128話 異なる尺度
ウツロとセリナが神殿へ向かう少し前のこと。
龍人の根城である塔の底にて、ハラヴァンは『龍人の由来』と『蚩尤の秘密』を語った。
この二つの事柄は歴史の中で密接に絡み合い、失われていた真実へと通じるものだった。
それはウツロにとって、足りなかった嵌め絵の穴を埋める決定的な鍵となった。
「人類はおよそ三つの種族に分かれています」
ハラヴァンはそう語り始めた。
「そしてそれぞれには固有の長所がある」
獣人種は体力。
魔人種は魔力。
賢人種は呪力。
この基本的な知識はウツロもセリナもすでに理解していた。元いた世界とは異なる特徴を持つ彼らについて、最低限の認識はある。
「次に、この世の神話において、突然人類の前に現れた種族が二つ。
一つは梟。今の蚩尤です。
一つは蛇。龍人種ですね。
神話では『梟』や『蛇』と呼ばれていますが、ご存知のとおり、どちらも人類に違いはありません。当然、龍人は龍人の親から生まれます。翼人もそうでしょう」
ハラヴァンは確認するように言った。ウツロとセリナは頷く。
「えぇ、そうです。人類は子を産むことで命を繋ぎます。無から生じるわけでも、闇から這い出るわけでも、まして天から降りてくるわけでもありません」
二人の頷きを見届けると、ハラヴァンはゆっくりと次の問いを投げかけた。
「しかし、ならば、歴史上に突如現れた龍人と翼人は、元を辿ればどこから生まれたのでしょう?
龍人は龍人の親から生まれ、親はそのまた親から……血脈を辿れば、龍人の最初の一人がいるはずですねぇ」
おそらくここからが本題だろう。
ウツロは意識を集中させた。
「その最初の一人はどうやって生まれてきたのか……まさか、無から生じた? ……そんなはずはありませんねぇ」
勿体ぶったハラヴァンの問いかけにウツロとセリナは互いを見合い、さして悩むことでもないと答える。
「異なる種族間の血を混ぜたんだな」
ウツロの言葉に、セリナも同意して頷く。
「とても慧眼ですねぇ。いやはや驚きました」
まさか一度目で正答を導き出すとは思わなかった――と、ハラヴァンは心持ち目を開き、手を叩いて二人を讃えた。
「……そんなに驚くことか?」
混血という概念は、ウツロたちのいた世界では珍しいものではない。
肩透かしを喰らった気分だったが、話を聞き進めるうちに理解した。
世界が違えば、文化も価値観もまるで異なる。
元いた世界の常識が、この地では通用しないのだと。
「驚くことですよ。もし答えるのがあなた方でなかったら、きっと百人に聞いたってこの答えには辿りつかないでしょう」
ウツロは実感が湧かず、おだてられているのではないかと肩をすくめて首を傾げる。そして「真面目に聴く価値があるのか」とセリナに視線を送る。セリナの方も戸惑うばかりだ。
「ふむ……、お二人はどうも不思議ですねぇ。この世界の有り様を異なる尺度から量っているみたいです」
その言葉にウツロはどきりとした。まだ明かすつもりはないと秘めていた真実を、兄妹二人が異世界から来たということを、鋭く掠めてみせたからだ。
ハラヴァンは決して馬鹿ではない。
今語っている話が、単なる与太話ではないと視線が伝えている。
「異なる種が現れたとすれば、大概の者はこう考えます。
『魔呪術で作り出された』、あるいは『天上の主が生み出した』のだと。
種族違いの血を混ぜるという発想は、普通ありえないのですよ」
「なぜ――」
ウツロはつい溢すが、失言だった。
「なぜですって? 二百年生きてきてわからないのですか?
蚩尤が掲げた戒律ぐらいはご存知でしょう、……あなたはこれまで、混血の人を見たことはありますか?」
――そうだ。
自らの愚かさを、ウツロは思い知る。
ハラヴァンの口調が厳しくなるのも無理はない。二百年間、一度だって混血の者に出会っていないことに気付くべきだったのだ。
元いた世界では、民族や国の血が交じり合い、それを戒める法も存在しなかった。
しかし、この世界では――
ウツロの脳裏に、ラヴェル法典の戒律が蘇る。
『各々の生まれ持ちし血統と種を尊び、隣人を敬ひて憎むことなかれ。
されど、異なる種族の血を交ふること、永く禁ぜられし掟なり。』
この世界では、種族の血が交わることは、決して許されなかった。
だからこそ、混血の存在を知る者すらいないのだ。
それを『なぜ』などと問うたのは、墓穴を掘る愚行だった。
ウツロが種族に関して浅学だったのは、元いた世界の尺度で見ていたからだ。
例えば獣人を見たとき、ウツロの解釈は『半人半獣』となる。
その時点で、異なる生物の血を混ぜた亜人と無意識のうちに捉えてしまう。
魔人も、賢人も、同様だった。ウツロの目から見れば純粋な人間から離れていると見てしまうのだ。
そして、肉体を持たなかったことも、大きな要因の一つだ。もしウツロが――いや、アキラが――身体ごとこの世界に迷い込んでいれば衣食住の細かな差異にこれほど無関心でいられたはずはない。性に関する諸問題への理解だってあったはずだ。
「獣人と魔人の間に子が生まれたら、種族はなんでしょう?
魔人と賢人の間でも賢人と獣人の間でも構いません。
その子は、どの種族に分類されるのでしょう?」
ウツロは、ハラヴァンの意図を理解し始める。
答えたのは、セリナだった。
「血が混じった別の種になる」
「そうか、ハラヴァン。お前が言いたいのは……龍人も翼人も、元はただの人間だったということか」
「理解が早くて助かります」
龍人も翼人も、元は三種族の中から生まれた。……由来が同じであれば、この世界で突然姿を現した梟と蛇の意味も分かる。ハラヴァンが言いたいのは、そこに悪意がなかったということ。生まれてきた混血に罪はないということだ。
遠い昔、どこかの誰かが、異なる種の異性に惹かれることもあっただろう。まだ戒律もなかった時代かもしれないし、あったうえで逃れられぬ恋に焦がれた二人がいたのかもしれない。異なる種同士で育まれた愛が混血を産んだ。
掛け合わされた親の特徴が子に現れ、翼を持つ者、尾を持つ者が生まれた……これが混血種、『龍人の由来』である。
「自然発生したのなら混血は少しずつでも数を増やしていくはずだ。初めは受け入れられなくても人々は徐々に慣れて、いつかは受け入れるようになるはずだろう?」ウツロは問う。
「見た目は種族を選り分ける重要な要素です。背丈や肌の色、耳の形、頭角の有無……混血の知識を持たない者にとって生まれてきた子の姿は悍ましい異形に映るでしょう。どっちつかずの半々な外見、馴染みのない容姿で産まれた子を目が開かぬ嬰児の内に間引くことだって珍しくはなかったでしょうねぇ」
決して裕福とはいえないこの世界の生活水準では、健康体という確信がない赤子を育てる余裕はないだろう。農民であれ職人であれ基本は家族代替わりで生活を営むのだ。子は将来の労働力として期待され産まれてくる。外見はその重要な判断基準となり、混血児の特異な容姿は一見して健康体とは判断できず間引きの対象となる。……だからこそ混血に不吉な意味合いが付与されていった。
安定して食い扶持を確保する上で種族間の無用な交配が忌避されるのは当然の流れ……この世界が歩んだ歴史がウツロにもなんとなくわかってきた。




