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最後の異世界転生譚 ――Echoes Beyond the Aurora Manuscript――  作者: 莞爾
14 眠る躰を引きずって

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118話 日緋色金を使いなさい

 災禍は目覚め、飢えた光輪は世界を喰み、ガントールとオロルを齧りとる。


 長女継承者が戦場に倒れ、追いかけるように三女継承者も重傷を負った……まるで先代の悲劇を再現しているように思えた。


 この世を蝕む龍の牙に四方を囲われたガントールは、あの一瞬に確実な死を覚悟しただろう。オロルの時止めが光輪の放つ光よりも僅かに先手を取り、閉じてゆく顎の隙間からガントールを引き出し、自らは上半身を晒すことで致命傷を免れた。


 ガントールは両脚の腿から下をごっそりと、オロルも膝下を失い、抉り取られた大地と面一つらいちの断面を晒して身動きが取れなくなった。丸太のように断ち切られた足は骨も肉も晒して、後に続く爆圧に全身を吹き飛ばされる。目と耳から真黒い血が流れ出して、死んでいるよりも酷い状態だった。


 天秤の剣を託された俺はアーミラの元へ駆け、神器の放つ斥力と天秤そのものを盾として龍の光輪を凌ぐ。力のぶつかり合うところでは物凄い火花が散り、鋭い輝きで満たされた。


 光の中は無茶苦茶な暴力の嵐だった。この世界の理不尽を体現したかのような禍々しい輝きの奔流が容赦なく俺を襲った。龍の牙は絶え間なく天秤を削り、地金が灼熱にとろけはじめる。皿を吊るしていた鎖は赤熱して弾けるように飛散した。灼熱の飛沫が肩にかかる。


 ――例え、死んでも……!


 俺は背後に庇ったアーミラを守るため、溶解する剣をもろに浴びた。まるで札を貼り付けたように、溶けた神器は粘度の高い液体となって纏わりつき、痛覚を失って久しい鎧の体に熱が伝わり耐え難い激痛が走る。


 ――……それでも……!!


 突き抜ける光を凌ぎ切ったとき、溶けて混じり合った二つの地金が脈動するのを感じた。熱に浮かされたような奇妙な解放感だった。


 内部に溜め込んだ熱い空気を吐き出すために、空に向かって口を開ける。何が起きているのかわからないが、五感がはっきりとして清々しかった。そしてアーミラと目が合い、ぽつりと呟いた。

 自分でも無意識だった。


「ああみら……」


 アーミラは目を丸くして何か言いかけたが、熱の籠った俺の体は急転直下に調子を崩す。

 膝の力が抜けて、上体を支えるために地面についた手が熱と冷却の狭間で虹色に焼けているのをぼんやりと見つめることしかできない。開けていた口からは胃液の代わりに溶鋼の雫が垂れた。全身が重く、顔を上げる余裕もない。


 酷く意識が混濁している。出口を求めて彷徨っていた言葉達が一気に押し寄せるせいで口が塞がって、アーミラに伝えたい言葉が喉に詰まっていた。


 視界の端では彼女が立ち尽くしている靴が見えた。心配そうにしてはいるものの、焦眉の急やるべきは龍の討伐……やがて俺から離れ、詠唱が紡がれる。

 冴えた聴覚に、彼女のしなやかで芯のある声がよく聞こえてきた。


 俺は自分の身に何が起きているのかわからなかった。この身の変化が龍の影響なのか、神器の影響なのかも判然としない。


 握っていた天秤の剣は鎧と溶けて一つになり、失っていた首に新たな頭が据えられていることは感覚で理解できている。きっと天秤の地金が鎧と混じり合い、余剰分が頭を復元したのだろうとは思うが……そもそも、この感覚……五感が全身の隅々まで行き渡り、明瞭な神経が外界の全てを感じ取っている。


 この鋭敏な体感覚が通常の人間に備わる五感なのだと悟る。

 長く鎧に閉じ込められていた魂では、流れ込む外界の情報に追いつくので精一杯だった。その証拠に、情報の膨大さに処理が間に合わず、驚くほど短時間に意識が擦り切れてしまっている。


 目眩、耳鳴り、悪寒、吐き気……二百年ぶりの身体感覚があらゆる不調を訴えて気持ちが悪い。このまま倒れて楽になれるだろうかという考えがよぎったとき――


「落ち着いて、感覚を絞るんだよ」


 ――見えざる者の声が囁く。不可視の少女……コトワリの声だ。


「替えの頭が手に入ったんだね」


 俺はよろけながらもなんとか立ち上がり、感覚の酔いに体を慣らしていく。外界の全てを受け取る必要はない。鎧の体を苛む痛みも一切無視して、意図的に五感を鈍く制御する。


 前線ではオロルが龍の光輪を砕き、アーミラの詠唱も佳境に入っていた。


 コトワリは「あそこを見て」とまだ熱く焼けている俺の頭をぐいっと引き寄せる。


 砕けた天輪が萎縮するように輪を縮め、霧散せずに押し固めたような玉となった。魔呪術の気配はなく、むしろ自壊しているように見えた。


「君が望んでいるものだよ」


 そこから孵化するように、一人の女がまろびでる。

 何者かと俺は目を凝らし、ぴくりと指先が痙攣する。


 体内をひしめき合っていた言葉は消え去り、明晰の意識は娘の名を言い当てる。


「……芹那」


 俺の口が名を呟き、その声を俺の耳が拾う。

 まるで記憶の匣を開く呪文だった。仕舞い込んで忘れ去っていた過去が思い出される。


「そう。君が大事にしていたものだ」


 尾の生えた娘。

 集落を襲った娘。

 異世界から来た娘。

 あれは俺の、妹だ。


 そう理解したとき、考えるより先に体は動いていた。

 アーミラの奥義で妹が消し飛ばされるなんて、あっていいはずがない。


「日緋色金を使いなさい」


 コトワリの声に導かれ、俺は体内を巡る日緋色金を掌から生成した。神器の欠片が刃となり、天球儀の杖を砕いた。


「――え……?」


 アーミラは抱えていた杖が腕の中でばらばらと崩れていくのを呆然と見届け、本当に何をしているの? とでもいうように俺を見つめる。


 その首に刃が奔り、彼女の首から迸る返り血を浴びる。アーミラは気を失うように倒れた。


「あの子も核を失った。……楽にしてあげて」コトワリは龍を示す。「青生生魂と日緋色金を取り込んだ今の君なら、それができる」


 俺は刃を操り、災禍の龍の首を介錯する。

 当代の戦役が終わった。


 感慨深い……などと言える状況ではなかった。

 俺の体に起こった異変、光輪から取り出された核としての娘……そしてこの娘が俺の妹だという事実。


「本当にぎりぎりのところで思い出せたんだね」


 不可視の少女、コトワリは言う。姿は見えないがその声音は他意なく嬉しそうだった。


「人であることを忘れてしまった時には、君が自らの手で妹を殺めてしまうのだと思ったよ」


 俺は声の聴こえる方に首を向けて、コトワリの姿を探す。

 コトワリはいつも、俺の精神領域に潜んでいた。敵意を見せたことなどなかったが……。


「これはどういうことなんだ」


 今この場に上がっている様々な疑問についてコトワリはどれだけ把握しているのか。


「残念だけど、僕にもわからない。……だけど事態は良い方向に向かっているよ」


「これのどこが――」と言いかけて、口を閉じる。


 再び会えるなんて思っていなかった。

 鎧の体ではあるが、五感と声も手に入った。

 この戦役も決着はついただろう。


「それに、継承者だって一人も死んでない。こんなの奇跡だろう? 頂上だろう?」


 コトワリの言うことは一理ある。守ると決めたアーミラを自分の手で切ってしまったのはよろしくないが、その傷も神殿の加護によって癒えつつあった。命数に余裕のあるアーミラであればしばらくすれば治癒するだろう。先代に誓った当初の約束通り、五代目継承者は誰も死なずにここまで来れたのだ。だが……。


「俺はどうしたらいい」


 セリナを連れて神殿には戻れない。


「連れて行けば禍人種として処刑されてしまうだろうね」


 コトワリは新たな道を示す。


「簡単なことだよ。君が禍人領へ向かえばいい」


 他に道はない。

 俺はセリナを抱え、そばに倒れているアーミラを目に焼き付け、今生こんじょうさらばと南へ向かう。


「すまない……アーミラ」


 別れの言葉は、いつかデレシスが俺に向けた言葉に奇しくも似ていた。




――――❖――――――❖――――――❖――――

[14 眠る躰を引きずって 完]


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