124話 空の器
「でも、倒されたってことは最適解じゃなかった」ニァルミドゥは皮肉を口にした。
「おや」
「私が龍になっていれば――」
「もっと簡単に倒されていたでしょう」ハラヴァンが皮肉を返す。そして続ける。「言ったでしょう。あのときの最適解は、君がヨナハに食われること。暴食を司る六欲の欠落者こそ、世界を喰むにふさわしいのです」
「私は――」
「君は傲慢ですねぇ」
反論の隙を与えず、ハラヴァンは指をさす。
「傲慢は足を掬われる」
「そんなこと――」
「あるでしょう。ヨナハの苦しみを知らないのに、ぬけぬけとそんなことを言って。あれに耐えられる自信がお有りですか?」ハラヴァンの指が地下へ続く階段を指差した。そして指先は滑り、ウツロを指す。「君が龍になっていたとして、この鎧を倒せたとでも? あとで後悔することになったのでは?」
微かに怒りすら滲ませるハラヴァンの問いかけに、セリナは言葉に詰まる。
ウツロには知らぬことだが災禍の龍となったあの娘――ヨナハが身を置いていた環境を、責め苦を見たセリナには口が裂けても「耐えられる」とは言えなかった。結果的に今こうしてウツロの隣に立っているのも、ハラヴァンの采配の妙と言えなくもない。
しかし、ヨナハの尊厳を徹底的に踏み躙ったその口で、今度は擁護するとは。セリナはその振る舞いに戸惑い、黙ってしまった。
「そろそろ教えていただきたいですねぇ、ニァルミドゥ。ウツロとはどのような関わりが?」
「……兄だ」
「あに?」
「兄妹なんだ。私も今まで知らなかった」
表情を崩さなかったハラヴァンであるが、微かに目の下が痙攣した。
継承者の忘形見である鎧と柔らかな白い肌をもつ娘、似ても似つかぬ二人が兄妹と言われても理解できないだろう。
「……それは……鎧を操っている術者と君が、ということですか」
「術者はいない」セリナはウツロに視線を送る。本人の口から話をしてくれと言いたいようだ。
ウツロは前に立ち、言葉を継ぐ。
「俺は二百年前、この世界へ魂のみを召喚され、戦闘魔導具として今日まで戦ってきた」
ハラヴァンは首を傾げる。
「足りません。……足りませんねぇ。
ニァルミドゥはあなたほど長命ではないはず。それに鎧の肉体も、説明が足りません」
説明を求めるハラヴァンに、ウツロはどう答えるべきか躊躇った。
戦役に決着がついたとはいえ目の前の知将にどこまで開示して良いものか。迂闊なことを言えば、神殿に対して策を弄するかもしれない。
ウツロは慎重に言葉を選んだ。
「……この体についてはわからない。
何度も言うようだが、先代継承者に喚び出されたとしか言えない」
「喚び出される前は」
「人間の体を持っていた。そのときは……ニァルミドゥと兄妹だった」
「それが二百年前ということですか。ならニァルミドゥはなぜこれほどまで若いのです?」
「むしろ聞きたい」ウツロは下手を打つまいと切り返す。「俺の妹はいつからここにいる。なぜこんな体なんだ。龍人とはなんだ」
ハラヴァンは腕を組み斜に構える。問いに答えないウツロに機嫌を損ねたような態度だが、返答を渋りはしなかった。
「……出会ったのも目覚めたのも二月ほど前です。彼女はこの塔の地下深くで倒れていました」
ウツロはセリナに視線を向ける。ハラヴァンの言葉に偽りはないとセリナも頷きで応える。
「外傷もなく、まるで私が来るのを待っていたかのように目覚めたのです…… なんの感情も持たず、四肢も動かせず、既に器として完成していた彼女に、私は名を与えた」
「器……?」とウツロは呟く。これに答えたのはセリナの方だ。
「空の器。心を失くした人のことだよ。空っぽになった体に術を注いで……災禍の龍が生まれる」
セリナの目がウツロから逸らされていた。
気付かぬ兄ではない。
心を失くしていたのなら、やはりセリナは――
「元の世界に絶望したのか」
ウツロは真っ直ぐにセリナに言った。兄妹でしか分かり合えない話にハラヴァンは立ち入らず、静かに傾聴する。
「……そうなるね」観念したようにセリナは続ける。「ひとりぼっちで、どうしようもなかった……」
異世界へ迷い込むには、一度死ぬ必要がある。少なくともウツロはそう考えている。
何故、元の世界で生き延びたはずのセリナがこの世界にいるのか。ずっと気掛かりだった。……その答えは孤独と絶望ということか。
「だが、喚び出されるには門を開く術者の手引きがいる。俺が先代継承者の術式に巻き込まれたように、セリナも何者かに招かれなければ転移など起こらない――」俺は再びハラヴァンを睨むように見つめる。「――本当にただ見つけただけか? 召喚や、それに類する陣を構築したのではないのか?」
「いいえ」ハラヴァンはきっぱりと否定する。「神がかりの継承者三人揃ってやっと開く門なのでしょう? 私にできると思いますか?」
もっともな返答だが、継承者に対抗してきた知将だ、疑念は拭えない。しかし問い詰めたところで水掛け論にしかならない。ウツロは矛を収めた。
「それよりも、聞く限りではあなたもニァルミドゥも死を経験して召喚されたようですね。そのあたり詳しくお聞きしたいものですねぇ」
セリナはばつが悪い顔をして唇を噛み、ハラヴァンを睨む。
「言ってもあんたには理解できないことだよ」
「構いません。こちらだって龍人についてお話しするのですから、」ハラヴァンは頬に垂れた髪を一房指で摘み弄ぶ。「交換条件としましょう」
「結構だよ」セリナは拒否する。「龍人のことは私から話せばいい。あんたに話すことはない」
「寂しいですね」ハラヴァンは両手の指先をそっと合わせて悄気た態度をした。「信用を失って、私は《《孤独》》ですか」
「……言っとくけど、裏切ったのはそっちだから! ヨナハに喰わせた時点で信用してない。当然でしょ」
「では、蚩尤の秘密についてあなたに教えましょう」ハラヴァンはウツロに提案する。「山の頂に棲む忌わしい一族の秘密です。神殿と決別した今のあなたには、知るべき理由があるでしょう」
セリナはウツロの手を引いて上階へ向かおうとしたが、もう一方でハラヴァンはウツロの腕に縋った。
「次の百年も生きるであろうあなたは、真実を闇に葬ってはなりません。
ここで私の話を聞かなければきっと《《後悔》》するでしょう」
ウツロはその言葉に反応した。セリナを前にして忘れていたが、己の体は不死の鎧だと思い出す。
妹を優先し、他を蔑ろにしては、きっと道を誤るだろう。
そしてまた長い時間の中で後悔する――そんなのは御免だった。
「……わかった。先にお前の話を聞く。その内容によって俺たち兄妹の事情をお前に明かすか決める」
その言葉にハラヴァンは目礼を返す。知将はすでに確信があったようだった。
結論として、ハラヴァンが語った『龍人の由来』と『蚩尤の秘密』は世界の真実に迫るものだった。
引き換えとして明かす『転生の話』では安いと、そう確信させる情報だった。




