表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
最後の異世界転生譚 ――Echoes Beyond the Aurora Manuscript――  作者: 莞爾
14 眠る躰を引きずって

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

114/175

113話 誰か俺を終わらせてくれ

 ここがどこなのかわからず、安易に動き回って良いものか判断がつかないが、じっとしていられなかった。

 デレシスの術式で拘束されていたはずの体を見回し、各部の関節を回して指先まで不自由なく動くことを確かめる。術者との繋がりが断たれている。はらはらと落ちる埃は、気を失っていた間に流れた年月を物語っていた。


 ――もう、この世にデレシスはいないのか……。


 明かりのない室内は趣こそ異なるが、天球儀の内側と似ていた。様々な物が整然と収められ、無人の蔵の中にいるのだと理解する。


 外への扉はすぐに見つかった。丁度、前方の両開きの扉から細い光が漏れていたのだ。

 俺は扉を押し開ける。……待ち受けていたのは――白い街だった。


 白い壁、白い玉砂利の敷かれた地面、白い衣を身に纏う人間達。

 俺が目を覚ました場所はマハルドヮグ山のいただき。神殿と呼ばれる場所だった。

 蔵から目覚めた俺に、白衣の者は驚きながらも歓迎してくれた。彼らの話しを聞き、ようやく事情を把握できた。


 先の継承者が戦役を治め、勇敢なる戦死を遂げてから十四年。

 彼女達が押し広げた領土にはそれぞれの名が付けられ、ラーンマクと共に戦ったあの平野はスペルアベルと名付けられた。前線は防壁の建設に忙しいのだという。

 四代目次女国家デレシスには、今なお災禍の龍との戦闘の傷跡が大地に残されており、見せてもらった地図には巨大な湖が形成されていた。戦禍は目に見えない形でも瘴気として土地にわだかまり、足を踏み入れる者すべての命を吸い取る呪われた場所となってしまったのだという。この呪いの術式は未だ解明されていないようだが、俺には心当たりがあった……だが、それを言うことはできなかった。


 神殿主導の調査によって、『涙の湖』と名付けられたその湖底から俺が引き上げられ、蔵に納められたというのがこれまでの経緯ということである。


 神殿には多種多様な人間がいた。彼らは神人種と呼ばれており、獣人、魔人、賢人から選ばれた優秀な人材なのだそうだ。

 ここは内地の中でも最も安全で、前線の国家と比べれば文化や生活の水準もまるで違う。ここで過ごした約百年は、俺に多くの学びと、この世界への理解を深めさせてくれた。


 ずっと戦うことのみを教えられてきたので、神人種との知的な触れ合いは助けになった。彼らが繰り返し語る継承者達への賛美は俺の傷を慰めてもくれた。

 事情も知らず巻き込まれた戦争のそもそもの原因や、彼らが信仰している教えなど、足りなかった知識がここでやっと補われることとなり、継承者達の死後になって、俺は彼女達が背負っていたものを理解できた。



 ――神殿で学んだことの一つに、宗教の起源がある。


 ことの始まりは六〇〇年前、『ラヴェル法典』によればこの世界は三人の娘が生きていた楽園だったのだそうだ。序文ではこのように語られている。


❖ 『――いにしえ、楽園はかく在りき。

  そこには、永遠の命をあたえられし三柱の娘、慎みて住まえり。

  されど、蛇あらわれ、三つの悦楽を説きて、心を惑わさんとせり。


   一は、交わりによる悦楽なり。

   一は、眼目を閉ずることの悦楽なり。

   一は、果実を食むことの悦楽なり。


  かくて神は、蛇を討たんとて、天の使いを遣わせ給えり。

  御使いは地に降り立ち、乱れし世をただし、三の娘に戒律を授けたり。』


 この序文の解釈はこのようになっている。

 楽園とは、マハルドヮグ山を中心とする豊かな土壌を持つ土地を意味し、三柱の娘というのは人種のことを指している。つまり獣人種、魔人種、賢人種の外見と特徴の異なる種族が共存関係にあったということだ。

 そこに蛇が現れた。これが意味しているのは禍人種、あるいはトガと呼ばれる者達だ。彼らによって唆され、三種属の共存関係が崩されることで多くの犠牲が支払われたのだという。具体的には病であったり、異種族間の交配による先天性の問題であったり、食物の取り合いや労働の不平等など、様々な争いの火種が生じることとなった。


 この争いに介入した天の使いこそ今の神殿に棲まう天帝、ラヴェル一族ということだ。争いの絶えない世界に秩序をもたらし、法を整備することで内地の平和を維持しており、禍人に奪われた土地を取り戻し勝利へと民草を導くのだと信じられている。

 この天帝の誓いこそが、神殿側の信仰であり、ラヴェル法典なのである。


 ――歴史の由来から宗教と戦争が密接に関係しているのが理解できた。


 次いで、ラヴェル法典に記された三つの戒律も以下に記す。


❖ 一、ラヴェルの御言葉は、即ち神の御声なり。

  これを疑ふこと、断じて許さるべからず。

  疑念を抱く者あらば、その心、闇に蝕まるるものと知れ。


  一、民たる者は、豊穣なる生を目指して労を厭ふことなかれ。

  日々の営みによる悦びを知り、得たる果実の一部を、

  喜びて神殿に捧げ奉るべし。

  かくて神と民との契りは、常に新たに保たるる。


  一、各々の生まれ持ちし血統と種を尊び、隣人を敬ひて憎むことなかれ。

  されど、異なる種族の血を交ふること、永く禁ぜられし掟なり。

  此れ、創世より続く大いなる秩序を乱すものなれば。


 ここまでの知識を手に入れて、ようやく俺は何と戦っていたのか理解することができたのだ。逆に言えば、これまでは何も知らないまま求められるままに敵味方を定義し、殺してきた。……ただ、自分の居場所を守るために。


 神殿で目覚めてからも、俺が異世界から来たということは伏せた。あくまで継承者によって作られた戦闘魔導具として振る舞い、こちらから何かを語ることはしなかった。……俺の軽率な行いがデレシスに核兵器を持たせてしまったのだ。優秀な神人種の彼らに要らぬ知識を与えてはいけない。それこそ法典のように、蛇の道――さらなる混沌――へ唆すことになりかねない。


 神殿での日々は平和そのものだった。デレシスの犠牲を最後に、俺はてっきり戦争が落ち着いたのだと思っていたが、前線では変わらず血が流れているらしい。この争いが終わるときは、世に禍人種が一人残らず消え去ったときだけのようだ。


 そして、デレシス達が請け負っていた継承者という使命は、その名の通り次代へと継承されていくものなのだそうだ。

 言い伝えでは百年周期で相応しい娘が生まれ、神によって刻印が授けられるのだという。

 先代の忘形見として、俺は次の娘の誕生を待った。


 次こそ誰も失わせない……そう心に誓って。





 約束の年。

 デレシス、ラーンマク、アルクトィスの四代目の継承者誕生から百年が経った。


 しかし、次の継承者が現れない。


 気を揉んでいた俺は居ても立ってもいられず一人で次代の娘を探そうとしたが、神殿は俺の外出を許さなかった。


 予兆らしきものはあった。空に響いた鐘の音が、光の輪とともに陣を描き娘の誕生を告げたのを目撃したが、奇妙なことに待てど暮らせど赤子は神殿に届かない。結果として本来現れるはずだった五代目三女神継承者は一人として生まれてこなかった。死産と伝えられた。


 人の精神構造では百年正気を保つのは難しい。

 疲れ果てれば眠り、いずれは老い、朽ち、死に至る。

 俺にはそれがない。


 終わりが来ない。逃げ道がない。出口がない。

 永遠という牢獄に閉じ込められた俺の心は、ひたすら腐り続けるだけだった。


 次代継承者が現れるという希望だけが、俺の正気を保たせてくれていたのだ。


 百年の孤独。無情に過ぎ去る時間に記憶は漂白されて、もはやデレシスの顔も鮮明に思い出せないことに気付いた。


 彼女の声。彼女が最後に俺をどう呼んだか。

 だが、それはまるで朝露のように指の間から零れ落ちていく。焦るほどに遠ざかる。

 いつからこうなった? 百年の間、俺は何を見ていた?

 振り返れば、記憶が白んでいる。人々の顔、語られた言葉、俺の時間は、漂白された羊皮紙のように色を失い始めていた。

 俺はここで何をしていた? なぜここにいる?

 いや、それよりも――

 俺は、俺の名は……何と呼ばれていた……?


 自己の消失感に支配された俺は、狂気にこの身体を明け渡した。


 ――誰か……。


 最初に砕けたのは石柱だった。俺の拳が触れた瞬間、亀裂が走り、砕石が飛び散った。

 次に弾けたのは神殿の床だった。重く、神聖なはずの場所が俺の暴力に震えた。

 鐘が鳴る。警戒の音だ。誰かの怒号が聞こえる。

 だが、聞こえない。わからない。

 何もかもが遠ざかる。体感覚は鎧から離脱していた。

 止まらない。止められない。


 ――誰か俺を終わらせてくれ。


 この手で神殿を破壊しながら、誰よりも強くそう願っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ