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最後の異世界転生譚 ――Echoes Beyond the Aurora Manuscript――  作者: 莞爾
14 眠る躰を引きずって

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114話 輝羅翠。太陽魄。七星。



「久しぶりだね」


 覚えているかな? と少女は頭角の生えた頭を傾げ、自分の顔を指差した。

 狭い直方体の空間は四方を平滑な壁面に囲われていて、どこかうら寂れた室内は朧げながら俺を懐かしい気持ちにさせた。


「ここは君の記憶を元に構成された空間。つまり精神世界だ。覚えてないかい? 本当はここに窓があって、壁のこの辺りに間接照明があったんだけど……忘れてしまったかな。『病院』、『212号室』、……可哀想に、封印されて五十年経ち、大事な記憶さえ思い出せなくなったんだね」


 俺は胸の内に湧き出る望郷の念に座り込んで部屋を見回す。少女が言う通り、この部屋はとても大事な記憶だったように思う。確かに窓があった気がするし、壁が寂しいように思う。欠落した不完全な空間はもはや懐古の念を呼び覚ます抽象概念として、俺の心を優しく締め付ける。


「およそ常人では耐えられない長い時間が流れた。都合……百六十九年。人間だった頃の記憶は、五十年いそとせ百年ももとせの戦闘魔導具として日々に塗り潰され、無機質な自己を揺るぎないものにしてしまったね。だが忘れないでほしい。君は遠い昔、人間だったんだってことを」


 少女は褥から立ち上がり俺の前に立つと、憐れむように見下ろした。


「何が起きたのかも分かっていないようだけど、封印されたんだ。……そう言っても分からないか。神殿の帝は暴れ回る君を止めるため、鎧の手足をばらばらにして封印した。身動きのできない、音も光もない蔵に閉じ込められて、君の精神が跡形もなく消えてしまうところだった。

 現れるはずだった五代目についてはとても残念だし同情するけど、僕にはどうにもできない。封印されたまま次の百年を待つしか無いんだ。今度こそ神に選ばれた娘達が、きっと君と出会うことになる。それまでは少しだけ、休ませてあげよう」





 次に覚醒を自覚したとき、外の世界ではさらに半世紀が経過していた。

 神殿の蔵に封印されて五十年。

 意識を失って、さらに五十年。

 この世界に来てから、二百年の年月が経過している。


 暗い神殿の保管庫に幽閉されていた鎧の部品は全て運び出され、俺は眠る躰を引きずって庭の玉砂利の上に広げられていた。

 板金鎧の体は四肢ごとに大別され、さらに部品単位で分解されて厳重に封印処理が施されていた。


 封印した者達はすでにこの世を去り、当時を知る者はいない。

 俺を目覚めさせるために駆り出されたのは神人種の中でも金物の細工に心得のある者達や、術式回路の知恵を誇る者達だった。彼らは白衣の袖を捲り、書物を紐解き記録を頼りに復元を試みていた。


 右手を繋ぐのに数日。残る手足を繋ぐのにまた数日を要し、体が揃うまでは指先一つ動かす気にはならなかった。

 俺は夜が訪れる度に月を眺めながら、静かに記憶を辿っていた。


 確か、始まりもこんなふうだった。


 デレシスは毎夜、動かない手足を苦労して繋げてくれたのだったか……思い出そうとしてもどこか他人の空似のような目鼻立ちが彼女の顔に張り付いて、悲しいかな忘れてしまった悲しみさえも風化してしまった。

 虚な鎧に宿るのは、継承者を守り禍人やトガを討つという一念。もはや形骸化して原型のない願いだった。


 ――俺は本当に人間だったのだろうか?


 たった二十年にも満たない遠い昔の記憶。鎧になる前は、異なる世界の青年だったなんて、空虚な絵空事に思えた。鎧に宿った霊素の妄想だったと片付けてしまった方がずっとしっくりくる。初めから俺は魔導具だったのではないか。


 明くる朝、神人種によって全ての部品が鎧の体の収まるべく場所に取り付けられ、封印から自由の身となった。俺は神人種達に見守られるなか、ゆっくりと立ち上がる。それだけで人の輪はどよめいた。喜ぶ者もいれば、困惑する者もいた。


「おお、これが例の先代の忘形見……」

「しかし、戦えるのか……?」

「事情は知らないが、封印されていたと聞くが……」


 色めき立つ者達を前に一人の女が厳しく言い放つ。


「静かに」


 こちらに向かい玉砂利の上を真っ直ぐに歩く白衣の女は、場の混乱を鎮めるために鷹揚おうように語る。


「当代長女継承の随伴として先代忘形見を付ける。これは天帝の御意向である」


 彼女の言葉に不満を漏らす者はいなかった。永らく保管されていた三種の神器とは異なる出自不明の得体の知れない魔導具、たった一人の五代目継承者の出征に先立ち封印を解き、随伴させると決めたのは天帝なのだ。これに異を唱える者は、つまり神を疑うに等しい。


 そして天帝の御意向を伝える彼女は神族近衛隊隊長、名をカムロと言った。


「……鎧の魔導具、名乗れ」


 カムロの命令に対し、俺は玉砂利の一つを拾い、石畳の上に移動した。人集りは俺を避けるように形を変えて、追いかけるカムロの後ろを取り囲む。


 石畳に石を擦りつけ、俺は名前を書いてみせた。


 ――虚。


「ではウツロ。あなたは何者によって生み出された魔導具か」


 ――輝羅翠デレシス太陽魄ラーンマク七星アルクトィス


 先代継承者の名前が並ぶ石畳の文字を読み、人集りからは興奮した声が漏れる。彼らからしたら、俺の存在は先代が紡いだ神話の生き証人ということなのだろう。


「あなたは先代の次女継承者様の戦いに参加しましたか?」


 これは言葉ではなく首肯で答えた。


「災禍の龍との戦い、先代次女継承者様はどのように打ち倒したか答えられるか」


 俺は躊躇うことなく嘘をついた。


 ――知不しらず


 人集りは少し残念そうな反応だったが、もとより古くから封印されていた戦闘魔導具が真相を語ることは望み薄だと考えていたらしく、そこまでの落胆ではなかった。


 カムロも長く息を吐いたきり、気持ちを切り替えて続ける。


「これより、当代長女継承者様の元へ向かう」





 カムロに連れられて案内されたのは神殿の一劃いっかく、近衛隊集堂だった。

 室内は書類が積まれた棚が壁面を囲っており、実際の間取りよりも窮屈に感じられる。なにより部屋の中央、卓に両手をついてこちらの到着を待ち構えていた長身の獣人から放たれる圧がいっそう室内を狭く感じさせていた。


「君のことを待っていたよ。存在は予々《かねがね》耳にしていたがこうして見るのは初めてだ」


 先代と同じ赤い髪、天へ伸びる頭角。そして面影のある顔付き。

 カムロはそれぞれに向かって手を添えて、「こちらが長女継承者ガントール様」、「こちらが先代の忘形見、ウツロです」と紹介する。


「リブラ・リナルディ・ガントール……ガントールでいいぞ。

 私はスペルアベルに縁ある血筋でな、つまり先代ラーンマクの子孫だ。……どうだ? 先代様と似てるだろうか?」


 そう言って笑うガントールの勝気な口元に確かにラーンマクの面影を見た俺は、思わずそばに寄って袖に触れようとした。が、カムロが割って入り俺を押し退ける。


「気安く触れるな!」


 受け身も取れず後ろに倒れた俺は、卓にぶつかり集堂を散らかしてしまう。物凄い剣幕だった。カムロは、いや、俺の事情を知る神殿側は信用していないのだろう。

 当然だ。気が触れて暴れ回る戦闘魔導具なんて、先代の形見という由来がなければただの不良品なのだから。


「おいおい、そんな邪険にしなくていいよ」


「……失礼しました。しかしお言葉ですが、これから御身は出征を控える立場。いくら先代の忘形見といえど不測の事態はあってはなりません」


「大丈夫だ。不測の事態なんて起こらない」


 少し話がしたいから席を外してくれ。とガントールは指示して、不承不承ふしょうぶしょうカムロは集堂の外に待機する。


「すまない。カムロはここ最近ずっとああなんだ。頭痛に悩んでるみたいでね。

 ……私としてはこの日を楽しみにしていたんだが、やれやれだな」


 ガントールは倒れた卓をそのままに壁際に凭れた。

 一人と一体の魔導具が向かい合い、見つめ合う。


「そんなに見つめられると気まずいな」ガントールはたまらず相好を崩した。「知りたかったんだよ、私の顔が似ているかどうか。なにか応えてくれないか?」


 俺は未だ衝撃の最中にあった。カムロに張り倒されたことなどどうと言うことでもない。本当にそっくりだった。

 失いかけていた記憶が色付くように、ガントールの姿は先代ラーンマクを思い出させてくれたのだ。風化していた記憶が再び色付く喜びに、未だ立ち上がれなかった。


「言葉もないほど似ているのか」


 俺は頷く。お世辞ではなく生き写しだった。

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