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最後の異世界転生譚 ――Echoes Beyond the Aurora Manuscript――  作者: 莞爾
15 焔を呑む

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122話 約束



 帰る場所を失い、鎧は龍の娘を抱えたまま荒地を南に進む。


 冷え固まった金属の肌が鋭い西陽を反射させて、辺りを金色に照らしている。

 その輝きは荒地の逃げ水となってゆらゆらと先へ誘う。


 今のウツロは上半身がほとんど人のそれになっていた。神器の日緋色金が災禍の龍の攻撃に溶け、奇跡にも似た偶然の作用により、板金と混じりあった体は皮下に神経を通わせていた。

 頭蓋骨のかおと金属光沢のある艶やかな上半身、そして腰からは鎧の重装という姿である。形態の変化により神性を高めたウツロは、もはや戦闘魔導具と呼べる代物ではなく、また、人ともかけ離れてしまっていた。


 既に二人は前線を超え禍人領に踏み入っている。二百年を超える年月を生きたウツロでも、流石にこの地に踏み入れるのは初めてのことだった。常時警戒に神経を尖らせるが、付近に敵の気配はない。


 西陽に焼けたウツロの腕の中、娘は熱の不快感に目覚める。

 覚醒を悟られぬように眼球だけを回して状況を窺い、唇を引き結んだ。……見覚えのある荒野だが、抱きかかえて歩く得体の知れないこの者は誰か――金属質の体を持つ男……まさかウツロか。


 抱えられた娘の視点からは男の頭蓋の顎下から鼻を欠いた横顔が見える。どうやらこちらが目が覚めたことに気付いていない――やるなら今か。


 娘は瞬発的な敵意を持って鎧の首に尾を巻きつけた。しゅるりと絡みついて体勢を崩しにかかる。ウツロはなんの抵抗も出来ず地べたに倒された。入れ替わりに立ち上がった龍の娘は、ねじ伏せるように尾に力を込めながら、素早く付近の敵影がないことを確認し、ウツロの肩を膝で押さえて首を絞める。


 龍の娘は瞳孔の開いた目でウツロに対した。


「仲間は?」


 娘は問う。

 言葉が足りていないとウツロは内心で思った。『仲間』とは継承者か、それとも他の禍人種のことを指しているのかわからない。いずれにしろ首を振るのみだった。


「……知らない」


「ここは龍人の領域だよ。なんでお前がここにいる? なぜ私を連れているの?」


 当然の疑問である。

 敵であるウツロは、私を殺す機会があったはず――娘はそう考えたのだろう。どこまでも怪しい鎧の存在を前にして、娘は首を絞める手に体重を乗せる。硬質な首はびくともせず真っ暗な眼窩の穴が睨みつけた視線を深く吸い込んでいる。

 力を込めた手の平の下で、ウツロの喉仏が上下に滑るのを感じた。発せられる声には些かの閉塞感もなくはっきりとしたものだった。真実を突きつけるような鋭さがあった。


「――兄だからだ」


「……は?」


 娘は慮外の言葉を聞き、理解できずに目を丸くした。

 多少なり動揺したのは、『兄』の存在に心当たりがあるからか。


 ウツロは続ける。


「お前の名はなんだ」


「答える義理ある?」


 娘は冷たくあしらうが、ウツロは言い当てる。


芹那セリナだろ」


 娘は、事態が呑み込めず固まった。

 名を言い当てられた狼狽が、力を込めた指先の震えに現れる。


「そうなんだろ」


 ぽっかりと開いた眼窩の闇が妹を見つめる。

 妹の顔は少しずつ事態を理解し始めたようで、敵意が薄まっていくのがわかった。


 彼女の揺れる瞳に宿るのは再開の喜びか、残酷な真実に対する怒りか。


アキラ……なの……?」


 ウツロは――アキラは力強く頷く。「病室のこと、覚えてるか? 番号は212。……『飯にでも行こう』って俺が約束したんだ」


 セリナはそこで初めて泣き出しそうな顔をした。唇を噛み、顎に皺を寄せてぐっと堪え、やり場を失った手がウツロの首から離れてわなわなと震えている。


「ごめん」


「……ほんとだよ」セリナは俯き、ウツロの上から静かに身を離して荒野に座り込んだ。「お父さんもお母さんも、お兄ちゃんも、みんな約束を守らないでいなくなって……すごく辛かった……なんでここにいるの? 今までどこに行ってたの?」


「……芹那こそ、なんでここにいる。その体はなんだ」


 兄としての声音が硬くなる。セリナは瞳に浮かべた涙も引いて、黙ってしまった。

 妹はあの日、俺の命に替えても守りおおせたはずだ。この世界にいるとは、どういうことか。


「俺はお前のことを助けられなかったのか……?」


「……違うの!」セリナは思わず否定するが、ならば何故ここにいるのかは言葉が出ない。


 語りたがらない理由が本人の中にあるというのなら……やはり、助けられなかったのだ。

 ウツロは心密こころひそかに落胆し、立ち上がる。


「話せるようになったら聴かせてくれ。今は先へ進もう」ウツロは手を差し伸べて、セリナを立ち上がらせた。「ここでの名はウツロだ。お前はこの世界でなんと呼ばれている?」


「……ニァルミドゥだよ」


「ニァルミドゥか……覚えておこう。

 もう事情は理解できるだろうが、俺は災禍の龍からお前を救い、神殿を、継承者を裏切った」


「うん」セリナは頷く。


「帰る場所を失ったので禍人種の根城を目指している。案内してくれるか?」


「わかった。……けど、『禍人種』って呼ばないで」


 釘刺すようにセリナは訂正を求めた。


「彼らは龍人種。蚩尤しゆうとは違う……不滅の種族だよ」





 セリナに案内を任せ、ウツロはさらに南へ進む。何度も振り返り、遠くマハルドヮグ山脈のある方向を眺めては、セリナの後ろをついて歩いた。

 地平線から射していた西陽がすっかり沈んで熱と輝きを失った頃、二人は丸くくり抜かれた縦穴が広がる場所に辿り着いた。


 龍の喰み跡とは異なる巨大な縦穴は深く、地上から覗く程度では底の様子を窺い知ることはできない。

 縦穴の入り口では、内壁に沿って螺旋を描く下り坂が見えた。

 その坂に差し掛かる手前で、セリナは顎をしゃくって先へ促す。


「思っていたよりもずっと近かったな」


「なにが? 根城が?」


 ウツロが頷く。

 セリナが言葉を続けた。


「まさか私たちの棲む国がまるまる地下にあるなんて思わなかったでしょ」


「あぁ。道理で見つけられないわけだ」


「この石窟は大昔は塔だったんだって。蚩尤しゆうが神の怒りに触れ、地底に塔を沈めた……その遺跡を龍人達の生きる拠点にしたんだよ」

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