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最後の異世界転生譚 ――Echoes Beyond the Aurora Manuscript――  作者: 莞爾
15 焔を呑む

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119話 何の慰めにもならんが

 これまでの足跡をなぞる馬の常歩なみあしに揺られ、オロルは後方に流れる景色を名残惜しむようにじっと眺めていた。終わりの見えなかった戦役も、過ぎてみればあっという間に思える。


 神殿から遣わされた幌に乗り、継承者は前線から帰還する。


 気付けば暑さは盛りを通り越して、肌を撫でる風もどこか涼やかに和らいでいる。戦に明け暮れた夏が終わろうとしていた。


 幌の荷台、日陰をつくる奥の方ではガントールが深く眠っていた。息はあるが傷痍は酷いものだった。

 数々の戦況では常に前衛を務め、ときに己の身を盾にして戦った。当代三女神の中で最も死を経験し祈祷の術式を使い果たした彼女は、龍に齧られた脚を治癒すること叶わず、あれだけ大きかった背丈も今ではアーミラより低くなってしまっただろう。


 幌の両脇に設けられた腰掛けに座り、オロルの向かい側でアーミラは項垂れていた。こちらはガントールと比べて治癒もまだ余裕があり、首の裂傷も失血もとうに癒えている。意識もはっきりとしているが……それ故に胸中に渦巻く複雑な思いに頭を抱えている。


 ――虚しいな。


 オロルは声もなくそう思った。

 腰掛けに胡座をかき、靴を失くして砂埃に汚れる裸足を手で擦りながら、世を憂うように幌の外の景色を見つめる。


 失ってしまった命は多い。

 流れる景色にだって、名も知らぬ戦士共の骸が転がっている。

 選択が違えば助けられただろう命……生き残ってしまった者にはその虚無が重くのしかかる。

 荒野の道はまだしばらく続く。オロルはうんざりして視線を掌に落とした。


 ――この虚無感が、わしらの求めた勝利なのか……。


 求められていた戦果は上げた。

 脅威となり得る禍人種の首を取り、災禍の龍を討伐。そして戦役によって無人となった前線の領土は神殿主導のもとで拡大され、国が興るだろう。五代目継承者は誰ひとり欠けることなく武勲を成し遂げたのだ。なのに……とても喜ぶ気持ちにならなかった。

 幾つかの気がかりが呑み込めぬ溜飲となってオロルの喉に引っかかり続けている。


「のぅ、アーミラよ」


 オロルは青藍の頭巾に向かって声をかける。


「……はい」


 しょげた様子のアーミラの声。俯いたままに顔は見えない。


「ウツロがここを去った」


 アーミラは返事をするのも辛いという様子で背を丸めた。喪失感にくれるようだった。

 彼は私の首を切り、裏切った。紛れもない事実だが信じられない――アーミラはそんな失意のなかにいる。


「心当たりはないか?」


 オロルの問いに、たかる羽虫を払うように何度も首を横に振る。


 当代継承者の中では主にアーミラが、ウツロと行動を共にしていた。勿論それは後衛であるアーミラの護衛をさせるためにオロルが意図して割り振ったところもある。しかし、それなりに絆を結んでいたとみえる二人でも、ウツロの裏切りは全く予想外だったとみえる。アーミラを切り捨て禍人領へ与する素振りなどオロルの目から見てもこれまでに一度だってなかった。


「お主は倒れ、その後のウツロの行動を見ておらんじゃろうが、わしは見たぞ」


「え……」アーミラは顔を上げる。


 目は赤く腫れ、酷い顔だった。


「わしが龍の光輪を砕き、その欠片が一つの玉となって中から小さな龍が現れた。尻から尾が生えた娘に見えたが、お主は見とらんか」


「わ、私は、詠唱に必死で、砕けた欠片は見てません……」


「そうか」無我夢中だったのだろうと考え、オロルは続ける。「ウツロはその娘を見て様子が変わった。突然お主の詠唱を妨害し、あげく首を切ったのじゃ」


「そんな……」


 アーミラの驚きの表情はめらめらと色を変え、目の焦点が離れた。

 ウツロが一目見てこちらを裏切るに値すると判断した龍の娘……アーミラは思い当たる人物はいないかと頭を巡らせるが、検討もつかない。


「私たちを裏切る理由は分かりませんが、尾の生えた女なら、集落を襲った者の一人ではないですか……?」


 そう応えるアーミラの声は怒りを押し留めきれず硬くなっていた。

 確かに、とオロルも思い出す。ナルトリポカ集落を襲った間諜は三人……その内の一人、ダラクという男は倒したが、残る二人はそれきり姿を見せていない。尾のある女と首魁らしき男という特徴は伝え聞いていることから、災禍の龍から現れた娘が同一人物である可能性は高い。


「……許せません……っ」


 アーミラは腹に据えかねた黒い感情に身を震わせ拳を握り、燃え盛る激情の炎は……不意に燻った。

 固めていた拳を弛緩させ、肩を落としがっくりと項垂れる。どれだけ怒ろうとも、今のアーミラは杖を……力を失ってしまったのだ。

 ずっと携えてきた神器も砕け、ウツロもいなくなってしまった。気力も底をついて裏切りを裁くことも尾を持つ娘を捕えることもできない。


 打ちひしがれ、無力に喘ぐしかなかった。


 頭巾に隠れたアーミラの喉から歔欷きょきの声が漏れる。幌の床板に雫が落ちて染みをつくる。そこには勝者の姿はない。


「私……、悔しくて、っ……ウツロさんと、こんな別れになるなんて……!」


 膝を抱えたアーミラは洟をすすり、袴の裾を握りしめる。

 ウツロとの関係が単なる継承者と魔導具という形に収まらないことはオロルも察してはいた。言葉にこそしていなかったが、きっとアーミラはウツロを慕っていたのだ。

 戦場に翻弄され、そんな儚い恋心は成就せぬままに散ってしまった。


 ……始めから見込みのない片思いだったか。魔導具に人間性を見出し、アーミラは叶わぬ恋をしていたのか。オロルにはそう簡単に片付けられないようにも思っていた。なぜならオロルもまた、多少なりウツロのなかに心を見ていたからだ。彼奴は凡庸な魔導具ではない。心を通わせ、アーミラの隣を選ぶ意思があったなら、共に歩く明日もあり得ることと見ていた。


 だがそれも、今となっては虚しい夢想だ。


「……何の慰めにもならんが――」


 オロルはそう前置きして、語り出した。

 暗い車中の気を紛らわせるための与太話だと言い添えて、ほんの少し遠くを見つめる。


 語り出したのは、己の過去だった。

 オロルが完成し、そして壊れることとなった物語――

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