百年前の継承者は捕まったの?」


「本来の五代目継承者は、神殿の記録では存在しないことにされている」ブーツクトゥスは言外に含みを持たせ、代わりに前線の事情について触れた。


「『勇名』という称号は二百年前にはなかっただろう。この称号は、継承者不在の全線を支えた戦士に授けられたのが始まりなんだ。継承者不在の前線の負担を戦士に丸投げした見返りがこれだ。……吝嗇けちなもんだろう」


 周り巡ってその称号が俺を真実まで導いた。そうブーツクトゥスは語るが、ウツロの心を慰めるには至らない。

 そもそも、慰めの言葉などいらないのだ。ウツロは己の無力を悔い、怒っていた。


 ハラヴァンは手を差し伸べて発破をかけてみせる。


「不都合は下民に押し付け、自らは享楽にふける。蚩尤の本性は充分理解頂けたでしょう。

 さぁ、立ちなさいウツロさん。我々龍人は戦闘に敗れても、戦争には勝たねばなりません」


 そしてセリナ――ニァルミドゥに向けて、「今度は君の番ですよ」と言った。


 「『龍人の由来』と『蚩尤の秘密』――どちらも重要な情報である。そして、それと引き換えに兄妹の過去を明かす約束だった。





 失われていた真実を知ったウツロは神殿を襲い、アーミラの灯を手土産に龍人の領域に舞い戻っていた。


 継承者の忘れ形見――或いは神器ならざる戦闘魔導具であるところのこの鎧が災禍の龍討伐の瀬戸際で見せた謀反むほんと、その後の奇襲。次女の灯を奪い去った事件は、神殿内外に早馬の伝聞として駆け巡った。


 受け取る者達の反応は其々《それぞれ》で、全く予期せぬ出来事と顔を青くする者あらば、初めから信用していないと掌を返す者もいた。いずれにしろこの鎧は神殿の管理下にある所有物で、同道を命じたのは帝である。当代戦役も終わりを迎えたと思っていた矢先に起きた前代未聞のこの事態に、次なる指示がいつ届くのか各国は固唾を飲んで見守っていた。今ごろ神殿は混乱していることだろう。それこそがザルマカシムの、いや、ブーツクトゥスの目論見である。

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