129話 その冒涜的な知性が、私とあなたを結んでいる
「……それでも身体の特徴が父母に似ていれば、どうしたって愛着が湧くだろう? そうやって間引かれなかった子がきちんと働き、健康であると理解されたなら、受け入れられたはずだ」
「そうですねぇ……混血が他の種族と優劣に差がなければ、人々は受け入れたでしょうねぇ」
ハラヴァンは口元に笑みを浮かべるが目は暗く翳っていた。察するにそうはならなかったということだ。
龍人が人より劣る――というわけではないだろう。
「特別な能力を持っていたんだね」と、セリナ。
「はい……獣人に備わっていた類稀なる体力の優位と、魔人、賢人に備わる魔呪術の才……本来一人に一つあれば良い能力……混血は本来持ち合わせることのない二物を授かった」
なるほど……と二人は理解する。なんと難儀な……。
子間引きを免れた混血の子供に待ち受ける受難は属する民族がないということの他にもう一つあるのだ。ハラヴァンが『血』と呼んでいるのは単なる血潮のことではない。この世界に科学や生物学などと言った学問は存在しないが、言い換えれば『遺伝』と言い換えて差し支えないだろう。
血を掛け合わせるというのは、遠い遺伝子を持つ親それぞれの優れた能力を顕性遺伝させるということ。三種族は固有の特徴が強いため混血による顕性遺伝も色濃く出る。実際、龍人は長い戦役を三種族と互角に争うだけの優れた才能を有している。
混血児は間引きを免れても人の輪に馴染めず、白い目で見られ蔑まれることとなった。他の種族より劣った外見を持って生まれ、しかし才能は優れてしまっている事実が反感を買ってしまうのだ。純粋な血を持つ者は劣等感をくすぐられ不満がたまり、混血の者は理不尽な迫害に憤る。
……だがあるとき、この迫害を免れた稀有な一族が現れることとなる。
「貧民ならともかく、生活に余裕のある者なら我が子を簡単に間引きはしないかもしれない――」
ウツロはこの時点でハラヴァンの語る内容が真実に即していると疑わない。
魔呪術に馴染みのあるこの世界の住人であれば龍人の由来がまさか三種族と地続きにあるという事実を受け入れられなかっただろう。それこそ元いた世界でも人類の祖先が猿であるという事実を長く否定し続けたように、嫌悪の感情から論理を無視して拒絶してしまうのだろう。
信仰に篤い者ならば「ラヴェル一族は神の遣いであり、天からやってきたのだ」と信じて疑わず、混血という説を一蹴したに違いない。
しかし、ウツロもセリナも異世界からの迷い人だ。混血や顕性遺伝といった知識をすでに有しており、まさに『異なる尺度』からハラヴァンの説が真実に触れていることを理解できていた。
その上でウツロは、話題を次へと掘り下げる。
「――迫害から逃れ、寵愛を受けて育った者がいてもおかしくはない」
ハラヴァンは投げかけられた疑問に待っていましたと目を輝かせた。
「その通り。生活に余裕のある上流層の一族からは、迫害を免れた龍人もいたでしょう。そういったごく僅かな混血の中に、翼を持つ珍しい混血が生まれました。今の蚩尤……ラヴェル一族ですねぇ」
上流層ということは、親の代から才能が秀でているということだ。
当然、その家系から産まれた混血児もより一層の才能を宿すことになる。
「神族として崇められるに至ったラヴェル一族には、他の混血と一線を画す白く美しい翼を備えた外見と、その魅力を底上げするもう一つの恵まれた才がありました――あえて言葉にするなら、『巫力』とでも言いましょう。
恵まれた外見を巧みに扱い人心を惹きつける話術を駆使し、翼人を名乗ることで他の混血と線引きした。……いつしか自らを神と騙るようになったのです」
「それって……つまり蚩尤は、数ある龍人の掛け合わせの一つってこと?」
セリナの借問にハラヴァンは首肯した。
ラヴェル一族は龍人の迫害から逃れ、言葉巧みに彼我の線を引くことで新たな種族としての地位を獲得した。正体はただの人間であるにも関わらず、巫力を用いて自らを神の遣いと宣ったのである。
『その神々しさは目を潰す』とまで口伝される天帝の一族は、なんの神性も超常も持ち合わせていないのだ。……私達が尾を持つように、角があるように、翼があるだけ――ハラヴァンはそう語る。
「神殿でふんぞり返る翼人は神の使いではない。そして迫害された我らの体が禍々しいはずもない。禍人ではなく龍人と自らを名乗ることに何の僭称もないのは自明の理であります。
この姿は獣人、魔人、賢人の血が混ざる事で形作られる……自然な交配種族なのです。斯様に虐げられ、棲家を追われ、神殿に叩頭く者たちから蔑まれるようなことは、あってはならない。えぇ、断じて」
これが『蚩尤の秘密』……なるほどまさに貪欲な梟。龍人がそう揶揄して怨む気持ちもよくわかる。
こうしてハラヴァンが語った『龍人の由来』と『蚩尤の秘密』は、当初ウツロが予想していたよりもはるかに重要な事柄を明かすものと知り、それこそ混血のように混じり合って切り離すことのできない血の螺旋は憎悪と悲劇の連鎖を描いてみせた。光と闇の渦はこうして生まれ、長きにわたる戦役となったのだ。
しかし、ウツロはまだ全てを知ったわけではない。梟と蛇の始まりは理解したが、ハラヴァンの持つ知識の深淵はこれで全てではないだろう。
「『楽園』や『塔』については知っているのか?」
「ある程度は」ハラヴァンはやや得意気な表情をした。「ですが答える前にウツロなりの考えを開陳していただきたいものですねぇ」
気安く名を呼んだハラヴァンに対して内心動揺したが、てっきり取引にないことだと断られると思っていただけにその反応は好ましいものだった。つい先程まで敵対していたもの同士、一応の警戒は崩さずに、ウツロは自身の解釈を話すことにした。
神殿と龍人のそれぞれの信仰の聖地、楽園と塔は普通神殿と禍人領の対極に位置すると考えるだろうが、ウツロはその聖地が同じ場所を示しているのではないかという仮説を語った。今三人が集まり、立っている場所こそが件の塔であり、逃げ出した三種族と翼人が楽園と呼ぶ地なのではないか、と。
ハラヴァンはその仮説に概ね同意した。まるで薫陶を受けたようにしみじみ目を閉じる。
「我らを生み出した主をも疑うその冒涜的な知性が、私とあなたを結んでいる……」ハラヴァンはそう呟き、「……仰る通り、この地は遥か昔に楽園と呼ばれていた聖地です」と答えた。その口調は交誼の友のように穏やかである。
ハラヴァンにとって、ウツロは理解者たりえた。
まさか戦闘魔導具が、肉体を持たない異界の霊素が、世の理をこれほど深く知悉しているとは考えもしなかった。
これまで自身が展開する論について来れる者など碌にいないばかりか「気狂い」と言い捨てられて憚りないハラヴァンは、敵味方の関係を抜きにウツロを評価し、心を開き始めていた。……もし出会い方が違っていれば、此度の戦役の勝敗は大きく違っていたのかもしれない。




