107話 米一粒に七人の神様
「神話そのものも、他の国の文化を広く取り入れているんだ。古事記や日本書紀に描かれた物語は、実はエジプトや古代ヨーロッパ、中国なんかと類似性が指摘されてる。因幡の白兎は南北アメリカと中国から流れてきた話だったり、素戔嗚が暴れて天照大神が岩戸に隠れるエピソードはエジプトの神話と類似している。そんな風に他を受け入れる下地があるから、異教に篤い信仰を持つ人が教化や改宗を試みても、むしろその懐に包んで数ある神の一つに過ぎないと呑み込み返してしまうんだよ。一神教同士なら互いを受け入れられずに反発しあって争うところだが、日本人は平気で混淆させる。呑み込むだけじゃなく、外からの神を受け入れ馴染む。融合してしまうんだ。
日本人は信仰心がないと言いながら、神を最も身近な存在として扱っている。ハロウィンやクリスマス、さらにはヨガや初詣なんかが最たる例だ。だからタブーとされるようなアレンジや擬人化もできてしまうし、法律と宗教を分けて考え、信仰がないときっぱり言い切ってしまえる。そのくせ冠婚葬祭や食事のマナーの中にさえ信仰が溶け込んでいる」
「米一粒に七人の神様か」
俺は茶化し気味に言ったが、稔は真面目に頷いた。お前の懐の深さも神仏混淆かと内心で思う。
「その上、現代でも自然災害の発生、特に地震発生件数は世界でトップレベルだから、自然崇拝のあり方は畏怖の念が強く、神が罪を赦してくれるなんて考えない。あくまで禍福は糾える縄の如し、親しみつつも一定の距離を保っている。すごく独特だ。
どうだい? 面白くないか?」
興奮して語る稔には悪いが、後半の知識には付いていけなかったのでそこまでの共感はできていない。素直にそう伝えるのも癪なのではぐらかすことにした。
「怪しい新興宗教には嵌るなよ」
「そんな話じゃないってば」
二人で笑い、夜は更けていく。
最後の一口を飲み干してカフェインが切れた頃合い、軽くなった缶を手元で持て余しながら二人は重い腰を上げて明日に備える。
「明日の予定は?」稔が聞く。
「仕事だよ。土曜日なのにな」
その返答に驚いた顔をして舌を出す。社会人はくそだと言いたげだった。
「夕方は?」
「病院に見舞いだ」
「そうか」
俺に予定がなければ明日も会うつもりだったのだろうことは察せられた。
「稔は当然休みか」
「まぁな。出席が足りてれば後はほとんど遊んでる」
羨ましい返答に俺が舌を出して戯けて見せた。大学生はくそだ。
「じゃあまたな」
「おう、また」
ふざけあってひとしきり笑うと、ゴミ箱に空き缶を放り、それぞれの帰路に着く。このコンビニエンスストアが両者の家を結ぶ別れ際なのだ。携帯端末を起動すると日付は変わっていて、時刻は午前二時と表示されている。さっさと寝床に着けば仕事に支障はない。
❖
あくる朝は平凡な一日だった。変わらない業務内容にいつも通り取り組み、いつも通り疲弊し、いつもとは違い残業を断り病院へ向かう。
職場の人間にすれ違いざまに挨拶を済ませて端末に退勤の打刻を済ませると、俺がロッカー室にいることに気付いていない者の会話が聞こえてきた。
「そういえば課長、井上君はどうです?」
「どうって? 頑張ってくれているが」
「そうなんですね……いや、彼って働く必要がないなんて聞きまして」
――は……?
そんな俺の心の声は、扉の向こうの課長の声でもあった。
胸の奥がざらつくような感覚があった。
「彼の家族が交通事故の被害者で、保険金がかなり出たって噂ですけど? 本来なら進学もできたでしょうに就職って、真面目に働けるんですかね」
「滅多なことを言うもんじゃないよ――」
庇ってくれる課長の後ろで、俺はロッカー室を出た。
二人は気まずそうに愛想笑いを浮かべ、課長は改めてお疲れ様と挨拶をした。
先程までの陰口にはまるで気付いていないという態度で俺も会釈を返す。
笑って流すべきだと頭で考えながら、荷物を抱える拳は爪を食い込ませていた。
「お先に失礼します」
足早に会社を出る俺の後ろでは、課長が不用意な発言に注意していた。俺に対してのアピールもあるのだろう、声はこちらまで聞こえていた。
「いいか、彼の妹さんはまだ退院できてない。お金がかかるんだよ――」
会社から自転車で駅まで移動し、電車で二駅。そこから市営のバスに乗り病院へ向かう。風防室を経由してガラス張りの自動ドアが開き、病院内に入ると消毒液の匂う受付フロアに着く。慣れた足取りで窓口横の端末にカードを挿す。端末のウィンドウは俺の基本情報を読み込み、必要な操作は本日の来院目的の選択欄から〈見舞い〉を選ぶだけである。
控えめな選択音と共にウィンドウ画面が切り替わる。
『井上芹奈 212』
下の印字機から感熱紙が吐き出され、来院受付が完了したことを示す紙が印刷される。指で切り取って階段へ向かった。エスカレーターもあるが、人とすれ違うのが億劫で人気のない階段ばかり使っている。
二階に辿り着き、清掃の行き届いた廊下を歩き目的の病室の前に立つ。病室の番号には4や9といった数字は欠番となっていて、その違和感を誤魔化すためか部屋は連番になっていない。212は本来もっと奥のはずだが、意図的なシャッフルによって階段から近い位置にあった。
一応表札の部屋番号と名前を確認するが、一度も間違えたことはない。
軽く扉を叩き、スライド式の扉を開ける。西日に赤く照り映えた室内で黄昏れる妹の姿があった。
「電気ついてないのか、暗くないか?」
扉の横に備え付けられたスイッチに触れてベッドの上の間接照明を操作する。室内灯は院内で自動切替だが、個人用の採光のためにこうした設備が取り付けられていた。もちろん操作盤はベッド側にもあるが芹那は操作していない。
「暗かった? ずっといると目が慣れちゃって」
そっと小さく微笑む妹。まるで顔の皮膚がひび割れないように慎重に表情を作っているみたいだった。
「体の具合はどう?」
「いつも通りかな」
「そか」
会話が弾まないのはいつものことだった。病室に備えつけてあるモニターの電源を入れ、俺は夕方のニュースを流す。話題になりそうな情報を見つけては、「あれ美味そうだな」と言ってみたり、「また地震増えてきたな」と呟いたりして妹の様子を窺う。




