126話 ならば帝も耄碌じゃな
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幌に揺られ続けた三日三晩の帰路を継承者達は噛み締めるように過ごし、神殿へと辿り着いた。
山行の途中では、災禍の龍の放った熱線の――正確には齧り取られた――形跡を垣間見る場面もあり、迂回することを余儀なくされたが、幸いにも神殿そのものに被害はなかった。白い門扉は始まりの日と変わらず、冠木の上から顔を覗かせる女神三柱の巨像もまた今日も厳しく外界を睥睨している。
アーミラは顎を上げて石像に視線を向け、被っていた頭巾がずり落ちて肩に掛かるのも気にせず眺めていた。
――なんだか災禍の龍みたい……。
神聖も畏怖も、そう変わらないものなのだろう。陽を浴びて白く輝く姿も、像全体の大きさも、龍とよく似ていた。違うのは貌に目鼻がきちんと揃っていることだ。それだけの違いがあれば対話可能な知性さえ見出せる。
アーミラはもう、巨像を恐ろしいとは思わなかった……本当に恐ろしいものを知ってしまったから。
「よかった、まだ燃えとるな」
オロルは側に立ち、像に灯された焔を指差す。示された方にアーミラは目を凝らした。そこには赤々とした小さな灯火が長女の像に収められて燃えていた。ガントールの心臓である。
出征式典の折に執り行われた儀の一つ、『心像灯火』――神殿に住む者達の重ね合わせた大祈祷によってアーミラ達の命は非死となった。治癒力を付与され、肉体の急所となる心臓を神殿に預けることで生存率は底上げされた。が、不死には至らない。
前衛として幾度となく死線を潜り、命数を消耗したガントールは祈祷による治癒が底をついて倒れてしまった。失った両足も生えてくる気配がない。
像に収められた三つの焔を見比べてみると、確かに火勢には違いがある。それぞれが鞴で風を送られるように一定の律動で揺らめき、これこそが心臓の脈拍を意味しているのだろう。ガントールのそれは脈拍も弱く獣人の図体とは正反対に小さな火だった。次に小さいのは青みがかったアーミラの焔で、オロルの黄金色の焔は盛んに燃えてゆらめいていた。
「結局一度も目を覚さんかったが、あれだけ燃えておるならきっと心配はないじゃろう。ここには優秀な治癒師もおる」
さぁ、と中へ促すオロルを追いかけるようにアーミラは神殿の門を潜るが、一歩踏み込んだと同時に生ぬるい風を鼻に受けた。微かな身の危険を感じ取って前方に待つ神人種の列を見つめる。
歩みを止めたアーミラの様子に気付き、なにやら芳しくない状況を察してオロルは落胆する。
「……なんじゃ、歓迎してはくれんのか」
「いいえ歓迎致します。オロル様」
そう応えたのは白衣の列の中央に立つ女、神族近衛隊隊長のカムロだった。
「……此度の出征、御大義でありました。継承者の滅私奉公あってこその勝利であることを我々は確信しております」
淀みない言葉の割にその表情には戸惑いがある。久しぶりに見たカムロの姿が記憶よりもどこか危うく見えたことに、オロルは何かしら込み入った事情があると掬し不承不承に招かれるまま先へ進む。
後に残されたアーミラはその場から動かず、じっとカムロに対していた。出征前のアーミラであれば確実にオロルの後ろをついて離れなかっただろう。アーミラなりの成長ではあるが、強さの内に荒んだ心が表れてもいる。
「……用があるのは、私みたいですね」
「はい」
姿勢を崩さず堂々と白衣の隊列と向き合うアーミラに、密かにカムロの方がたじろいだ。後ろ手に携帯している細剣の柄を握り直す。
出征を見送ったあの日からまだ二月も過ぎていないというのに、目の前に立つ次女継承者はまるで別人のように感じられた。前線が人を変えてしまったのか、アーミラの元来の性格なのか……ふと思い出したようにカムロは他愛のない言葉を投げた。
「……随分と見違えましたねアーミラ様、記憶は取り戻されましたか?」
次女継承者アーミラは記憶を失くした少女だった。前線へ旅立つと決めたのも記憶を取り戻す手掛かりを求めてのこと。弱々しい雛鳥のような少女は、思えばそのときから羽を広げる予兆があった。
「全てとは言いませんが、それなりには取り戻せました。……代わりに失ったものも少なくはありませんけれど」
ざわりと隊列が緊張に身動ぎをして、アーミラは目を細める。
そしてカムロに問いかけた。
「なぜ敵意を向けられているのか、私にはわかりません」
当然の問いを前にカムロは真摯に頷き、隣に立つオロルも聞き逃すまいと見つめる。納得のいく答えが返ってくるのだろうか……。
カムロは覚悟を決め、真っ直ぐに応えた。
「前線での働きを我々は常に監視しておりました。
アーミラ様には先代忘形見である戦闘魔導具ウツロの乱逆を幇助した疑いがあります」
「は……?」オロルは失望したようにカムロを睨む。「何を言っておる」
「それだけではございません」カムロは続ける。「龍の光輪から現れた禍人を取り逃がし、自身の天球儀の杖だけでなく、長女継承ガントール様の神器と両足も喪失しました。これらの過失は故意によるものと考えられます」
オロルはわなわなと扼腕に震える。神族近衛隊の隊長ともあろう者が世迷言をよくもぬけぬけと……!
「よってアーミラ様には、戦闘魔導具ウツロの乱逆とその幇助。そして神器の喪失について責を問うため、身柄を拘束させていただきます」
カムロが言い終わると、白衣の兵が一歩前進し、アーミラを囲む輪を縮めた。
「待て待て待て!」
オロルはアーミラの前に駆け出して青褪めた顔で抗議する。
「なんも分かっておらん! こやつは首を切られたのじゃぞ!? ウツロの裏切りを幇助するわけなかろうが!!」
「身の潔白を証明するためにも、アーミラ様。どうぞ拘束に同意してください。抵抗せず従っていただければ手荒なことは致しません」
カムロに詰められ、兵はまた一歩輪を縮めた。オロルは予想外の窮地に汗が噴き出す。
――確かに潔白じゃ。アーミラを疑う余地もない。じゃが拘束されれば、いつぞやのように呪術を受けて眠らされ、洗いざらいに自白させられるじゃろう。そうなればアーミラは取り戻した記憶について語る。禍人種であるという事実が間違いなく明るみになってしまう! ……ならば拘束を受け入れるわけには行くまい……しかし、逃げ出すにも心臓は神殿につかまれておる……。
「待て! それ以上近付くなよ。わしの命令じゃ」
オロルは両手を兵の輪に向けた。手袋越しに刻印が光っている。三女継承の命となれば近衛隊の足も止まった。
「納得できん。血迷うたかカムロよ。お主はこの神殿一番の知の傑物であろう」
「これは帝の勅命でございます」
「……ならば帝も耄碌じゃな」
「無礼な!」
カムロは額に青筋を浮かべ、声を荒げた。
オロルは鼻を鳴らしてほくそ笑む。
「女神継承者の地位は帝と同等……無礼も失敬もないわい」オロルは胸を張って白衣共を睨む。「次女継承アーミラもまた帝と同等の地位に座する者と心得よ! ……勅命じゃろうが関係ない。『乱逆の責』も謂れのない冤罪じゃ」
息を呑み如何すべきかと板挟みに動けなくなる白衣の兵、左眄する視線を集めてカムロもまた沈黙してオロルを見つめる。




